前回は「戦国時代と江戸時代の狭間に生まれた今治城〜関白秀頼と将軍家康・「海と川の生き物が同居」の稀有な掘・瀬戸内海とつながる「水海城」〜」の話でした。
「日本一の水海城」今治城:琵琶湖とつながる彦根城

「瀬戸内海がすぐそこ」である場所に建っている今治城。

広い堀に佇む姿が美しいことで有名な今治城は、日本一の水城です。

さらに、その広い堀は瀬戸内海と直接つながり、潮の潮汐によって堀には海水が流入する時間があります。
今治城のように、海と堀が近くでつながっている城は他にあるかもしれませんが、極めて少数です。

彦根城は、琵琶湖とつながっていることで有名です。
彦根城もまた今治城と同時期に建築されており、「湖または海とつながっている」点で類似性があります。

彦根城建築が開始したのは、井伊直政が関ヶ原の合戦の傷で亡くなった1602年の翌年です。
1561年に生まれた井伊直政は、まだ42歳(数え年、以下同)で亡くなってしまいました。
彦根城を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。
琵琶湖という日本一の湖とつながっている彦根城と比較しても、今治城の特殊性は際立っています。
琵琶湖は日本一ですが、やはり海と湖は全然違います。
まさに、「日本一の水城」を超えて、「日本一の水海城」であるのが今治城です。
武骨で優美な石垣:巨大な勘兵衛石と築城奉行・渡辺官兵衛

広大な今治城の堀を渡り、いよいよ今治城の城内に入ってゆきます。
今治城の石垣は、これまでに訪問した様々な城の石垣と比較して、頑丈で無骨な印象を受けます。
さらに、武骨でありながら、優美さを感じさせる不思議な石垣です。

黒鉄門(くろがねもん)と呼ばれる、黒い大きな門が今治城への入り口です。
今治城が再建されたのは1980年で、比較的最近です。
ほとんどが鉄筋コンクリート造で再建された今治城は、日本の高度成長期の勢いを感じさせます。
黒鉄門の規模はかなり大きく、これほど大きな門がある城は少ないです。

黒鉄門を入るとすぐに巨大な石があります。

この巨石は、「勘兵衛石」と呼ばれています。
勘兵衛とは、今治城の築城奉行(大臣)であった渡辺勘兵衛が由来です。
重さ16.5tであり、どうやって運んだのか不思議なくらいです。
次回は、今治城天守閣に向かいます。


