前回は「織田家生粋の重臣・川尻秀隆の奮戦〜龍興登場と上手く撤退した信長・「三回も賞賛の使者」で激励した織田信長・苛烈な若き信長の虚像〜」の話でした。
難所で一度引き返した「合理的」信長の戦術:着実に進めた美濃攻略戦

清洲城から、一時的に小牧山城に本拠地を移転し、美濃を攻撃し続けていた織田信長。

信長公記によると、織田信長が尾張北部を制圧したのは1564年のことでした。

そして、31歳(数え年、以下同)になろうとしていた若き織田信長は、
織田信長ゆけっ!
美濃を攻略するのだ!
家臣団を叱咤激励し、猛烈な勢いで美濃を攻略しようとしていました。





信長様、
この川尻秀隆、本丸に突入しました!
そして、信長公記の美濃攻略戦で登場するのは、丹羽長秀、川尻秀隆らの若手です。
| 名前 | 生年(一部諸説あり) |
| 林秀貞 | 1513年 |
| 柴田勝家 | 1522年 |
| 滝川一益 | 1525年 |
| 太田牛一 | 1527年 |
| 川尻秀隆 | 1527年 |
| 佐久間信盛 | 1528年 |
| 織田信長 | 1534年 |
| 丹羽長秀 | 1535年 |
| 羽柴秀吉 | 1537年 |
当時は、織田信長より21歳年上の林秀貞、12歳年上の柴田勝家ら長老たちが家老となっていました。
そして、川尻秀隆、太田牛一ら、信長より7歳年上の「兄貴分」たちが、信長を補佐していました。



永禄九年(1566年)四月上旬、
信長は木曽川の大河を渡り、



美濃の国、加賀見野に
軍勢を集結した。
信長公記に記載された「加賀見野」は「各務野」のことです。
この頃は「当て字」の発想が強く、漢字が異なっても「音が同じであれば良い」でした。





敵斎藤龍興は
井口から軍勢を出撃させ、



織田軍を
叩き潰すのだ!



新加納の村に兵を配置して
守備についた。



両所の間は難所で、
馬の足場も悪いので、



むむ・・・
これは攻撃は難しいのう・・・



信長は
その日は帰陣した。
太田牛一が描いた信長記は、信長の細かな戦略が緻密に描かれています。
調略はするもの、とにかく「力攻め」の印象が強い若き信長の戦い。
後に「軍神中の軍神」となる織田信長は、若き頃から、合理的戦いを繰り広げていました。
「何事も軽々と実行に移した」信長:西美濃三人衆が織田家へ


そして、翌永禄十年(1567年)、苦戦する織田軍に、大きな追い風が起きました。



永禄十年八月一日、
美濃三人衆の稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就が申し合わせ、



信長公のお味方に
参じますので、



その保証として
人質をお受け取りください。



と
申し合わせてきた。



そこで信長は、村井貞勝・島田秀満を
人質の受け取りに西美濃へ派遣した。
「西美濃三人衆」と呼ばれることもある「美濃三人衆」稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就。
稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就は、西美濃において、大きな地盤をもつ地侍・国人たちでした。



ついに、稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就らが
我が織田についたか・・・


現実には、「西美濃」というよりも、「美濃の南西部に多少の土地を有していた」のが安藤らでした。
諸説ありますが、どうやら氏家卜全の領土が最も富裕で広大だった説もあります。


この時点では、斎藤家の家臣だった竹中半兵衛は、安藤守就の娘婿となります。
そして、後に、「秀吉の郎党」として、織田家に仕えることになる竹中半兵衛重治。
竹中半兵衛重治に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



まだ人質も到着しないのに、
信長は急に軍勢を出し、



稲葉山の続き、瑞竜寺山へ
駆け上がった。



ここは、
勝機だ!



人質など、待たずに
すぐに攻撃だ!
ここで、信長は「人質を待たずに果敢に攻撃した」ことを信長記は伝えています。



これは何としたことか。
あれは敵か味方か。



と斎藤方が迷っているうちに、
早くも町に火を放ち、



寸時に稲葉山城を
はだか城にしてしまった。



その日は、
ことのほか風が吹いていた。



この強い風は
火攻めに良い・・・



今だ!
人質を待たずに火攻めにする!
このように、若き信長は判断し、美濃三人衆の動きの前にガンガン攻めました。



翌日、土木工事の分担を
指示し、



稲葉山城四方に鹿垣を
結い廻して包囲した。



そこへ、美濃三人衆も
駆けつけ、



ややっ、
稲葉山城がはだか城に!



肝を潰すほど驚きながらも、
信長に挨拶した。



信長様、
稲葉良通にございます。



こたびは、我が織田につくこと、
歓迎する!



信長は、何事も
このように軽々と実行に移したのである。
ここで、信長公記は、信長に対して「何事も軽々と実行に移した」と記録しました。
この記録は重要であり、若き信長像を彷彿とさせます。
難攻不落といわれた稲葉山城でしたが、信長の機転により、一気に「はだか城」になってしまいました。



いよいよ、稲葉山城を
落とすのだ!
そして、信長は、総まとめとして、いよいよ稲葉山城総攻撃に入ります。


