前回は「難所で一度引き返した「合理的」信長の戦術〜着実に進めた美濃攻略戦・「何事も軽々と実行に移した」信長・西美濃三人衆が織田家へ〜」の話でした。
「正攻法」で攻めた若き信長:尾張に隣接する「西美濃三人衆」領土

織田信長の美濃攻略戦の大きな布石となった「西美濃三人衆」の斎藤家から織田家への離脱。

信長公記は、織田信長の美濃攻略戦に関して、少々淡々とした記述ながら詳細に描いています。
信長公記永禄十年八月一日、
美濃三人衆の稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就が申し合わせ、



信長公のお味方に
参じますので、



その保証として
人質をお受け取りください。
信長公記では、稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就を「美濃三人衆」と呼んでいます。
一般的には、「美濃三人衆」と呼ぶ稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就ですが、やはり「西美濃三人衆」が適切と考えます。


当時の美濃の国における、地侍・国人たちの領土分布が上の地図です。
「家臣と大名」という認識というよりも、「諸大名連合の代表者が守護」という秩序だったのが、室町幕府の体制でした。
後に、江戸幕府の支配体制を「幕藩体制」と呼びますが、これは「幕府と藩の体制」を意味し、「諸藩を束ねていたのが幕府であり、徳川将軍」という意味です。
鎌倉幕府、室町幕府には「幕藩体制」というシンプルな呼び方に対応する呼び方はありません。
学術的には提案されているかもしれませんが、一般的には「幕藩体制」ほど著名な「支配体制の呼称」は鎌倉幕府、室町幕府にはないと考えます。
いずれにしても、上の美濃の国における地侍・国人たちの領土分布をみると、「土岐氏も斎藤氏も、それほど盤石な体制ではなかった」ことが分かります。
もちろん、「領土が広い=国力が高い」ではなく、山が多い美濃、
美濃の北方や東方は「山ばかり」であり、北方や東方は農業・商業のいずれの生産力も低いです。
その一方、平坦な尾張側に近い斎藤家・各務郡、土岐家・山県郡、などは生産力が高かったと思われます。
商業力においては、圧倒的に南方のこれらの地域が突出していたはずです。


歴史の舞台には、あまり登場しない斎藤家の根拠地・各務郡周辺こそが、稲葉山城のある地域でした。
これらの美濃の当時の事情を考えると、「西美濃三人衆」の領土は、それほど大きくないながらも、美濃のかなりの部分を占めた、と考えます。



西美濃三人衆が、
我が織田家に来たか・・・



我が織田家の領土が、
確実に繋がり、拡張したな・・・
そして、「西美濃三人衆」の領土が「尾張に隣接していた」点も重要です。
これが、「尾張に隣接していない」地域だと、「飛び地」のようになり、脆弱です。
あくまで「正攻法の鑑」の如く、着実に、綿密に領土を広げたのが、若き信長でした。
「井口を岐阜へ」改めた織田信長:一気に降参させられた斎藤龍興





翌日、土木工事の分担を
指示し、



稲葉山城四方に鹿垣を
結い廻して包囲した。



信長は、何事も
このように軽々と実行に移したのである。
そして、永禄十年(1567年)当時、尾張をほぼ完全に制圧して3年ほどが経過していた織田家。
当時、40万石から45万石だった生産量に、強力な商業力、陸路・海路も盛んだった尾張。


平坦な土地だった尾張では、早い時期に上の「城同士のネットワーク」が完成していました。
清洲城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
この圧倒的な国力で、「稲葉山城周囲を土木工事で鹿垣で囲い尽くした」信長。
信長公記は「美濃三人衆が肝を潰すほど驚いた」と記述しており、まさに「驚天動地の土木工事」でした。
この「城全体の周囲を包囲する」という大胆な考え方において、当時の信長の戦略は抜きん出ていました。



八月十五日、稲葉山城の招聘は
みな降参して、



斎藤龍興は、飛騨川の続きであるから、
舟で河内の長島へ退散した。





くっ・・・・
本城を、かように包囲されては・・・



手も足も
出ぬわ・・・
正に斎藤家を「手も足も出ない状況」に追い込んだ信長。



こうして信長は、美濃の国全域を
支配することとなり、



尾張国小牧山から、
美濃の稲葉山へ引き移った。



よしっ!
美濃を制圧したぞ!



小牧山から
稲葉山へと移る!



井口という地名をこの時改めて、
岐阜と名付けたのである。



本日より、この地を
岐阜と呼ぶ!
信長公記では、「稲葉山城陥落」から「美濃国全域支配」へと移り、この過程が不明です。
おそらく、斎藤家没落に加えて、西美濃三人衆が織田家にすでに従っていた、事実から、



我らを束ねる斎藤家が
消えてしまい・・・



稲葉殿、氏家殿、安藤殿も
織田についた・・・



やむを得ん・・・
ここは我らも織田に・・・
このように、西美濃三人衆の動きに他の美濃の国人たちも「合わせた」のでしょう。
いずれにしても、華麗に美濃を奪取した織田信長は、ここから更に大いなる飛躍を続けます。


