前回は「「陸軍のロボット」板垣征四郎と「泥田に足を突っ込んだ」帝国〜政府を振り回し始めた帝国陸軍・大日本帝国の運命決めた支那事変〜」
支那事変「うやむや」と同盟対象国:日露戦争20年とソ連との良好関係

(WIkipedia)
現代、「1937年勃発」と表現されることが多い、支那事変・日中戦争。
その実態は、1931年の満洲事変に起因しています。
現代、第二次世界大戦・大東亜戦争・太平洋戦争と呼ぶことが多い、この時の戦争。
昭和末期頃頃から、「アジア太平洋戦争」という呼称も生まれました。
さらに、「1931年から1945年」という意味で、「十五年戦争」という呼称もあります。
筆者は、「十五年戦争」という呼称は、「分かりにくい」点で最も相応しくないと考えます。
その一方で、「満洲事変以降が戦争」という視点は正しいと考えます。
敗戦翌年に昭和天皇が語った「昭和天皇独白録」にて、当時の事実を明瞭に語る昭和天皇。

昭和天皇支那事変は、遂にのっ引きならぬ泥田に
足を突っ込んで仕舞った。



そこで国内人心転換策として
新たに日独伊三国同盟を締結し・・・



国民の敵愾心を英米に振り向け、
支那の方はうやむやにして終わろうという・・・



面白からぬ空気が陸軍部内に
起こった。
当時、帝国政府を引っ張り回していた陸軍は「支那事変うやむや」を目論みました。
その目論見の一つが、「国内人心転換策=日独伊三国同盟」と語っている昭和天皇。
この点は、「昭和天皇の視点」ですが、極めて重要な証言と考えます。



同盟の対象が近衛、平沼(麒一郎)の肚では、
ソ連であった事は確かだが・・・



陸軍省事務局あたりになると、
ソ連と同時に英米を含めて対象としていた。
当時、陸軍部内では、ソ連、英米などもまた同盟対象として検討していました。
これは当然のことであり、根幹となる政策では、全てを検討すべきです。
ここで、「ソ連が英米より先」という状況が重要です。


この時期は1938年頃で、その23年前には日露戦争で死闘を演じた日本とロシア・ソ連。
それにも関わらず、ソ連とは比較的良好な関係であったのが、当時の日本でした。
過激派コンビ「大島浩+白鳥敏夫」の三国同盟推進:昭和天皇「軍事同盟反対」


当時、共産主義を世界中に広めることを目論んでいたソ連を率いたのがスターリン書記長でした。
ソ連はその目論見通り、後に中国で中華民国を追い出して、中華人民共和国を設立に大きく関与します。
ここで、「一時は首相になりかけた」宇垣一成が登場します。





近衛第一次内閣の外相宇垣(一成)は、
陸軍と調子を合わせる為、



対象は主として
ソ連なり。



という言葉を
使った。



宇垣は独逸から連絡の為に帰ってきた
笠間(笠原幸雄か)武官にこの言葉を使ったので・・・



笠間は帰任して、大島(浩・駐ドイツ大使)、
白鳥(敏夫・駐イタリア大使)に之を伝えた・・・



為に出先では、英米に対しても
敵対策動を開始したのである。
ここで、大物外交官である大島浩と白鳥敏夫が登場します。


元々は陸軍軍人であった大島浩は、駐ドイツ大使として、「陸軍の流れ」で外交しました。



私は陸軍軍人なので、
外務省より陸軍が大事です!
見方によっては、外務省無視で独断専行が目立った大島浩・駐ドイツ大使。


白鳥敏夫は生粋の外交官ですが、かなり過激な人物であり、活発な動きをしていました。
この大島・白鳥ラインで、日独伊三国同盟が推進されることになります。
| 名前 | 生年 | 出身 |
| 宇垣 一成 | 1868年 | 陸軍 |
| 大島 浩 | 1886年 | 陸軍 |
| 白鳥 敏夫 | 1887年 | 外務省 |
ほぼ同年だった大島浩と白鳥敏夫は、性格が似ていたこともあり、大いに共鳴した同志でした。



昭和十一年十一月、
広田内閣の時・・・



共産主義の破壊に対する防衛のため、
秘密裏に、いわゆる「日独防共協定」が締結された。



これは、当時の在ドイツ陸軍武官大島浩と
ナチス党の外交顧問リッベントロップとの話し合いに端を発した。


後に、ドイツ外務大臣となるリッベントロップは、大島浩と「日独防共協定」を推進しました。



この協定をさらに、中国の権益を巡って
対立の色を濃くしてきた英米を対象とする”軍事同盟”にまで・・・



発展させようとする陸軍の強い意向から、
近衛第一次、平沼内閣と激論が日本の上層部で繰り返された。



昭和天皇は、軍事同盟には
反対であった。
昭和天皇独白録は、「昭和天皇は軍事同盟反対だった」と明確に表現しています。



十三年から十四年にかけて
日本は大いに揺れた。



しかし、国民にその実情は
伝えわってはいなかった。
「日本国民(当時は、臣民)」不在で、勝手に議論が進められた日独伊三国同盟。
そもそもは、「日独防共協定が始まり」であり、「日独防共協定」によって日本は足を踏み入れました。
「米英との戦争」という世界に、大日本帝国の片足を。

