滝川一益 12〜北条家と決戦へ 1〜|滝川家の結束

前回は「滝川一益 11〜奮起する一益〜」でした。

滝川 一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

双方の軍事力は、滝川軍18,000対北条家50,000(諸説あり)とも言われます。

豊穣な土地を有した北条軍は、「もっと大勢いた」という説もあります。

平地の多い上野付近で、この兵力差は決定的。

勝ち目としては、北条軍が士気が低い、統率者の軍事力が著しく低い、等しかありません。

北条氏政(Wikipedia)

あいにく、北条家は優れた武将も大勢おり、士気はむしろ高かったのです。

はっはっ〜!
我が北条の底力を見せつけよ!

しかも、上野は「かつては北条家の領国であった地域」です。

平坦な土地で、3倍の軍勢に対して、敵国で戦う。

30年前は「北条家の領土」であった上野。

しばらく北条の手を離れていたものの、北条家には「周辺の地形・地理を熟知した」侍大将級の武将が大勢いたでしょう。

神流川周辺(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻 学研)

「周辺の地理・地形」を合戦の前に、ほぼ完全に把握している北条家。

対して、3ヶ月ほど前に入国したばかりで、「自国の地理・地形を、ほぼ何も知らない」滝川家。

1570年台前半の「織田家膨張期」であれば、領土を支配しても「攻め込まれる可能性」がありました。

1572年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

実際に、朝倉討滅後に越前を支配した織田家は、一向一揆などの勢力に一度大反撃されます。

そして、越前の大部分からの撤退を余儀なくされています。

危ないところだった・・・

一向一揆の連中の、
強いこと・・・

柴田 勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

しかし、当時の織田家と今(本能寺の変直前)の織田家では「全くレベルが違う」状況です。

長年の強敵であった武田家、一向宗門とを叩き潰し、大きな敵は西の毛利と九州の諸勢力。

1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

北条家が従属していた状況では、どんどん関東を征服するしかない状況でした。

そのため、滝川一益は「統治する領土の管理」は後回しにしていました。

「攻め込まれる可能性が、ほぼ0%」の中、「攻め込むこと」のみを考えていたのです。

もはや、我が領土に攻め込むものなど、
考えられぬ。

これから攻める東関東の情報収集を重視し、佐竹などの情報を集めていたのです。

まずは、東関東を攻め取り、我が手で関東を
征服するのだ!

滝川を駆逐して、
関東を我が北条の手に!

上野に入国して、わずか3月・・・

まさか、攻め込まれるとは・・・・・

真田 昌幸(Wikipedia)

しかも、
真田昌幸も造反するとは・・・

比較的地盤のしっかりした真田が裏切った代償は大きく、他の国衆も雪崩打って、滝川の支配下を脱しました。

もはや、
どうにもならぬが・・・

絶体絶命のとき、信長は遁走して、「己の身を第一に」考えました。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長様だったら、
どうするか・・・・・

すでにこの世にいない信長の、ありし頃を思い出しながら、ひたすら考える滝川一益でした。

「進むも滝川、退くも滝川」と言われた軍略の際のある、滝川一益。

地形に特色があれば、
我が采配に自信がある!

ただし、長らく遊撃軍的立場だったため、18,000もの軍勢を一手に引き受ける経験は、それほど多くなかったのです。

少し戦線を引いて、
信濃寄りの山岳戦に持ち込むか・・・

平野か山岳か・・・

非常に厳しい状況ですが、
我らは一益様についてゆきます!

その中、伊勢以来の滝川家家臣団は、滝川一益についてゆく気持ちを固めていたのです。

有難し!

この絶体絶命の中、家中を統率していたとは、さすが長年の歴戦の士でした。

北条との
決戦の地はどこに?

ほんの僅かな可能性があれば、
それを広げてみせる!

大いに悩む滝川一益でした。

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