前回は「お家騒動の中で成長した今川義元〜優雅な富士山を臨む駿河の今川家・「足利御三家」相当の超名門・北条早雲の圧倒的政治力〜」の話でした。

お家騒動で大大名を産んだ今川家:お家騒動で誕生した北条家

駿河・遠江の守護であった名門・今川家で勃発したお家騒動を、上手くまとめた伊勢新九郎。
伊勢新九郎私は政治力、
調停力が高いので、まとめましょう!
政所執事・伊勢氏の流れを汲む・名門出身と言われる伊勢新九郎。
その実情としては、せいぜい「伊勢の傍流」であり、「伊勢の主流」ではなかったでしょう。



新九郎、有難う!
お礼に、駿河の東の城をあげる!
この「今川家のドタバタ劇」によって、後の大大名・北条家が生まれました。
北条早雲から北条氏康までの話を、上記リンクでご紹介しています。
戦国時代においては、裏切り・お家騒動が日常茶飯事でありました。
そのため、今川家のお家騒動もまた「いつものこと」でありました。
それにしても、「お家騒動の結果、一地方(関東)の大大名が生まれた」例は極めて少ないです。
つまり、「お家騒動で大大名を産んだ」のが今川家でした。
この点においても、当時の今川家が「別格」であることが分かります。
この時、後の北条早雲となる伊勢新九郎がもらう可能性がある城は、駿河・遠江に広がっていました。
駿河東部の興国寺城を受領したと伝えられる伊勢新九郎。



これで俺も
一国一城の主!
もし、この時「駿河北部」の城を与えられていたら、「後の北条家はなかった」でしょう。
また、もし、この時「遠江西部」の城を与えられていたら、信長と家康の運命も変わっていたでしょう。
この意味では、「戦国時代を変えた」のが今川家のお家騒動でした。



お寺に
出されてしまった・・・
お家騒動の結果、三男・義元は仏門に出されました。
「お家騒動の原因除去」が理由であり、義元が4歳の時でした。
最先端の学問学んだ今川義元:戦国時代変えた「太原雪斎との出会い」


仏門に出されて、寺で修行した今川義元少年は、最初ある僧侶に就きました。
その僧侶が亡くなってしまい、後継者として太原雪斎が登場しました。



これはこれは、
今川家の三男の若君・・・



私が一生懸命
教えて差し上げよう・・・



はいっ!
よろしくお願いします。
名門生まれの義元少年は、礼儀正しく、一生懸命学びました。
現代の小学生の頃、当時は義務教育もなく、寺子屋のような組織もほとんどありませんでした。


そして、中国から様々な書物が仏教とともに伝来していた寺社は、当時は最高の教育施設でした。
延暦寺を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。
ここで、臨済宗の僧侶として高い学識を持ち、政治力・軍事力に長けた太原雪斎。
義元少年の太原雪斎との出会いは、義元自身の運命のみならず、戦国時代を変えました。
| 名前 | 生年 |
| 太原 雪斎(崇孚) | 1496年 |
| 今川 義元 | 1519年 |
| 徳川 家康(松平 元康) | 1543年 |
後に松平元康(徳川家康)も教えることになる太原雪斎。
この点を考えると、日本で最も安定した政治機構である徳川幕府にも関与しているのが雪斎です。
後に、今川家の政治・軍事の中心人物となる太原雪斎は、今川義元の23歳年上でした。



私は臨済宗のことのみならず、
様々な知識を持っています。
この太原雪斎の際立った政治力・軍事力は、本人に一定のセンスがあったことが最大の理由です。
また、当時最先端の学問であった中国の文化・文明をある程度理解していた雪斎。


「孫子」や「呉子」などの戦略・戦術に関する書籍において、世界に先駆けていたのが中国です。
おそらく、太原雪斎の「政治・軍事能力の源泉」は、これらの「中国などからの書籍」だったでしょう。





私は、蘭学で
軍事学を研究し、ほぼ全て理解しています!
この点から考えると、後の明治維新の際に大活躍した大村益次郎と太原雪斎には類似性があります。
共に「最先端学問の研究から、軍事を学んだ」点が類似しており、「最先端の場所」が違っただけでした。
その一方、蘭学の猛勉強続けた大村益次郎青年と、漢学などを学んだ雪斎は大分異なる立場でした。
雪斎から漢学などの教授を受けた、まだまだ少年だった今川義元は、



なるほど・・・
仏教とはこういうもので・・・



文明が進んでいる
明(中国)では、このような学問があるのか・・・
後に18歳(数え年)で家督を継ぐ今川義元。
そのため、仏門で学んだ時期は、現在の幼稚園〜高校生でした。
この点では、大村益次郎のように高校生〜大学生・大学院生の時期に学んだのとは大きく異なります。
年齢から「学問の深さ」は浅かったと思われる今川義元少年でしたが、



広い世の中では、
こういうことが起きているのか・・・
若い少年時期に学んだからこそ、仏門において「人生の根幹が形成された」と考えます。



