前回は「大日本帝国の運命決めた「蒋介石との妥協」〜不変の昭和天皇の言葉・「支那事変解決」模索していた昭和天皇・「一ヶ月」明言した杉山陸相〜」の話でした。
「つまらぬ争いから起こった」支那事変:太平洋戦争とアジア太平洋戦争

日本にとって、第二次世界大戦は主に日米戦争である印象が強いです。
太平洋で米陸海軍に叩き潰され続けて、米軍主体とする連合軍に敗北し、日本軍は無条件降伏しました。
その印象と、戦後のGHQの指導から「太平洋戦争」という言葉が広く浸透しています。
その一方で、帝国陸軍は主にアジアで戦闘を続けていたので、
歴史家A太平洋戦争、では
太平洋ばかりで戦争していた感じだ!



アジアも含めて戦争していたのだから、
「アジア太平洋戦争」が正しい!
「アジア太平洋戦争」という呼称が、近年盛んに使われるようになりました。
呼称の是非はさておき、確かに当時の帝国陸海軍にとって「全ては支那事変が始まり」でした。



私はなんとかして、
蒋介石と妥協しよー(ママ)と思い・・・
昭和天皇は、「蒋介石と妥協」を目論みましたが、



これで暗に私の意見とは
違っていることが判ったので・・・
軍部、特に陸軍大本営・陸軍省が「昭和天皇と全く異なる意見」であったことに対して、



遺憾ながら、妥協のことは
云い出さなかった・・・
大元帥=昭和天皇は、自らの意見を引っ込めざるを得ない状況でした。
当時、「支那事変拡大派=陸軍省、不拡大派=参謀本部」という構図だった説もあります。



かかる危機に際して
盧溝橋事件が起こったのである・・・



之は支那の方から、
仕掛けたとは思はぬ・・・
一般的に「支那(中国)側から仕掛けた」説が有力な盧溝橋事件。
昭和天皇は、明確に「支那ではない」と明言しました。



つまらぬ争いから
起こったものと思ふ・・・
「つまらぬ争い」、つまり最前線の日中(日支)の紛争が原因であったことを明言した昭和天皇。
昭和天皇の「威嚇+平和論」却下した石原莞爾:盧溝橋事件が開いた未来


(WIkipedia)
盧溝橋事件によって、帝国陸軍は、一気に支那に雪崩れ込むことになりました。



「之は支那の方から仕掛けたとは
思はぬ」という発言を・・・



どう受け取ったら
いいのだろうか・・・



日本軍の策謀でも蒋介石軍の
挑発でもなく・・・



偶発的に起きたものとの
観察であったのであろうか・・・
「昭和天皇独白録」の注記には、このように記載があり、天皇の発言に「戸惑い」を明示しています。



その中に事件は
上海に飛び火した・・・



近衛は不拡大方針を
主張していたが・・・



私は上海に飛び火した以上、
拡大防止は困難と思った・・・





支那事変は、
不拡大方針!
穏健派であった近衛首相が、支那事変「不拡大派」であったことは確かでした。
ところが、昭和天皇は「拡大防止は困難」と当時認識していたことを明言しました。



当時、上海の我陸軍兵力は
甚だ手薄であった・・・



ソ連を怖れて、兵力を上海に
割くことを嫌っていたのだ・・・



湯浅(倉平)内大臣から
聞いた所に依ると・・・



石原(莞爾)は当初、陸軍が上海に二ヶ師団しか
出さぬのは、政府が止めたからだと云った相だが・・・



その実、石原が止めて居たのだ
相だ・・・



二ヶ師の兵力では、上海は悲惨な目に
遭ふと思ったので・・・



私は盛に兵力の増加を
督促したが・・・



石原は、やはりソ連を怖れて満足は
兵力を送らぬ・・・





上海へは兵力を
増強しません!



ソ連が攻め込んできたら
どうするのですか?
昭和天皇が直接、石原莞爾に要請したのではないはずですが、石原は昭和天皇の要請を却下しました。
当時、参謀本部第一部長という、圧倒的な権限を持っていた石原は、軍を動かす主体でした。



私は威嚇すると同時に
平和論を出せと云ふ事を・・・



常に云っていたが、参謀本部は
之に賛成するが、陸軍省は反対する・・・



多分、軍務局で
あろう・・・



妥協の機会をここでも
取り逃した・・・
盧溝橋事件から、支那事変は一気に拡大し、事実上の日中戦争となった時代。
まだ、日ソ中立条約締結前であり、東アジアで陸軍は「支那とソ連を相手にする」状況でした。
ここで、昭和天皇は「威嚇すると同時に平和論を出せ」と戦略的妥協を命じていました。
ところが、「大元帥」であったはずの昭和天皇の提言を、陸軍省が「退けていた」事実。
当時の帝国陸軍は、いわば、「会長兼社長決済を部長が却下する」異常事態でありました。

