前回は「「部下が上司決裁を次々却下」の帝国陸軍〜武藤章「閣下と同じこと」・支那事変「拡大vs不拡大」で割れた帝国陸軍・対等の陸軍省と大本営〜」の話でした。
「陸軍が政権運営」の帝国政府:奇妙で不思議な国家運営と無力な広田外相

(WIkipedia)
昭和の日本が「泥沼にはまる」ことになった支那事変。
後世の視点から、「日中戦争」と呼ばれることもありますが、日中共に「宣戦布告なし」でした。
そのため、実態は「戦争」でありながら、「事変」と呼ばれ続ける奇妙な事態が続きました。

戦後間もなく「昭和の真の歴史」を語っていた昭和天皇。
昭和天皇私は威嚇すると同時に
平和論を出せと云ふ事を・・・



常に云っていたが、参謀本部は
之に賛成するが、陸軍省は反対する・・・
昭和天皇は、支那事変の状況を極めて重く考え、「不拡大」の方針を当初から取っていました。





上海へは兵力を
増強しません!
ここで、「昭和天皇の意に反する」形でしたが、当時の石原莞爾第一部長は、「不拡大」派でした。





私たちは満洲事変の
時の閣下と同じことをしているのです!
それに対して、石原の部下である武藤章軍務課長は、「堂々と上司に反旗を翻す」事態でした。


時の外相は、元首相である広田弘毅でしたが、陸軍を抑えきれない状況でした。
| 名前 | 生年 | 役職 |
| 広田 弘毅 | 1878 | 外相・元首相 |
| 杉山 元 | 1880 | 陸軍大臣 |
| 木戸 幸一 | 1889 | 内大臣 |
| 石原 莞爾 | 1889 | 大本営・陸軍作戦部長 |
| 近衛 文麿 | 1891 | 総理大臣 |
| 武藤 章 | 1892 | 陸軍省軍務課長 |
| 昭和天皇 | 1901 | 天皇 |
外国から見れば、「どのように国家運営がなされているのか」が極めて不明瞭でした。
当時の、大日本帝国は、極めて「不思議な状況」となっていました。
当時の大日本帝国は、「陸軍が政権を運営していた」ような奇妙な状況が続いていたのでした。
独トラウトマン主導の日中和平工作:昭和天皇と蒋介石が望んだ日中和平


ここで登場するのが、トラウトマン駐中国ドイツ大使です。
支那事変勃発の1837年の前年1836年に、日独防共協定を締結し、急速に近づいていた日独。



JapanとChinaが揉めるのは、
我がGermanyにとって思わしくない・・・
根っからの外交官であったトラウトマンは、各国の大使館に勤務し、世界情勢に通じていました。
東京のドイツ大使館参事官も務めた事があり、日本通でもあったトラウトマン。
その後、ドイツ公使として北京駐在、次いで南京公使・ドイツ大使となりました。
この頃、北京は大日本帝国が支配下に治めていたため、蒋介石は南京を首都にしていたのが理由です。



この私が日中和平工作を
進めよう・・・
こうして、ドイツ公使トラウトマンが進めた日中和平工作を「トラウトマン工作」と呼びます。



駐中国ドイツ大使トラウトマンが
仲介した日中和平工作は・・・



昭和十二年(1937年)12月に
大きく進展した。



7日、蒋介石は日本側の和平条件を
基礎にした日中会議を開くことを・・・



トラウトマンに
通告した。





承知した・・・
日本と和平交渉しよう・・・
日本に留学経験があり、日本語も達者だった蒋介石中国国民政府主席。
蒋介石は「和平に応じる」姿勢を、明確に見せました。



この報を広田弘毅外相から
聞いた昭和天皇は・・・



よかったね。



と、嬉しそうに
うなずいた。
大日本帝国のトップである昭和天皇が、明らかに望んでいた日中和平。
そして、中国側の蒋介石もまた、「和平前提」で交渉に臨む姿勢を明確にしていました。



おお、これは
予想外にうまく進んだ・・・



私の和平のタイミングと
戦略が功を奏したようだ・・・
おそらく、トラウトマン独大使は、このように感じて、「日中和平前夜」を喜んでいたでしょう。





ここは、徹底的に
蒋介石を叩くべきです!



が、このとき既に参謀本部は
松井石根軍司令官の強い意見具申にもとづき、



南京攻略の
命を下していた。
日中両国のトップであった、昭和天皇と蒋介石の両者が明らかに望んでいた「日中和平」。
その「両国のトップが望む和平」を無視して、相手国の首都を攻略する命令を下した参謀本部。
西洋の諸外国では「あり得ない事態」が進行し続けていました。
この「異形の国家」こそが、当時の大日本帝国でした。

