前回は「精強な一向一揆を退けた越前王・朝倉義景〜異様に評価が低い朝倉義景・戦国大名「最低レベルの評価」・京と近江の歴史変えた実力〜」の話でした。

戦国期の「異色の大勢力」一向宗徒の加賀:加賀に隣接した越前

戦国期において、越前王として若狭を併呑した朝倉義景。
パソコンゲームなどで、「信長の野望」や「天下統一」など戦国ゲームは多数あり、ファンが多いです。
筆者も中学生・高校生の頃は、これらのゲームに夢中になりました。
| 武将名 | 政治力 | 戦闘力 | 魅力 |
| 織田信長 | 95 | 88 | 98 |
| 武田信玄 | 92 | 96 | 96 |
| 足利義昭 | 76 | 24 | 96 |
| 浅井長政 | 65 | 82 | 83 |
| 朝倉義景 | 46 | 39 | 81 |
例えば、1990年代初頭に大ブームとなった「信長の野望 武将風雲録」では上のような能力地です。
政治力・戦闘力共に最低レベルの朝倉義景。
「愚将筆頭」の扱いを受けている朝倉義景は、確かに優柔不断な点が目立ちました。
その一方で、加賀一向一揆に対して果敢に戦った戦国大名でもありました。

上の勢力図は、織田信長が「桶狭間」でデビューする頃の勢力図です。
目立つのが上杉家の膨大な領土ですが、これは一過性のものでした。

上杉謙信この長尾景虎は、
上杉輝虎となったのだ!
関東管領の職務を引き継ぎ、意気揚々としていた上杉謙信。
猛烈な勢いで関東に攻め込んだ、謙信の話を上記リンクでご紹介しています。
1556年〜1560年頃、複数の領国を有する大名は限られていました。
三好家・武田家・毛利家・北条家・大友家・今川家など、守護大名の勢いが強い時代でした。
| 守護・守護代・国衆(地侍)出身 | 大名 |
| 守護 | 武田家・大友家・島津家・今川家・大内家 |
| 守護代 | 長尾家(上杉家)・朝倉家・尼子家 |
| 国衆(地侍) | 三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家) |
そして、この時代に「異色の大勢力」が北陸に誕生していました。
一向宗徒・門徒による加賀でした。
そして、この加賀に隣接した越前を拠点としたのが朝倉義景でした。
隣国に「戦国最強野武士団」抱えた不運な朝倉義景:一向宗と本願寺





俺たちは加賀国主だった
冨樫氏を追っ払ったのだ!
日本には古来から様々な宗教があり、ある意味で最も有名なのは真言宗と天台宗です。
真言宗を開いた空海と、天台宗を開いた最澄は同時期に生き、鎬を削った仲でした。
一向宗は親鸞が開いた浄土宗の一派であり、「真宗」または「一向宗」と呼ばれます。


1173年に生まれ、1263年まで存命したと言われる親鸞。(諸説あり)
現在の年齢で「90歳まで生きた」親鸞は、当時かなりの長寿でした。
日本は公式には宗教は神道ですが、仏教の影響力は強く、古来から寺社が強力な存在でした。
神道は、日本発祥の宗教と言えますが、仏教は明らかにインドなど大陸から渡ってきた宗教でした。


「伝教大師」と呼ばれる最澄は、天台宗を開いて比叡山延暦寺を建立しました。


「弘法大師」と呼ばれる空海は、真言宗を開いて高野山金剛峯寺を建立しました。
| 名前 | 生年 |
| 最澄 | 767年 |
| 空海 | 774年 |
| 親鸞 | 1173年 |
平安時代に当時、大帝国であった唐から入ってきた仏教が日本に広まりました。



我らの仏教を
天台宗と称する!



我らの仏教は
真言宗なのだ!
そして、仏教は一気に日本に広まりました。
最澄と空海から300年ほど後に誕生した親鸞によって、浄土真宗・一向宗が生まれました。



我が一向宗は、
他の仏教とは違う!



誰でも念ずれば、
天国へ行けるのだ!
「後発」であるはずの、浄土真宗・一向宗は、瞬く間に日本全土に広がりました。
「一向」は「一筋に」や「ひたむきに」を意味します。
| 宗派 | 寺院数 |
| 浄土真宗・一向宗 | 19,000 |
| 曹洞宗 | 14,000 |
| 真言宗 | 12,000 |
| 浄土宗 | 8,000 |
| 臨済宗 | 6,000 |
| 日蓮宗 | 4,900 |
| 天台宗 | 4,500 |
上の表は、昭和元年(1926年)の日本全国の寺院数の概算です。
とにかく、浄土真宗・一向宗が頭一つ飛び抜けているのが象徴的です。



我が一向宗は、
皆で自治の国を作るのだ!



俺たちで
国を作るのだ!
そして、戦国期には、北陸・近畿・中部を中心として、暴れまわった一向宗門徒たち。
武士ではなく、農民も多かった軍団でしたが、「宗教の力」によって異常に士気が旺盛でした。





一向宗の
門徒どもめが・・・
後に、天下最強軍団となった織田家ですら、手こずった相手が一向宗・本願寺でした。



一向宗の
門徒は強すぎる・・・
いわば、「戦国最強野武士団」だった一向宗門徒たち。
「戦国最強野武士団」が作った「天国の国・加賀」の隣国・越前にあった朝倉義景は不運でした。



・・・・・
その「不運さ」が「一生付きまとった」のが、義景の人生だったかも知れません。


