前回は「昭和天皇「ああ、分かった!!」と大声〜杉山参謀総長のクドクド説明・謎の永野修身「大坂冬の陣」理論と「病人」理論・昭和天皇の絶大な懸念〜」の話でした。
昭和天皇「両統帥部長意思表示なしは遺憾」:毎日平和願った天皇

1941年9月5日夕方、翌日の御前会議を控えて、両統帥部総長を即時呼び出した昭和天皇。

当事者である杉山参謀総長が残した「杉山メモ」には、この時の極めて生々しいメモが残っています。
昭和天皇絶対に
勝てるか!!!



(大声にて)



絶対とは
申し兼ねます。



尚、日本としては、半年や一年の平和を
得ても続いて国難が来るのではいけないのであります。



二十年、五十年の
平和を求むべきあると考えます。



ああ、
分かった!!



(大声にて)
帝国は現下の急迫せる情勢、特に米、英、蘭等各国の執れる対攻勢ソ連の情勢及帝国国力の弾発性等に鑑み、「情勢の推移に伴う帝国国策要領」中南方に対する施策を下記により遂行す
一、帝国は自尊自衛を全うするため、米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし、戦争準備を完整す
二、帝国は右(上)に並行して、米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努む
三、前号外交交渉に依り、十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す
どこから、どう読んでも「戦争に向かっている」としか読めない「帝国国策遂行要領」。
あまりのことに衝撃を受けた昭和天皇は、声を荒げながら、両統帥部総長に詰め寄りました。



手術をすれば、非常な危険があるが
助かる望みもないではない。



その場合、思い切って、手術をするかどうか、
という段階であるかと考えられます。



・・・・・
そして、運命の1941年9月6日の御前会議を迎えました。



御前会議席上、原議長の質問に対し、
及川海軍大臣の答弁あり。其後、



私から事重大だから、
両統帥部長に質問する。



先刻、原がこんこん述べたのに対し、
両統帥部長は一言も答弁しなかったが、どうか。



極めて重大なことなりしに、
統帥部長の意思表示なかりしは、



自分は
遺憾に思う。
ここで、昭和天皇は、御前会議ではっきりと「遺憾」と伝えました。



!!!!!



!!!!!



私は毎日、明治天皇
御製の、



「四方の海 皆同胞と思う代に
などあだ(ママ)波の 立騒ぐらむ」



を拝誦
している。



どうか。
様々な書籍のおいて、1941年9月6日の御前会議の様子が記録されています。
「杉山メモ」による記録では、昭和天皇は、一歩ならず二歩も三歩も踏み込んでいました。
永野総長「勝利の算は我に多し」:もうすぐ完成の世界最強巨大戦艦大和


昭和天皇が「明治天皇御製の歌を詠んだ」事実は、広く知られていますが、



私は毎日、明治天皇
御製を拝誦している。
「毎日拝誦している」と、御前会議の場で告げた昭和天皇。



全く原議長の言った趣旨と同じ
考えでありまして、



御説明の時にも、本文に二度この旨を
言っております。



原議長が分かった、と言われましたので、
改めて申し上げませんでした。
天皇の「遺憾」発言に対して、永野総長は「改めて申し上げなかっただけ」と答えました。



・・・・・
この「答えになっていない答え」には、昭和天皇は内心不快であったと考えます。


「杉山メモ」は詳細な記録でありますが、「大東亜戦争全史」にも、議事録が残っています。
以下、「大東亜戦争全史」の永野総長たちの発言を見てゆきましょう。
「大東亜戦争全史」では、議事録の(おそらく)全てが盛り込まれており、かなり長いです。
そのため、一部を抜粋してご紹介します。



帝国は、今日、油其の他重要なる軍需資材の
多数が、日々枯渇への一路を辿り、



帝国は、今日、油其の他重要なる軍需資材の
多数が、日々枯渇への一路を辿り惹ては、



国防力が逐次衰弱しつつある
状況でありまして、



若し、このまま現状を継続してゆきますならば、
若干期日の後には、国家の活動力を低下し、



ついには、足腰立たぬ窮地に陥ることを
免れないと思います。
永野軍令部総長は、当時の帝国海軍の状況を「国防力が逐次衰弱しつつある」と表現しました。



作戦の見通しに関しましては、彼(米英)が
最初より長期作戦に出づる算は極めて多いと認められますので、



帝国と致しましては、長期作戦に応ずる覚悟と
準備とが必要であります。



欧州戦争の継続中なる今日、英国が極東に派遣し得る
海軍兵力は、相当の制限を受くべく、



従って、英米の聯合海軍もこれを我予定決戦海面に
邀撃する場合、飛行機の活用等を加味考量致しまするに、



勝利の算は、我に多しと
確信いたします。


当時は、大英帝国は、最新鋭戦艦”Prince of Wales”を極東に派遣しました。
“Prince of Wales”との戦いであった、マレー沖海戦の話を、上記リンクでご紹介しています。
これらの情報を掴んでいたであろう、永野総長。


そして、この頃、もうすぐ完成・進水を迎える予定であった空前絶後の巨大戦艦・大和。



さらに我が聯合艦隊には、
戦艦大和がもうすぐ加わる・・・



英米強しと言えども、
勝利の確信は、ある!
このように、永野総長は、「英米に勝つ自信あり」とはっきり言いました。
この点では、確かに、当時の聯合艦隊は強力であり、「ある程度正しい」見込みでした。



我が帝国海軍の
十八番「邀撃作戦」で米英を叩き潰す!
ところが、「邀撃作戦=日本近海での艦隊決戦」は起きなかったのでした。


