前回は「真珠湾奇襲攻撃 80〜全会一致で対日戦へ向かう米国〜」の話でした。

今回から、真珠湾奇襲攻撃の直後に起きたマレー沖海戦の話をご紹介します。

真珠湾の奇襲攻撃は、
宣戦布告前となった・・・



・・・・・



武人として、不意打ちは、
絶対にやってはいかんが・・・



やむを得ん!



強大な米国と戦うからには、
多少の齟齬より、今後の作戦だ!
「宣戦布告前の攻撃」を大いに米国に利用された日本。
しかし、もはや「後の祭り」であり、



とにかく、
勝てば良い!
多数の戦艦を撃沈し、米兵を倒した日本海軍は勝利に酔っています。
そして、その勢いのまま、米英を中心とする連合軍と対峙する日本陸海軍。


真珠湾奇襲攻撃の約一月前、英国海軍では大きな動きがありました。
日本海軍が戦う東洋艦隊の大きな再編を行い、1941年11月2日に編成を発表しました。



Japanを、
ぶちのめしてやる!


「浮沈戦艦」「超弩級戦艦」と言われた英国海軍の象徴であるプリンス・オブ・ウェールズが乗り込んできたのです。


さらには、強力な巡洋戦艦レパルスも編成されました。


さらには空母インドミタブルを編入し、大規模な艦隊としたのです。
この艦隊は日本にとって、大きな脅威でした。
そして、この東洋艦隊を率いるのは、英国海軍きっての逸材と言われた人物でした。

