隣国に「戦国最強野武士団」抱えた不運な朝倉義景〜一向宗と本願寺・戦国期の「異色の大勢力」一向宗徒の加賀・加賀に隣接した越前〜|朝倉義景2・人物像・エピソード

前回は「精強な一向一揆を退けた越前王・朝倉義景〜異様に評価が低い朝倉義景・戦国大名「最低レベルの評価」・京と近江の歴史変えた実力〜」の話でした。

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戦国大名 朝倉義景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

戦国期の「異色の大勢力」一向宗徒の加賀:加賀に隣接した越前

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一乗谷朝倉氏遺跡(新歴史紀行)

戦国期において、越前王として若狭を併呑した朝倉義景。

パソコンゲームなどで、「信長の野望」や「天下統一」など戦国ゲームは多数あり、ファンが多いです。

筆者も中学生・高校生の頃は、これらのゲームに夢中になりました。

武将名政治力戦闘力魅力
織田信長958898
武田信玄929696
足利義昭762496
浅井長政658283
朝倉義景463981
主な戦国大名の能力(信長の野望 武将風雲録:1570年頃)

例えば、1990年代初頭に大ブームとなった「信長の野望 武将風雲録」では上のような能力地です。

政治力・戦闘力共に最低レベルの朝倉義景。

「愚将筆頭」の扱いを受けている朝倉義景は、確かに優柔不断な点が目立ちました。

その一方で、加賀一向一揆に対して果敢に戦った戦国大名でもありました。

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1556-61年頃の勢力図(歴史人 2020年11月号 学研)

上の勢力図は、織田信長が「桶狭間」でデビューする頃の勢力図です。

目立つのが上杉家の膨大な領土ですが、これは一過性のものでした。

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戦国大名 上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
上杉謙信

この長尾景虎は、
上杉輝虎となったのだ!

関東管領の職務を引き継ぎ、意気揚々としていた上杉謙信。

猛烈な勢いで関東に攻め込んだ、謙信の話を上記リンクでご紹介しています。

1556年〜1560年頃、複数の領国を有する大名は限られていました。

三好家・武田家・毛利家・北条家・大友家・今川家など、守護大名の勢いが強い時代でした。

守護・守護代・国衆(地侍)出身大名
守護武田家・大友家・島津家・今川家・大内家
守護代長尾家(上杉家)・朝倉家・尼子家
国衆(地侍)三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家)
戦国期の大名の家柄:守護・守護代・国衆(地侍)

そして、この時代に「異色の大勢力」が北陸に誕生していました。

一向宗徒・門徒による加賀でした。

そして、この加賀に隣接した越前を拠点としたのが朝倉義景でした。

隣国に「戦国最強野武士団」抱えた不運な朝倉義景:一向宗と本願寺

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一乗谷朝倉氏遺跡(新歴史紀行)
一向一揆

俺たちは加賀国主だった
冨樫氏を追っ払ったのだ!

日本には古来から様々な宗教があり、ある意味で最も有名なのは真言宗と天台宗です。

真言宗を開いた空海と、天台宗を開いた最澄は同時期に生き、鎬を削った仲でした。

一向宗は親鸞が開いた浄土宗の一派であり、「真宗」または「一向宗」と呼ばれます。

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浄土真宗宗祖 親鸞(Wikipedia)

1173年に生まれ、1263年まで存命したと言われる親鸞。(諸説あり)

現在の年齢で「90歳まで生きた」親鸞は、当時かなりの長寿でした。

日本は公式には宗教は神道ですが、仏教の影響力は強く、古来から寺社が強力な存在でした。

神道は、日本発祥の宗教と言えますが、仏教は明らかにインドなど大陸から渡ってきた宗教でした。

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伝教大師・最澄(Wikipedia)

「伝教大師」と呼ばれる最澄は、天台宗を開いて比叡山延暦寺を建立しました。

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弘法大師・空海(Wikipedia)

「弘法大師」と呼ばれる空海は、真言宗を開いて高野山金剛峯寺を建立しました。

名前生年
最澄767年
空海774年
親鸞1173年
宗派の始祖たちの年齢

平安時代に当時、大帝国であった唐から入ってきた仏教が日本に広まりました。

最澄

我らの仏教を
天台宗と称する!

空海

我らの仏教は
真言宗なのだ!

そして、仏教は一気に日本に広まりました。

最澄と空海から300年ほど後に誕生した親鸞によって、浄土真宗・一向宗が生まれました。

親鸞

我が一向宗は、
他の仏教とは違う!

親鸞

誰でも念ずれば、
天国へ行けるのだ!

「後発」であるはずの、浄土真宗・一向宗は、瞬く間に日本全土に広がりました。

「一向」は「一筋に」や「ひたむきに」を意味します。

宗派寺院数
浄土真宗・一向宗19,000
曹洞宗14,000
真言宗12,000
浄土宗8,000
臨済宗6,000
日蓮宗4,900
天台宗4,500
昭和元年の全国寺院数(「新しい世界史の見方」謝世輝)

上の表は、昭和元年(1926年)の日本全国の寺院数の概算です。

とにかく、浄土真宗・一向宗が頭一つ飛び抜けているのが象徴的です。

親鸞

我が一向宗は、
皆で自治の国を作るのだ!

一向一揆

俺たちで
国を作るのだ!

そして、戦国期には、北陸・近畿・中部を中心として、暴れまわった一向宗門徒たち。

武士ではなく、農民も多かった軍団でしたが、「宗教の力」によって異常に士気が旺盛でした。

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戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
織田信長

一向宗の
門徒どもめが・・・

後に、天下最強軍団となった織田家ですら、手こずった相手が一向宗・本願寺でした。

朝倉義景

一向宗の
門徒は強すぎる・・・

いわば、「戦国最強野武士団」だった一向宗門徒たち。

「戦国最強野武士団」が作った「天国の国・加賀」の隣国・越前にあった朝倉義景は不運でした。

朝倉義景

・・・・・

その「不運さ」が「一生付きまとった」のが、義景の人生だったかも知れません。

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