前回は「過激派コンビ「大島浩+白鳥敏夫」の三国同盟推進〜昭和天皇「軍事同盟反対」・支那事変「うやむや」と同盟対象国・日露戦争20年とソ連との良好関係〜」の話でした。
昭和天皇「総理大臣にしてはならぬ」宇垣一成:跋扈した大島+白鳥

元陸軍軍人で、ナチスと異様なまでに親しかった大島浩 駐ドイツ大使。

そして、外交官の立場ながら、異様に過激な思想を持っていた白鳥敏夫 駐イタリア大使。

第一次近衛内閣では、宇垣一成が外相でしたが、大島や白鳥を抑えることは困難でした。
| 名前 | 生年 | 出身 |
| 宇垣 一成 | 1868年 | 陸軍 |
| 大島 浩 | 1886年 | 陸軍 |
| 白鳥 敏夫 | 1887年 | 外務省 |
大島から見れば、直属の陸軍の大先輩であり、白鳥にとっても、20年近い大先輩の宇垣外相。
ところが、若手の大島と白鳥は、独自行動を行い、日独伊三国同盟に向けて推進しました。

昭和天皇独白録で、昭和天皇は、「昭和の真の歴史」を様々語っています。
昭和天皇軍人がバッコして
大局を考えず・・・



進むを知って
退くことを知らなかったからです。
軍人が「跳梁跋扈していた」事実を明確に語った昭和天皇。
「軍人がバッコ」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



外務大臣の宇垣一成は、一種の
妙な癖がある。



彼は私が曖昧な事は嫌いだという事を
よく知っているので・・・



私に対しては、明瞭に物を言うが、
他人に対してはよく・・・



聞きおく。



と言う
言葉を使う。



「聞きおく」と言うのは、成程その通りに
違いないが・・・



相手方は場合によっては「承知」と
思い込むことがありうる。



宇垣は三国同盟(三国事件か?)にも
関係あったと聞いているが・・・



これも恐らくは、この曖昧な言葉が
祟ったのではないか。



この様な人は
総理大臣にしてはならぬと思う。
確かに、「宇垣総理」の動きがあった当時。
結局、「宇垣総理」は「身内の陸軍の反対」で、成立しませんでした。
そして、確かに「聞きおく」という言葉は、現代は使いませんが、意味としては不明瞭です。
「聞いておきます」とも取れる一方、昭和天皇が言う通り「承知」とも取れなくはないです。
こういう曖昧な人物が外務大臣であった間に、大島・白鳥らが暗躍していました。
曖昧「聞きおく」が惹起した誤解事件:参謀総長と陸相と外相の不一致





この曖昧な言葉が、
間違いを惹起した事件がある。



それは、十三年七月に起こった
張鼓峯事件である。
昭和天皇が危惧していた「宇垣の曖昧さ」が事件を惹起した、と説明する昭和天皇。



宇垣がきて、ソ満(ソ連と満洲を指す)国境
張鼓峯のことを報告し・・・



陸軍がここを急襲する計画があるが、
内閣はこれに反対である。



旨を
話した。





しかるにその翌日、閑院宮参謀総長が来て、
急襲を実施する旨を告げて帰った。



急襲を
実施します!
宇垣外相が反対しているのに、閑院宮参謀総長は真反対の「急襲します」でした。
これは、いかに「陸軍の長老」である宇垣でも、「宮様」相手では歯が立ちませんでした。





即刻、板垣陸軍大臣が
やってきて、



この急襲案は、宇垣外務大臣も
賛成したものである。



と言うことを
話した。
色々な人が、「正反対のことを言う」事態に、昭和天皇は戸惑ったでしょう。
| 名前 | 職責 | 生年 |
| 閑院宮載仁親王 | 参謀総長 | 1865年 |
| 宇垣 一成 | 外務大臣 | 1868年 |
| 板垣 征四郎 | 陸軍大臣 | 1885年 |
閑院宮は、陸軍幼年学校を卒業した後、フランスへ留学してサン・シール陸軍士官学校を卒業しました。
それに対して、宇垣、板垣は、共に国内の陸軍士官学校卒業ですが、皆が同様に「陸士」卒業でした。
ところが、「敵を急襲する」という大事を前に、「言うことが全然違う」事態を引き起こしました。



これによると、宇垣は私には、はっきり反対の
旨を言明しながら・・・



板垣に対しては、賛成とも解し得らるる
例の・・・



聞きおく。



と言うことは、賛成ではなくても
意義なし、だな・・・



の手を使ったので、板垣は之を
賛成少なくとも意義なしと解釈したものらしい。
「聞いておく」という意味に過ぎない「聞きおく」が、大変な事態を引き起こしました。



張鼓峯の急襲は之で
沙汰止みとなったが・・・



その後、ソ連の方から
射撃して来たので、一戦に及んだ様である。
一度は、急襲に対して、陸軍統帥の長であった閑院宮参謀総長が「やる」と明確に言いました。
ここで、「参謀総長の意思を政府が止める」のは、統帥上難しいはずでした。
さらに、「宮様」であり、如何なる陸軍軍人を超越した存在であった閑院宮参謀総長。
宇垣「聞きおく」が引き起こした誤解は、おそらく「有耶無耶のうち」に流れたのでしょう。
後世の視点から考えると、軍の統帥として「異様」な状況が、当時の帝国陸軍にはありました。


