Malayの叫び 1〜真珠湾奇襲後の日本海軍〜|第二次世界大戦

前回は「真珠湾奇襲攻撃 80〜全会一致で対日戦へ向かう米国〜」の話でした。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

今回から、真珠湾奇襲攻撃の直後に起きたマレー沖海戦の話をご紹介します。

真珠湾の奇襲攻撃は、
宣戦布告前となった・・・

・・・・・

武人として、不意打ちは、
絶対にやってはいかんが・・・

やむを得ん!

強大な米国と戦うからには、
多少の齟齬より、今後の作戦だ!

「宣戦布告前の攻撃」を大いに米国に利用された日本。

しかし、もはや「後の祭り」であり、

とにかく、
勝てば良い!

多数の戦艦を撃沈し、米兵を倒した日本海軍は勝利に酔っています。

そして、その勢いのまま、米英を中心とする連合軍と対峙する日本陸海軍。

Winston Churchill英首相(Wikipedia)

真珠湾奇襲攻撃の約一月前、英国海軍では大きな動きがありました。

日本海軍が戦う東洋艦隊の大きな再編を行い、1941年11月2日に編成を発表しました。

Japanを、
ぶちのめしてやる!

英戦艦 Prince of Wales(Wikipedia)

「浮沈戦艦」「超弩級戦艦」と言われた英国海軍の象徴であるプリンス・オブ・ウェールズが乗り込んできたのです。

英巡洋戦艦 Repulse(Wikipedia)

さらには、強力な巡洋戦艦レパルスも編成されました。

英空母 Indomitable(Wikipedia)

さらには空母インドミタブルを編入し、大規模な艦隊としたのです。

この艦隊は日本にとって、大きな脅威でした。

そして、この東洋艦隊を率いるのは、英国海軍きっての逸材と言われた人物でした。

英東洋艦隊司令長官 Tom Phillips(Wikipedia)

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