前回は「昭和天皇「威嚇+平和論」即却下した石原莞爾〜盧溝橋事件が開いた未来・「つまらぬ争いから起こった」支那事変・太平洋戦争とアジア太平洋戦争〜」の話でした。
支那事変「拡大vs不拡大」で割れた帝国陸軍:対等の陸軍省と大本営

(WIkipedia)
戦前の大日本帝国にとって、支那事変は「全ての終わりの始まり」でした。
「日中戦争」とも呼称される支那事変は、「日本、中国双方が宣戦布告しなかった」奇妙な戦争でした。
この「宣戦布告をしなかった」点に関しては、様々な思惑があり、
帝国陸軍軍人S支那事変は、きちんと
宣戦布告すべきであった・・・
このように「宣戦布告すべきであった」という声も多数あります。
現代、「日中戦争は1937年開始」とする歴史が多いですが、実際は「満洲事変が端緒」です。
1931年に満洲事変が勃発し、その結果、大日本帝国は国際連盟脱退し、孤立化の道を突き進みました。
この観点から考えれば、「日中戦争は1931年開始」の視点もまた正しい視点となります。
いずれにしても、「大日本帝国没落への道」となった支那事変。





私は威嚇すると同時に
平和論を出せと云ふ事を・・・



常に云っていたが、参謀本部は
之に賛成するが、陸軍省は反対する・・・



多分、軍務局で
あろう・・・



妥協の機会をここでも
取り逃した・・・
盧溝橋事件勃発当時、昭和天皇は、明確に「支那事変不拡大」の姿勢を取りました。
| 帝国陸軍 | 支那事変への方針 |
| 陸軍省 | 不拡大 |
| 大本営 | 拡大 |
当時は、陸軍省と大本営で権限が完全に分かれていたのが、大日本帝国の国家像でした。
当時の米英独ソのどの国においても、「軍部は政治の下」でした。


ところが、「天皇=大元帥」であり、「政府と軍部・大本営が同格だった」のが帝国の姿でした。


この頃、陸軍大臣であった杉山元は、猛烈な「拡大派」でした。
既に、軍部・大本営は「天皇の意向すら無視する」異常事態に突き進んでいました。
「部下が上司決裁を次々却下」の帝国陸軍:武藤章「閣下と同じこと」





上海へは兵力を
増強しません!
「不拡大」方針だったものの、兵力が少なかった帝国陸軍を懸念した昭和天皇。
ところが、昭和天皇の「間接的要請」を、当時参謀本部第一部長であった石原莞爾は却下しました。



それから、南京陥落後、
ドイツ大使仲介の和平工作が行われたが・・・



幣原(喜重郎)から聞く所によると、
この時の日本案なるものは・・・



宋美齢(蒋介石夫人)が
握りつぶして・・・



蒋介石の手には
届いていなかったらしい・・・



それに畑(俊六=松井石根の誤り)軍司令官が
強気だったので・・・



ここでも亦妥協の好機を
失い・・・



日本軍は漢口攻略へと
前進した・・・
頭脳明晰で、当時のことを明確に記憶していた昭和天皇でしたが、畑俊六と松井石根を間違えました。
この点は若干不思議であり、当時、南京陥落の凱旋将軍として超有名だった松井石根。
その松井と畑を昭和天皇が「勘違いした」とは考えにくい、と思います。
ただ、昭和天皇が「意図的に人物名を変えた」とも考えにくいです。
この点から考えると、当時あまりに大混乱であったため、昭和天皇が「誤認した」のが事実と考えます。
それほど、当時の支那事変勃発は、当時の日本の政界・軍部に激震を与えたのでしょう。
ここで登場する「宋美齢(蒋介石夫人)」は、「ウルトラ超反日」で有名な人物です。
米国の大学を卒業し、英語ペラペラだった宋美齢は米国で盛んに「反日キャンペーン」を行いました。



参謀本部の作戦部長
石原莞爾の事変不拡大方針に・・・



正面から反対したのが
陸軍省軍務課長・武藤章であったことは・・・



知られている
通り・・・


後に陸軍省軍務局長となり、A級戦犯になった武藤章が、上司・石原莞爾に反対しました。



怒る
石原に、



私たちは満洲事変の時の
閣下と同じことをしているのです!



・・・・・



と、軽く武藤が
いなした話も有名である・・・
| 名前 | 生年 | 役職 |
| 杉山 元 | 1880 | 陸軍大臣 |
| 木戸 幸一 | 1889 | 内大臣 |
| 石原 莞爾 | 1889 | 大本営・陸軍作戦部長 |
| 近衛 文麿 | 1891 | 総理大臣 |
| 武藤 章 | 1892 | 陸軍省軍務課長 |
| 昭和天皇 | 1901 | 天皇 |
「昭和天皇が統帥」しているはずなのに、昭和天皇の言うことを聞かなかった帝国陸軍。
帝国陸軍を会社とすれば、昭和天皇は会長兼社長であり、石原莞爾は部長に当たりました。



会長兼社長(天皇)決裁は
この石原部長が却下!
石原莞爾部長は、会長兼社長決裁を却下しました。



石原部長の決裁は
この武藤課長が却下!
そして、課長だった武藤章は、石原部長決裁を却下しました。
このように、当時の帝国陸軍は「下剋上そのもの」の異常事態が続いていました。

