滝川一益 2〜織田家における大軍を統べる能力・立場〜|戦国武将

前回は「滝川一益 1〜卓抜した調略と軍事能力〜」の話でした。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

四天王の一人 滝川一益は羽柴・明智・柴田に比べると知名度はだいぶ劣り、地味ですらあります。

織田四天王

これは、羽柴・明智・柴田が本能寺の変後、それぞれ雌雄を決したのに対し、滝川一益が冴えなかったからでしょう。

滝川は、北条軍に神流川の戦いで敗れて立場が著しく失墜します。

そして、その後、大きな戦績もあげられずに羽柴秀吉に降伏したのが大きな理由でしょう。

「信長の野望」シリーズでも、さほど高い能力を与えておられず、羽柴・明智より、かなり劣る扱いです。

滝川一益の能力は実際はどうだったのでしょうか。

鉄砲隊を指揮する滝川一益(戦国合戦絵巻 ダイヤプレス)

織田家勃興期には伊勢へ侵攻し、その後は主要な戦いに多く出陣し、鉄砲を中心にたくさんの功績を挙げました。

1582年の武田侵攻戦では信長の長男の織田信忠を補佐し、事実上の最高指揮官として辣腕を振るって武田勝頼を討滅します。

武田勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

その後、関東鎮撫役(関東管領的立場)となり、織田家の東国差配を任されます。

滝川一益の軍事的能力は際立ち、調略等の智略も高い人物で、早くから宿老として活躍していました。

信長は、秀吉同様に出自の分からぬ一益を非常に重視し、重用していました。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

一益は非常に使える!

甲賀出身らしいが、忍者との関係あるのか?
調略がうまい。

見方によっては「大軍を統べる立場」というと、羽柴・柴田・明智・佐久間・丹羽に一歩遅れていたようにも感じます。

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

関東鎮撫役前の一時期、滝川は丹羽同様に、遊撃軍的な立場でした。

「退くも滝川、進むも滝川」と
言われたんだぞ!

大軍を率いて「その方面の王・将軍」のような立場になるのは、1582年の武田討滅戦以前は少なかったように感じます。

一時は織田家最大軍団を率いた佐久間信盛の方が、大軍を統べる事は得意だったかもしれません。

佐久間信盛(Wikipedia)

軍事・調略等「卓越した個人的能力」の一方で、大人数を率いる力量面としては佐々成政等と似た特性を持つ武将のようにも感じられます。

佐々成政(歴史人2016年12月号 KKベストセラーズ)
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