前回は「北条氏康 3〜関東有数の勢力へ〜」でした。

初代伊勢宗瑞(北条早雲)から、バトンタッチされた氏綱。

名称氏綱は堅実に内政を固めて、財政基盤を作りながら、徐々に勢力を拡大してゆきます。

ある程度の規模の大名となり、権威が欲しいです。
しかし、伊勢氏は、武田信玄の武田家のように守護、あるいは守護代の家柄ではありません。

関東の国人たちを従わせるには・・・



武力以外に、権威が必要だ!
悩みに悩んだ氏綱。



そうだ!
名前を変えよう!
思い切って、名前を変えることを考えます。



伊勢ではなく、権威がありそうな名前は・・・
それこそ、関東管領の上杉氏を名乗りたいですが、すぐにバレてしまいます。



流石に、「上杉」というわけにはいかないしな・・・



良い名前はないかな。
そうだ!



「北条」だ!
「北条」と名乗ることに決めた氏綱。
もちろん、鎌倉幕府の執権・得宗であった北条家に、ちなんでです。



今日から「伊勢」氏綱ではなく、「北条」氏綱だ!



北条と名乗れば、鎌倉武士たちは馴染みがあるから、
従いやすいだろう!
この読みは、バッチリ当たります。
本拠地を伊豆の韮山から相模の小田原に移動し、「北条」と名前を変えた「北条」氏綱。
北条家は、猛烈な勢いで扇谷上杉氏を圧迫します。
武田信玄は生まれたばかりで、この頃父 信虎は割れていた武田家中で覇権を争っていました。





武田家は、内輪揉めが続いていて・・・



父 信虎が、甲斐の各所で戦よ。
武蔵へと侵攻して、その武力・経済力・「北条」の名前の3点セットで、どんどん関東武士を従えます。
ジワジワと勢力圏を、広げてゆく北条家。
のちに関東の覇王となった北条家は、鎌倉時代の北条家と区別するために「後」北条家とも呼ばれます。
いわば、早雲が創立し、氏綱が確固とした勢力圏を築き、さらなる飛躍を遂げた北条家。
ついに、1538年頃3代目の北条氏康が登場します。
まだ、織田信長は4歳の幼児、謙信は8歳の少年でした。





まだまだ、戦国の時代は、始まったばかりよ!
初代、二代目までは優秀だった北条家(伊勢家)を継ぐ三代目氏康とは、いかなる人物だったのでしょうか。