昭和天皇の陸軍「けしからん」発言〜「朕の軍隊」勝手に動かした陸軍・「宇垣内閣潰し」関与していない昭和天皇・解釈困難な大日本帝国憲法〜|昭和天皇独白録21・昭和の真実

前回は「曖昧「聞きおく」が惹起した誤解事件〜参謀総長と陸相と外相の不一致・昭和天皇「総理大臣にしてはならぬ」宇垣一成・跋扈した大島+白鳥〜」の話でした。

目次

「宇垣内閣潰し」関与していない昭和天皇:解釈困難な大日本帝国憲法

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昭和天皇独白録(文藝春秋)

「昭和天皇独白録」において、昭和天皇は「真の昭和の歴史」を語っています。

昭和天皇が崩御した翌々年の1991年3月10日に出版された「昭和天皇独白録」。

回数独白日時
第一回昭和21年(1946年、以下同)3月18日10:15-12:45
第二回3月20日15:00-17:10
第三回3月22日14:10-15:30
第四回4月8日16:30-18:00
第五回4月8日20:00-21:00
昭和天皇が独白した日時

おそらく昭和天皇が語った「全て」ではなく、「一部を抜粋した」昭和天皇独白録。

「公に出来ない」ことも、「昭和天皇は語った」と推測します。

とにかく、「昭和の裏の歴史」というより「昭和の表の歴史」を正直に語った昭和天皇。

様々な人物に対する「寸評」とも取れる発言も多数あり、実に興味深い、貴重な書籍です。

昭和天皇独白録

宇垣を首相にしてはならぬ、
という昭和天皇の発言は実に意味深長である。

昭和天皇独白録

昭和十二年の宇垣内閣流産の陰に、
昭和天皇の意思が働いたのであろうか。

このように、昭和天皇独白録の注は「昭和天皇の発言」に適宜注釈を加えている点も重要です。

この「注釈」は、誰が行なったかは不透明である部分がありますが、実に的確です。

ここで「内閣流産」という言葉は、現代では不適切である可能性がありますが、原書に従いました。

当時は、陸軍次第で、いくらでも内閣が「流産=不成立」した時代でした。

この「宇垣内閣を潰したのが昭和天皇なのか?」は、実に重要な問題です。

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄
軍隊国民に兵役義務交戦権否定
日本国憲法と大日本帝国憲法

大日本帝国憲法において「主権は天皇」と明記されている異常、国家元首は天皇でした。

大日本帝国憲法を「西洋流の解釈」すると、どう考えても天皇が強力な権限を持っています。

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左上から時計回りに、Adolf Hitler独総統、Winston Churchill英国首相、Franklin Roosevelt米大統領、J.Stalinソビエト連邦指導者(書記長)(Wikipedia)

第二次世界大戦の時は、大日本帝国以外の大国は、全て「意思決定者が極めて明確」でした。

ところが、昭和天皇の権限は極めて限られていました。

この点において、大日本帝国憲法は、解釈困難な憲法でした。

筆者は、「宇垣内閣不成立」には、昭和天皇は直接関わっていないと考えます。

昭和天皇の陸軍「けしからん」発言:「朕の軍隊」勝手に動かした陸軍

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万里の長城(新歴史紀行)
昭和天皇独白録

それはともかく、
昭和十三年七月十一日・・・

ここで、「昭和天皇独白録」の注記では「それはともかく」と正直に語っている点も注目です。

昭和天皇独白録

豆満江北岸の張鼓峰での
日ソ軍衝突の際、天皇は明確な統帥命令を下している。

昭和天皇

元来、陸軍のやり方は
けしからん。

昭和天皇

満洲事変の柳条湖の場合といい、
今回の事件の最初の盧溝橋のやり方と言い・・・

昭和天皇

中央の命令には全く服しないで、
ただ出先の独断で・・・

昭和天皇

朕の軍隊として、あるまじきような卑劣な方法を
用いるようなこともしばしばある。

昭和天皇

まことに
けしからん話であると思う。

昭和天皇

この度は、そのようなことが
あってはならんが・・・

昭和天皇

今後は朕の命令なくして
一兵でも動かすことはならん。

この昭和天皇の言葉は「西園寺公と政局」から引用しています。

二度も「けしからん」と陸軍に対して、言明していた昭和天皇。

とにかく激烈なまでに、陸軍を批判していた昭和天皇。

「朕の軍隊=昭和天皇の軍隊」であるにも関わらず、「中央・昭和天皇の命令を聞かない軍隊」でした。

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石原莞爾 参謀本部第一部長(別冊 1億人の昭和史1930年 恐慌と軍拡のはざまで 毎日新聞社)

この「けしからん」陸軍の急先鋒は、満洲事変を独断で引き起こした石原莞爾でした。

ところが、満洲事変後は、石原は比較的穏当派となりました。

その一方で、「中央の言うことを聞かない」陸軍は、「歯止めがない軍隊」となってゆきました。

昭和天皇の陸軍に対する、「まことにけしからん」と言う発言は極めて重要でした。

支那事変の初期の頃、昭和十三年から十五年頃、「けしからん」陸軍はいよいよ増長しました。

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日独伊三国同盟(Wikipedia)

そして、日独伊三国同盟もまた、「けしからん」陸軍がもたらしたものとも言えます。

昭和十三年頃、三十代後半だった若き昭和天皇。

おそらく、後から見て「けしからん」ではなく、日独伊三国同盟当時も「けしからん」と思っていたのでしょう。

「国家元首」である昭和天皇が、「けしからん」と考える陸軍首脳を「全て消す」ことが出来たら。

この仮定に立った時、昭和の日本の歴史は「全く異なる歴史」となったでしょう。

ところが、昭和天皇は「けしからん」陸軍首脳を消す実権を持っていない、不思議な国家元首でした。

そして、「けしからん」陸軍は、敗戦までずっと跋扈し続けたのでした。

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