絶体絶命の中に希望の光を見出す滝川一益〜「3倍の敵の軍勢」と長篠の戦い・奮起した「勝つ決意」をした一益・「鉄砲の滝川」の矜持〜|滝川一益11・人物像・軍事能力・エピソード

前回は「光る滝川一益の瞳〜強力な家臣団を有していた北条家・歴戦の士と風魔一党・極めて高いプライド持っていた北条氏政・戦国の口火を切った北条〜」の話でした。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

絶体絶命の中に希望の光を見出す滝川一益

戦国大名 北条氏政(Wikipedia)

戦国時代の口火を切ったと言われる北条早雲(伊勢宗瑞)を始祖に持つ名門の北条家。

新歴史紀行
戦国大名 北条早雲(伊勢宗瑞)(Wikipedia)

伊勢宗瑞は「政所執事の伊勢氏の一派」という説もありますが、仮にそうだとしても「伊勢の主流」ではありません。

そして、関東で大きく勢力を伸ばし、守護でも守護代でもない家柄なのに「関東の王」となった北条家。

その四代目の北条氏政は、まさに「生まれながらの王族の長男」であり、プライドはかなり高い人物でした。

我が北条家は
関東の王なのだ!

信長のいない織田家など、
怖くもないわ!

滝川に教えてやろう!
関東の王は、滝川ではなく北条であることを!

北条家総力を上げた50,000に対して、18,000で決戦を挑む滝川軍。

北条軍は我が軍の
3倍ほどか・・・

平地の多い上野付近で、この兵力差は如何ともし難い軍事力の差でした。

な、なんの・・・
修羅場などいくつもくぐり抜けてきたわ!

絶体絶命の中に希望の光を見出す滝川一益でした。

「3倍の敵の軍勢」と長篠の戦い

神流川周辺(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻 学研)

ところが、「3倍の軍勢と戦って勝利する」ことは極めて困難です。

さらに「かつては北条家の領国であった」上野が決戦場です。

平坦な土地で、3倍の軍勢に対して、いわば「敵国」で戦う。

これは、完全に「絶望的な戦い」です。

かつて、「3倍の数の敵」に戦いを挑んだ武将がいました。

戦国大名 武田勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

長篠の戦いの時の、武田勝頼です。

長篠の戦いにおいては、数で圧倒的に勝り、さらに3,000丁と言われる鉄砲を有していた織田軍。

これだけで「圧倒的に有利」でしたが、信長は更に手を尽くして、「勝利を固める」方策に出ました。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

かなり巧妙に罠を仕掛けようと考えた信長は、「大掛かりな裏切り」を演出しました。

信盛よ・・・
偽装で織田を裏切って、勝頼を誘い出せ!

ははっ!
承知致しました。

「武田軍は無敵」と、3倍の敵である織田・徳川軍に勇んで戦いを挑んだ勝頼。

織田軍の中核は、商業が発達した尾張・美濃なので、農民の多い武田家よりも弱卒でした。

それもあって、「3倍の敵に挑んだ」若き勝頼は「勝つ自信」があったのでしょう。

織田・徳川が3倍いようが、
我が軍の方が強いに決まっている!

実際、若き勝頼は武田軍を率いて、周囲を暴れ回っていました。

この「勝利を確信していた」勝頼の元に、佐久間信盛の密使がやってきました。

織田家を
裏切ります!

織田家有数の武将、
佐久間信盛が寝返ったぞ!

これは、武田家に
風が吹いている!

血気はやる武田勝頼を武田家の宿老等はなだめ、織田との決戦に大反対しました。

武田家重臣 山県昌景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

武田家最強の武将とも言える、山県昌景。

佐久間の寝返りは、
偽装かと・・・

なんだと、
この勝機を逃すのか!

織田・徳川連合軍は
我が軍の倍以上の軍勢です・・・

さらに多数の鉄砲を
持っている情報があります・・・

織田・徳川連合軍に、
我が軍の勝ち目はありません・・・

この
臆病者めが!

この武田の旗を
前にして、そんなことが言えるのか!

「武田の旗」の前では、もはや山県昌景といえども「反論はできない」状況となりました。

・・・・・

我が武田も
終わりか・・・

分かりました・・・
明日は我が山県隊が先頭に立って突撃します・・・

明日が
我が命日か・・・

奮起した「勝つ決意」をした一益:「鉄砲の滝川」の矜持

長篠合戦図(図説豊臣秀吉 戎光祥出版 柴裕之編著)

山県の進言通り、佐久間信盛の裏切りは偽装でした。

さらに、後方を徳川家・酒井隊に立たれた勝頼。

騎馬隊全軍に突撃を命じます。

信長と家康の
首を獲るのだ!

武田騎馬隊は
天下最強!

ところが、織田家の鉄砲軍団に大惨敗します。

織田・徳川との決戦に反対した、山県昌景・馬場信春・内藤昌豊らの宿将が、ほぼ全員討死します。

なんと・・・
まずい戦をした・・・

しかし、
まだ武田は終わらぬ!

長篠の戦いは、武田家にとって文字通り致命傷となりました。

その後、武田勝頼は心機一転代替わりした諸将を率いて、周囲を暴れ回りました。

父・信玄の
版図を超えたぞ!

そして、信玄の時代の版図を超える大版図を築くも、1582年に織田家に滅亡させられました。

・・・・・

そして、武田勝頼自刃・武田家滅亡から、まだ3ヶ月ほど経過したこの時。

「同盟国」というより「従属国」であった北条が反旗を翻しました。

同様な兵力差とは言え伊勢衆中心の滝川家より、「関東武士」の北条家の方が強そうです。

「鉄砲隊が多い」と言われた滝川軍。

鉄砲隊を指揮する滝川一益(戦国合戦絵巻 ダイヤプレス)

長篠の戦いでも、鉄砲隊を指揮する滝川一益が描かれています。

私は「鉄砲の滝川」と
言われ・・・

我が軍には多数の
鉄砲がある・・・

膨大な数の鉄砲を装備しているならば、「3倍の兵力差」でもなんとかなりそうです。

長篠の時は、多数の鉄砲を持つ
我が織田家が3倍の軍勢だった・・・

今回は、それほど鉄砲で優勢ではなく、
逆に敵が3倍の軍勢・・・

これは
どうにも・・・

武田討滅後には、「東は滝川・徳川・北条に任せれば問題なし」と考えていた信長。

今は、
西の毛利対策が優先よ!

織田家の鉄砲の多くを、西へ回していました。

そのため、滝川軍の鉄砲の数は、それほど多くなかったのです。

どうにも、
どうにもならぬが・・・

滝川の奴を
一揉みに潰せ!

滝川よ!
我が北条と勝負せよ!

全ての悪条件が並ぶ中、滝川一益は奮起します。

なんとか
勝ってみせる!

後に引くことが決してできず、前に向かっても圧倒的な不利な状況。

それでもなお「鉄砲の滝川」の矜持をもって、戦うことを選びました。

絶望的状況においても、織田家四天王の一人として、敢然と立ち向かう決意をします。

新歴史紀行

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