滝川一益 3〜長年の猛将の感じた織田家の将来〜|本能寺の変

前回は「滝川一益 2〜織田家における大軍を統べる能力・立場〜」の話でした。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

関東管領:滝川一益

今回は「関東管領:滝川一益」の話です。

後世では地味に扱われている滝川一益ですが、早い時期から宿老の地位にありました。

本能寺の変の際は、滝川一益は職位としては柴田勝家と同様にかなり重いものでした。

羽柴・明智と「肩を並べる」というよりも、羽柴・明智よりも「かなり上」の立場であったでしょう。

当時の滝川一益を取り巻く状況です。

1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

この地図を見て分かりますように、織田家にとって滝川一益のいる上野は「アウェーすぎる」場所にあります。

まさに織田家にとって「縁もゆかりもない土地」です。

随分田舎に
来させられてしまった・・・

本能寺の変が起こった1582年6月。

この時は、武田家を滅亡させた同年3月から、たかだか3月しか経過していません。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

滝川家再編成

信長に命ぜられ、上野に「関東管領的立場」で入国した滝川一益。

一生懸命、
上様に尽くしてきたのに。

こんな田舎に
飛ばされてしまった・・・

なにはともあれ「東の押さえ」「東国の王」として、奮って入国したでしょう。

後北条氏は、織田家に従属的立場でした。

関東平定・上杉氏を南から圧迫した後に奥羽へと攻め上ってゆくことをイメージしていたかもしれません。

北条氏政(Wikipedia)

大大名たる北条氏が、滝川一益の寄騎的立場であれば関東平定はすぐです。

関東の覇王である、
我が北条家が・・・

新興の織田の下に
つかねばならぬとは・・・

大きな合戦をするまでもなく、佐竹他の諸大名も従属を申し出てくるでしょう。

そして、奥羽の伊達も織田家と比較的友好的立場でした。

残るは上杉ですが、こちらは柴田勝家率いる北陸方面軍だけでも十分で、一益が出撃する必要もなさそうです。

柴田勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

近畿圏の伊勢を領していた滝川家にとって、関東は「田舎」と言えば田舎。

一方で、鎌倉幕府があった「由緒ある土地柄」でもあります。

関東管領上杉憲政が領していた上野国は、文化的レベルも高かったのです。

そして、隣国武蔵は事実上2位の石高を持つ豊穣な土地柄です(広大な陸奥を除く)。

戦国期の国別石高(歴史群像シリーズ 1 織田信長 学研)

真田昌幸たちの新たな寄騎を迎えた滝川一益。

新たな滝川軍を
編成するのだ!

織田家を支えるために、領国移動と共に、家中の再編成を考えていたでしょう。

真田昌幸(Wikipedia)

「新たな滝川家」を
つくるのだ!

滝川一益の眺めた将来:本能寺の変

信長よりも高齢だった滝川一益。

やっと
ここで一息つける

内心思っていたでしょう。

自らが苦闘する戦場にはもう出ることはなく、安寧な気持ちで眺めていたかもしれません。

猛将としての自分の人生の先を。

中央から一気に「アウェーの地=関東」に来たとは言え、他の諸将も似たような状況です。

長年にわたり一緒に織田家の柱となった盟友とも言える柴田勝家は越中にあり、比較的近いです。

徳川と北条がいれば、もはや自分が何か苦労をすることはなさそうです。

家康殿は、
まだ若くて活発な動きができるだろう・・・

私もだいぶ歳をとったから、
徳川と北条に任せるか・・・

さらに、万一苦戦しても、柴田勝家との共闘も出来そうです。

元亀の頃のような、
死闘はなさそうだ。

もう少しで上様(織田信長)の世となる。
平穏な人生が送れるのだ。

と考えた一益。

そしてその思いは現実となったでしょう。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)

本能寺の変さえなければ。

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