昭和天皇「ああ、分かった!!」と大声〜杉山参謀総長のクドクド説明・謎の永野修身「大坂冬の陣」理論と「病人」理論・昭和天皇の絶大な懸念〜|陸海軍の迷走46・日米開戦と真珠湾へ

前回は「「絶対に勝てるか!」大声で問うた昭和天皇〜緻密な記録「杉山メモ」・御前会議超直前に「国策」内奏した近衛首相・対米戦と骨抜き「国策」〜」の話でした。

目次

昭和天皇「ああ、分かった!!」と大声:杉山参謀総長のクドクド説明

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昭和天皇(Wikipedia)
昭和天皇

作戦は
どうなっているのだ?

1941年9月5日夕方、後世の視点から見れば「対米戦超直前」に、危惧を持っていた昭和天皇。

昭和天皇

すぐに、杉山参謀総長と
永野軍令部総長を呼べ!

昭和天皇が知らないうちに、異様なほど「戦争に向かっていた」帝国政府・大本営。

昭和天皇は、統帥部の両総長を急遽呼び出しました。

この時の模様は、「近衛手記」など、いくつかの書籍に記録が残っています。

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杉山メモ(杉山元 著、新歴史紀行)

中でも、当事者である杉山参謀総長が残した「杉山メモ」には、極めて生々しいメモが残っています。

昭和天皇

九州の上陸演習には、
船が非常に沈んだが、

昭和天皇

あーなれば、
どうか?

杉山元

あれは、敵の飛行機が撃滅せられる前に
船団の航行を始めたからであって、

杉山元

あーは、ならぬと
思います。

昭和天皇が「あーなれば、どうか?」と、率直に、一般的用語で問うた、と記録あります。

それに対して、「あーは、ならぬと思います。」と、杉山参謀総長もまた、簡単な言葉で奉答しました。

昭和天皇

お前の大臣の時に、
蒋介石は直ぐ参る、と言うたが、

昭和天皇

未だ
やれぬではないか。

支那事変の際には、杉山参謀総長は、昭和天皇に対して、

杉山元

我が軍ならば、首都・南京は
すぐに落とせます。

杉山元

されば、蒋介石は、
すぐに参る(降伏する)でしょう。

このように、昭和天皇に「説明していた」ことを、昭和天皇は鋭く指摘しました。

つまり、杉山が「すぐに終わる」と言っていた支那事変は、四年経過した当時も「継続中」でした。

これに対して、強い懸念、というよりも怒りに近い感情を持っていた昭和天皇。

昭和天皇

絶対に
勝てるか!!!

杉山メモ

(大声にて)

杉山元

絶対とは
申し兼ねます。

杉山元

しかし、勝てる算のあることだけは、
申し上げられます。

杉山元

必ず勝つとは
申し兼ねます。

杉山元

尚、日本としては、半年や一年の平和を
得ても続いて国難が来るのではいけないのであります。

杉山元

二十年、五十年の
平和を求むべきあると考えます。

昭和天皇

ああ、
分かった!!

杉山メモ

(大声にて)

なんとなく、ぼやけた回答を続ける杉山参謀総長に対し、昭和天皇は、「分かった!」と言いました。

これは勿論「納得した」「了解した」という意味ではなく、「話を切り上げる」ニュアンスでした。

謎の永野修身「大坂冬の陣」理論と「病人」理論:昭和天皇の絶大な懸念

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左上から時計回りに、昭和天皇、近衛文麿首相、杉山元参謀総長、永野修身軍令部総長(国立国会図書館、Wikipedia)

この場には、他には、近衛文麿総理と永野修身軍令部総長が同席していました。

名前生年役職
杉山 元1880参謀総長
永野 修身1880軍令部総長
及川 古志郎1883海軍大臣
東條 英機1884陸軍大臣
近衛 文麿1891総理大臣
昭和天皇1901天皇
昭和天皇と帝国政府・大本営大幹部たち(1941年9月)

陸海軍の統帥部は、皆、昭和天皇よりも大きく年上であり、17歳から21歳年上でした。

そして、本来ならば、大元帥であり陸海軍を統帥する立場であった昭和天皇。

昭和天皇

ああ、
分かった!!

年長者たちが、自分を置いて独断で海戦準備を進めていた事実に対し、

昭和天皇

・・・・・

昭和天皇は怒り心頭だったはずでした。

杉山メモ

永野軍令部総長は
大阪(大坂)冬の陣のことを、

杉山メモ

その他のことを申し上げたるところ、
御上は、興味深く御聴取遊ばれたるが如し。

どうやら、永野総長は、ここで「大坂冬の陣の話」をしたようです。

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大坂の陣(Wikipedia)

ただし、「大坂冬の陣」の具体的な記録はありません。

おそらく、

永野修身(架空)

大坂冬の陣では、
豊臣方は、思い切れば勝てたはずでした。

永野修身(架空)

ところが、中途半端な講和を行い、
時の経過とともに、不利になりました。

永野修身(架空)

このように成らぬよう、
ジリ貧にならぬよう、努力すべきです。

このように「時の経過は不利」理論を開示した、と思われます。

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近衛文麿「平和への努力」(近衛手記、日本電報通信社、新歴史紀行)

この点は、近衛手記と大きく異なるのが気になります。

近衛手記は、昭和天皇が「昭和天皇独白録」において、

昭和天皇

この時の模様は
「近衛手記」の通りである。

このように明言しているため、「近衛手記が正しい」と考えるべきです。

近衛手記では、

永野修身

今日、日米の関係を
病人に例えれば、

永野修身

手術をするか、しないか、の
瀬戸際に来ております。

永野修身

手術をしないで、このままにしておけば、
段々衰弱してしまうところがあります。

永野修身

手術をすれば、非常な危険があるが
助かる望みもないではない。

永野修身

その場合、思い切って、手術をするかどうか、
という段階であるかと考えられます。

永野総長が、このように日米関係に対して、「瀬戸際病人理論」を話したことを明記しています。

永野「瀬戸際病人理論」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

「大坂冬の陣」と「瀬戸際病人論」では、全然違いますが、杉山メモも正しいと考えます。

おそらく、永野は、クドクドと「両方話した」のが真実と考えます。

杉山メモ

最後に総理
左記を奉答す。

近衛文麿

両総長が申しましたる通り、
最後まで平和的外交手段を尽くし、

近衛文麿

已むに已まれぬ時に
戦争となることは、

近衛文麿

両総長と私共とは気持ちは
全く一であります。

昭和天皇

・・・・・

こうして、半日後に控えていた御前会議超直前の話し合いは終了しました。

全く納得してなかったはずの昭和天皇。

杉山メモ

杉山総長所感:南方戦争に対し
相当御心配ある様拝察す。

杉山メモ

武官長の所感:此の重大事項を一回の連絡会議で決めることが
総理に対する種々の御下問となったのではないかと拝察す。

とにかく、巨大な懸念を抱いていた昭和天皇でしたが、クリアな回答は得られませんでした。

「二十年、五十年先の平和を求める」と言った杉山総長。

ところが、結果は、「四年先に、米国に国中を爆撃され荒廃して敗戦する」日本となりました。

そして、歴史の節目となる、翌日の御前会議となります。

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