北条氏康 4〜伊勢から北条へ〜|戦国武将

前回は「北条氏康 3〜関東有数の勢力へ〜」でした。

北条 氏康(Wikipedia)

初代伊勢宗瑞(北条早雲)から、バトンタッチされた氏綱。

北条 氏綱(Wikipedia)

名称氏綱は堅実に内政を固めて、財政基盤を作りながら、徐々に勢力を拡大してゆきます。

関東勢力図:1527年頃(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

ある程度の規模の大名となり、権威が欲しいです。

しかし、伊勢氏は、武田信玄の武田家のように守護、あるいは守護代の家柄ではありません。

関東の国人たちを従わせるには・・・

武力以外に、権威が必要だ!

悩みに悩んだ氏綱。

そうだ!
名前を変えよう!

思い切って、名前を変えることを考えます。

伊勢ではなく、権威がありそうな名前は・・・

それこそ、関東管領の上杉氏を名乗りたいですが、すぐにバレてしまいます。

流石に、「上杉」というわけにはいかないしな・・・

良い名前はないかな。
そうだ!

「北条」だ!

「北条」と名乗ることに決めた氏綱。

もちろん、鎌倉幕府の執権・得宗であった北条家に、ちなんでです。

今日から「伊勢」氏綱ではなく、「北条」氏綱だ!

北条と名乗れば、鎌倉武士たちは馴染みがあるから、
従いやすいだろう!

この読みは、バッチリ当たります。

本拠地を伊豆の韮山から相模の小田原に移動し、「北条」と名前を変えた「北条」氏綱。

北条家は、猛烈な勢いで扇谷上杉氏を圧迫します。

武田信玄は生まれたばかりで、この頃父 信虎は割れていた武田家中で覇権を争っていました。

武田 晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

武田家は、内輪揉めが続いていて・・・

父 信虎が、甲斐の各所で戦よ。

武蔵へと侵攻して、その武力・経済力・「北条」の名前の3点セットで、どんどん関東武士を従えます。

ジワジワと勢力圏を、広げてゆく北条家。

のちに関東の覇王となった北条家は、鎌倉時代の北条家と区別するために「後」北条家とも呼ばれます。

いわば、早雲が創立し、氏綱が確固とした勢力圏を築き、さらなる飛躍を遂げた北条家。

ついに、1538年頃3代目の北条氏康が登場します。

まだ、織田信長は4歳の幼児、謙信は8歳の少年でした。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

まだまだ、戦国の時代は、始まったばかりよ!

初代、二代目までは優秀だった北条家(伊勢家)を継ぐ三代目氏康とは、いかなる人物だったのでしょうか。

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