長州藩士「異人の靴を頂いても薩摩とは和睦せぬ!」〜夢の薩長同盟・中岡慎太郎「飛躍しすぎ」の薩長同盟論・「無国籍人」脱藩藩士〜|維新風雲回顧録4・エピソード

前回は「高杉晋作「長州、尚男子あり!」〜馬関攻撃と新たな幕末維新の幕開け・馬関俗論党一掃した諸隊・「禁門の変から半年」長州藩士「薩賊」意識〜」の話でした。

目次

中岡慎太郎「飛躍しすぎ」の薩長同盟論:「無国籍人」脱藩藩士

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維新風雲回顧録(田中光顕 著、新歴史紀行)

明治新政府で、重役に就き続けた田中光顕の口述による「維新風雲回顧録」。

田中は、幕末維新時には土佐藩士であり、維新を「目の当たりにした」人物でした。

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
武市 瑞山1829土佐
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
坂本 龍馬1835土佐
中岡 慎太郎1838土佐
山縣 有朋1838長州
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
伊藤 博文1841長州
田中 光顕1843土佐
幕末維新の志士たちの生年

伊藤博文と同世代であり、維新の志士の中でも若手の高杉晋作、久坂玄瑞の少し年下だった田中。

土佐藩士であったため、当然、坂本龍馬、中岡慎太郎と接点が多かった田中光顕。

田中光顕は高杉晋作らとも親交があったため、高杉の実像を知るには、貴重な資料です。

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長州藩士 高杉晋作(国立国会図書館)
高杉晋作

馬関の俗論党を
一掃したぞ!

一時は「俗論党の天下」だった長州藩でしたが、高杉の猛烈なパワーで吹き飛ばしました。

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土佐脱藩藩士 中岡慎太郎(Wikipedia)
中岡慎太郎

倒幕のためには、
長州が薩摩と提携するしかない!

土佐勤王党の大弾圧により、1863年に早くも土佐藩を脱藩し、長州藩に身を寄せていた中岡慎太郎。

後世の視点から見れば、「脱藩」はカッコいいですが、当時は「無国籍人」を意味しました。

この点においては、「脱藩藩士」は「全く組織に守られない、立場が弱い」存在でした。

写真の通り、剛気で「組織に属さない」立場だった中岡慎太郎。

その一方で、当時の中岡の世間における立場は、「長州次第」である面があったはずです。

この点では、「自分の立場」のためにも、長州藩には「自分と似た考え」になって欲しかった中岡。

田中光顕

薩摩は前年、会津に味方して、
長州人に煮湯を飲ませた、というのが彼等の胸にある。

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禁門の変(Wikipedia)

中岡の主張の通り、「長州と薩摩が提携」すれば、巨大な同盟となるのは、当時は誰でも分かりました。

しかし、前年の「禁門の変」で真っ向から戦った長州と薩摩。

誰がどう考えても「長州と薩摩の同盟」は「ない」のが、当時の現実でした。

長州藩士「異人の靴を頂いても薩摩とは和睦せぬ!」:夢の薩長同盟

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上から反時計回りに島津久光、大久保利通、西郷隆盛、(国立国会図書館,Wikipedia)
藩・家石高
加賀・前田家120万石
薩摩・島津家77万石
仙台・伊達家62万石
尾張・徳川家(御三家)62万石
紀伊・徳川家(御三家)55万石
熊本・細川家54万石
福岡・黒田家52万石
安芸・浅野家42万石
長州・毛利家37万石
江戸期の藩の石高上位

当時、石高では、薩摩77万石、長州37万石でした。(諸説あり)。

長州は「大藩」でしたが、その一方で、「もっと大藩」は、当時は沢山ありました。

諸説ありますが、海に囲まれ肥沃な土地の長州は、開墾を進め、当時「実高100万石」と言われました。

上の石高は、江戸期初期の石高であり、幕末維新までの間に250年が経過していました。

この間、技術革新や経済成長があったはずで、どの藩も石高は江戸初期より大きく増加していたはずです。

それでも、長州藩の「実高100万石」は、やや誇張があると言え、「実高80〜85万石」程度と考えます。

それでも、「100万石近い」経済力を有していたと思われる長州藩。

「最大の藩」だった加賀藩は、江戸期を通じて元気がなく、おそらく経済成長も低かったと思われます。

それでも、幕末には実高140万石程度は「あったはず」の加賀藩でしたが、結局「蚊帳の外」となりました。

長州藩士S

異人の靴を頂いても、
薩摩とは和睦なぞ出来るものか!

長州藩士S

まして、提携など
思いもよらぬ!

田中光顕

とっても
つけぬ勢いだ。

長州藩士S

甲子の役に、討死した
亡友の手前、薩賊に援助を求めるなどは、

長州藩士S

いかにも恥入る
次第だ!

田中光顕

御楯隊総督 太田市之進なども、
公然と反対意見を主張していた。

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長州藩士 井上馨(Wikipedia)

ここで、この時期、まもなく大英帝国に密航留学する井上馨が登場します。

井上聞多

これは面白い
御意見だ!

井上聞多

死者に対して、和解は
出来ぬということであれば、

井上聞多

戦国時代にあって、敵国と和睦は出来ぬ
ことになる。

井上聞多

そんな理屈は
あるまい!

田中光顕

むきになって、井上聞多(馨)が
喰ってかかった事などもある。

この太田市之進と井上聞多(馨)のやりとりも、実に生々しいです。

とにかく、「薩長同盟など論外中の論外」だったのが、当時の長州藩士の思いでした。

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