前回は「一気に落魄した滝川一益〜清洲会議での羽柴vs柴田・「関東の新たな王」vs「関東のかつての王」・「地獄を見た」悪夢の上野と信濃の撤退戦〜」の話でした。

かつての敵地・信濃の「地獄の撤退戦」

織田家の家老であった柴田勝家・丹羽長秀・羽柴秀吉・池田恒興たちが集まった清洲会議。
事実上、勝家と秀吉の対決の場でした。

急速に落魄して、もはや落武者のようになっていた一益。

私は、
私の席は?
ところが、滝川一益は、清洲会議に参加していません。
「関東からの退却中で参加できなかった」説もあります。


上野から、わずか3ヶ月前に敵地であった信濃を通って「地獄の撤退戦」を切り抜けた滝川。



地獄を見た・・・
疲れた・・・
北条軍に大敗北を喫した滝川は、生命の危険を切り抜けました。
一気に落魄したとは言え、「討死しなかった」のは流石に往年の織田四天王の一人でした。
羽柴秀吉の謀略


滝川一益が清洲会議に「間に合わなかった」のか「出席できる立場でなかった」のかは諸説あります。
前者なら致し方ないでしょう。



私は
北条に大敗北を喫した・・・
後者ならば、一益の織田家における功績を考えれば、本来「出席するべき」立場であったでしょう。
真相は不明です。
「明確な柴田勝家側」の有力者・滝川一益が出席できぬよう、



滝川は完全な柴田党・・・
邪魔だな・・・
羽柴秀吉が仕掛けた謀略であったようにも感じます。



滝川は、
私のことが嫌いだ。
勝家と同様、古くからの宿老であった一益。
成り上がりの秀吉を嫌っていたのでした。



猿(秀吉)は
大嫌いだ!



滝川は
邪魔!



あいつは
参加させない!
滝川が「間に合わないように」秀吉が罠を仕掛けていた可能性も大きいでしょう。
大敗北喫して凋落した滝川一益


キラ星のごとく、優れた人材が多かった織田家。
それは、武田家・徳川家なども同様でしたが、織田家の武将は「頭ひとつ抜きんでいた」のが実情です。
中でも、武田信玄・上杉謙信・毛利元就らに匹敵する存在の織田四天王。
この織田四天王のうち、明智光秀は羽柴秀吉に討ち取られました。
そして、滝川一益は凋落してしまいました。
残りは羽柴秀吉と柴田勝家のみ、となってしまった織田四天王。



滝川が参加できないように
するのだ!



滝川は
排除だ!
北条相手に大敗北したとは言え、柴田勝家も上杉謙信相手に手取川で大敗北しました。
この時の大敗北の「一因を作った」とも言えるのは、「秀吉の独断の退陣」でした。
この点で、滝川の大敗北は本来「それほど責められる失態ではない」と考えます。
対して、秀吉は「敗けない」慎重な作戦行動により、大敗北は逃れてきました。
この点で、秀吉の「民衆の力をベースにした」戦いは、非常な強さを持っていたと言えます。
次回は上記リンクです。