「部下が上司決裁を次々却下」の帝国陸軍〜武藤章「閣下と同じこと」・支那事変「拡大vs不拡大」で割れた帝国陸軍・対等の陸軍省と大本営〜|昭和天皇独白録15・昭和の真実

前回は「昭和天皇「威嚇+平和論」即却下した石原莞爾〜盧溝橋事件が開いた未来・「つまらぬ争いから起こった」支那事変・太平洋戦争とアジア太平洋戦争〜」の話でした。

目次

支那事変「拡大vs不拡大」で割れた帝国陸軍:対等の陸軍省と大本営

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盧溝橋(Lugou Bridge,Marco Polo Bridge)
(WIkipedia)

戦前の大日本帝国にとって、支那事変は「全ての終わりの始まり」でした。

「日中戦争」とも呼称される支那事変は、「日本、中国双方が宣戦布告しなかった」奇妙な戦争でした。

この「宣戦布告をしなかった」点に関しては、様々な思惑があり、

帝国陸軍軍人S

支那事変は、きちんと
宣戦布告すべきであった・・・

このように「宣戦布告すべきであった」という声も多数あります。

現代、「日中戦争は1937年開始」とする歴史が多いですが、実際は「満洲事変が端緒」です。

1931年に満洲事変が勃発し、その結果、大日本帝国は国際連盟脱退し、孤立化の道を突き進みました。

この観点から考えれば、「日中戦争は1931年開始」の視点もまた正しい視点となります。

いずれにしても、「大日本帝国没落への道」となった支那事変。

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昭和天皇独白録(文藝春秋)
昭和天皇

私は威嚇すると同時に
平和論を出せと云ふ事を・・・

昭和天皇

常に云っていたが、参謀本部は
之に賛成するが、陸軍省は反対する・・・

昭和天皇

多分、軍務局で
あろう・・・

昭和天皇

妥協の機会をここでも
取り逃した・・・

盧溝橋事件勃発当時、昭和天皇は、明確に「支那事変不拡大」の姿勢を取りました。

帝国陸軍支那事変への方針
陸軍省不拡大
大本営拡大
支那事変への大本営・陸軍省方針

当時は、陸軍省と大本営で権限が完全に分かれていたのが、大日本帝国の国家像でした。

当時の米英独ソのどの国においても、「軍部は政治の下」でした。

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大本営組織図(歴史人2019年9月号別冊 KKベストセラーズ)

ところが、「天皇=大元帥」であり、「政府と軍部・大本営が同格だった」のが帝国の姿でした。

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杉山元 陸軍大臣(支那事変勃発時)(Wikipedia)

この頃、陸軍大臣であった杉山元は、猛烈な「拡大派」でした。

既に、軍部・大本営は「天皇の意向すら無視する」異常事態に突き進んでいました。

「部下が上司決裁を次々却下」の帝国陸軍:武藤章「閣下と同じこと」

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石原莞爾 参謀本部第一部長(別冊 1億人の昭和史1930年 恐慌と軍拡のはざまで 毎日新聞社)
石原莞爾

上海へは兵力を
増強しません!

「不拡大」方針だったものの、兵力が少なかった帝国陸軍を懸念した昭和天皇。

ところが、昭和天皇の「間接的要請」を、当時参謀本部第一部長であった石原莞爾は却下しました。

昭和天皇

それから、南京陥落後、
ドイツ大使仲介の和平工作が行われたが・・・

昭和天皇

幣原(喜重郎)から聞く所によると、
この時の日本案なるものは・・・

昭和天皇

宋美齢(蒋介石夫人)が
握りつぶして・・・

昭和天皇

蒋介石の手には
届いていなかったらしい・・・

昭和天皇

それに畑(俊六=松井石根の誤り)軍司令官が
強気だったので・・・

昭和天皇

ここでも亦妥協の好機を
失い・・・

昭和天皇

日本軍は漢口攻略へと
前進した・・・

頭脳明晰で、当時のことを明確に記憶していた昭和天皇でしたが、畑俊六と松井石根を間違えました。

この点は若干不思議であり、当時、南京陥落の凱旋将軍として超有名だった松井石根。

その松井と畑を昭和天皇が「勘違いした」とは考えにくい、と思います。

ただ、昭和天皇が「意図的に人物名を変えた」とも考えにくいです。

この点から考えると、当時あまりに大混乱であったため、昭和天皇が「誤認した」のが事実と考えます。

それほど、当時の支那事変勃発は、当時の日本の政界・軍部に激震を与えたのでしょう。

ここで登場する「宋美齢(蒋介石夫人)」は、「ウルトラ超反日」で有名な人物です。

米国の大学を卒業し、英語ペラペラだった宋美齢は米国で盛んに「反日キャンペーン」を行いました。

昭和天皇独白録

参謀本部の作戦部長
石原莞爾の事変不拡大方針に・・・

昭和天皇独白録

正面から反対したのが
陸軍省軍務課長・武藤章であったことは・・・

昭和天皇独白録

知られている
通り・・・

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武藤章 陸軍軍務課長(Wikipedia)

後に陸軍省軍務局長となり、A級戦犯になった武藤章が、上司・石原莞爾に反対しました。

昭和天皇独白録

怒る
石原に、

武藤章

私たちは満洲事変の時の
閣下と同じことをしているのです!

石原莞爾

・・・・・

昭和天皇独白録

と、軽く武藤が
いなした話も有名である・・・

名前生年役職
杉山 元1880陸軍大臣
木戸 幸一1889内大臣
石原 莞爾1889大本営・陸軍作戦部長
近衛 文麿1891総理大臣
武藤 章1892陸軍省軍務課長
昭和天皇1901天皇
昭和天皇・帝国政府・大本営大幹部(1937年)

「昭和天皇が統帥」しているはずなのに、昭和天皇の言うことを聞かなかった帝国陸軍。

帝国陸軍を会社とすれば、昭和天皇は会長兼社長であり、石原莞爾は部長に当たりました。

石原莞爾(架空)

会長兼社長(天皇)決裁は
この石原部長が却下!

石原莞爾部長は、会長兼社長決裁を却下しました。

武藤章(架空)

石原部長の決裁は
この武藤課長が却下!

そして、課長だった武藤章は、石原部長決裁を却下しました。

このように、当時の帝国陸軍は「下剋上そのもの」の異常事態が続いていました。

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