滝川一益 13〜北条家と決戦へ 2〜|戦国武将

前回は「滝川一益 12〜北条家と決戦へ 2〜」でした。

滝川 一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

絶体絶命の滝川軍。

現実的には、「全面撤退」も考えたでしょう。

しかし、近畿圏ならまだしも、この関東という織田家にとって「アウェーすぎる」土地。

さらに、すでに旧武田領の甲斐・信濃が動乱状況にあると見られる中、撤退のしようもありません。

1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

1570年に、越前・朝倉家に攻め込んだ際に、後方の浅井長政の裏切りにあった信長。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

浅井長政が、織田を裏切っただと・・・

そんな馬鹿な・・・

浅井 長政(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長を討ち取れ!

前方の朝倉に後方の浅井に挟撃されては、
全滅必至!

逃げるぞ!

意気揚々と越前に攻め込んだ信長は、浅井家の裏切りを聞くと、飛ぶようにして退却します。

金ヶ崎侵攻路・撤退路(歴史群像シリーズ 図説戦国合戦地図集 学習研究社)

松永久秀を含む、非常に少人数で退却した信長。

この時は敵地とは言え、つい先日まで織田軍が進撃していたこともあり、ある程度状況を把握していました。

しんがりを務めたのは、羽柴秀吉でした。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

明智光秀や徳川家康も「退却戦に参加した」という話もありますが、定かではありません。

当時の信長・羽柴軍は、比較的危険が少ない若狭を経由した後は、「織田家の勢力範囲圏」にすぐ戻れました。

ふ〜。危なかった。

さらに、当時はまだ浅井・浅倉が健在とは言え、織田軍は非常に大軍だったので、「数に頼める」状況でした。

無事に退却したぞ!

信長の金ヶ崎の撤退戦と比較しても、周囲は完全に敵地あるいは「3ヶ月前まで敵地」です。

しかし、甲斐・信濃では武田旧臣が蜂起しており、危険極まりない状況です。

しかも退却ルートは絶対に信濃を経由しなければなりません。

長年の主・武田家を葬った滝川一益としては、猛烈な反発が予想されます。

なんと言っても、弱体化した武田勝頼にとどめを刺した張本人が、滝川一益です。

武田 勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

うかつに信濃など通過できぬわ・・・

軍勢を率いて撤退しようにも、信濃で武田残党に奇襲されるのは目に見えています。

そして、撤退中は軍勢を規則正しく指揮するのは難しく、信濃はよく知らない国です。

北条氏政(Wikipedia)

そこに出てきた、5万とも言われる大軍勢の北条軍。

そして、北条から追撃を受けたら、敗北必至。

撤退したところで、絶体絶命!

柴田が、もう少し近くにいてくれたら・・・・・

御館の乱後に非常に弱体化した上杉家相手に、猛烈な強さを誇る柴田軍は、押しに押していたのです。

柴田 勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

長年、仲良しの柴田勝家と滝川一益。

攻撃方面が近い勝家とは、よく書状で連絡を取っていました。

上杉は、もう一息よ!

柴田軍が上杉軍を、押しまくっている連絡を受けていました。

上杉 景勝(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

柴田軍は、上杉の魚津城を囲んでいるはずだな。

この上野からは遠すぎる・・・

柴田軍と我ら滝川軍が組めば、
北条など一蹴できるものの・・・

確かに、この頃の柴田軍と滝川軍を合わせれば、5万ほどの人数となり、指揮する将も北条家の上です。

どうにもならぬか・・・

唇をかむ一益でした。

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