前回は「昭和天皇が語る敗戦の原因〜兵法の根本原理「未体得」の陸海軍将校・敗戦後一年以内に昭和天皇が「独白」した様々な真実〜」の話でした。
敗戦の原因第二「精神重視で科学軽視」:石油で無限大倍の米国との戦争

敗戦の翌年1946年に、昭和天皇が「側近のみに独白した」記録絵である「昭和天皇独白録」。
| 回数 | 独白日時 |
| 第一回 | 昭和21年(1946年、以下同)3月18日10:15-12:45 |
| 第二回 | 3月20日15:00-17:10 |
| 第三回 | 3月22日14:10-15:30 |
| 第四回 | 4月8日16:30-18:00 |
| 第五回 | 4月8日20:00-21:00 |
「まもなく45歳を迎える」若き昭和天皇は、戦前から戦時中の人物・出来事をハッキリ記憶していました。
昭和天皇敗戦の原因は
4つあると思う。



第一、兵法の研究が
不十分であった事・・・



即ち、孫子の「敵を知り、己を知らねば、
百戦危からず」という根本原理を・・・



体得していなかった
こと。
敗戦の原因を「4つにまとめた」昭和天皇は、第一に「兵法の根本原理未体得」としました。
そして、敗戦の原因の筆頭に、陸海軍将校の「兵法の能力不足」を挙げた昭和天皇。



第二、余りに精神に
重きを置き過ぎて・・・



科学の力を
軽視したこと・・・
帝国陸海軍が「精神重視で、科学軽視であった」ことを第二の敗戦原因としています。
確かに、特に陸軍においては、「精神中心」であった帝国陸海軍。



大砲をどのように
撃つか、分かるか?



それは、技術や技能の
習得であります!



違う!
精神力だ!



はっ?



精神力で
大砲を撃つのだ!
戦時中、東條英機首相兼陸相は、堂々と「精神力で撃つ」と主張していました。
この事実に対して、後世の様々な人は「東條はおかしい」と否定的に断じています。
確かに「おかしい」ですが、



精神力で大幅に
強化せねば・・・



米国相手に
対等に戦える状況ではない・・・
当時、首相であり、すべての大日本帝国国内の状況を把握していた東條首相。
経済力と資源力において、大日本帝国は米国の「概ね1/10程度」でした。
石油などにおいては、「大日本帝国:米国=1:♾️」と表現しても良い状況でした。
よりによって、「戦争の最重要資源=石油」において「無限大倍」の米国と戦った大日本帝国。
東條英機は「精神力を重視した」というより、「精神力に頼らざるを得なかった」のが実情でした。
第三「陸海軍の不一致」:険悪を超えてバラバラだった帝国陸海軍


確かに、科学の力でも米国に敗北した大日本帝国。
米国は、世界に先駆けて「数年は不可能」だったはずの原爆の開発に成功しました。
その一方で、実は大日本帝国もまた「科学技術の増進」に勤めていたのが現実でした。


実は、当時の日本において、後に原爆となる新型爆弾の開発計画が発動していました。
その中心人物であったのが、科学者・仁科芳雄でした。



確かに、莫大なエネルギーを
生み出す爆弾が製造可能だ・・・
1890年に生まれ、東大(東京帝国大学)を卒業した仁科は極めて優れた科学者でした。
欧州に留学経験があり、当時50歳前後であり、まさに脂が乗り切ったのが仁科でした。
当時、世界中でも数少ないサイクロトンを実際に作成することにも成功した仁科。
米国やドイツと比較すると、科学力は「明らかに劣っていた」大日本帝国。
そもそも、米国とドイツは共に「世界一」であったのが現実でした。
「世界一」と比較すれば劣りますが、大日本帝国の科学力も「まあまあのレベル」でした。
理論物理学だけでなく、理論を技術に転化させることにも長けた優れた人物でした。
そして、湯川秀樹や朝永振一郎らに影響を与え、日本の素粒子物理学の父のような存在だった仁科。



理論的には、
絶大な爆弾を生み出すことが可能だ・・・
当時、「日本最高の頭脳」と表現しても良い仁科に対し、陸海軍は熱い視線を送りました。



仁科博士、
ぜひ新型爆弾開発を任せたい!



はい・・・
分かりました・・・
大日本帝国陸軍は白羽の矢を立てて、開発の主導権を任せることにしました。



仁科博士、
帝国海軍のために新型兵器を!



はい・・・
分かりました・・・
大日本帝国陸海軍から「引っ張り凧」のようになった仁科博士。
「険悪な仲」であることが多い各国陸海軍ですが、帝国陸海軍は「険悪を超えた仲」でした。
例えば、同じ戦闘機を開発しているのに、帝国陸海軍では、



海軍の連中には
絶対にわからないようにせよ!



陸軍はうるさいから、
陸軍の連中に見えないように!
同じ国家に所属するはずの帝国陸軍と帝国海軍。
ところが、戦闘機などの開発の際には「巨大な精神の塀」を陸海軍の開発部の間に設置しました。
「険悪」を超えて「超仲が悪い」というよりも「敵対していた」間柄だった陸海軍。
そして、「バラバラだった」と表現しても良かったのが帝国陸海軍でした。
帝国陸海軍では、意思の疎通は極めて脆弱でした。



第三、陸海軍の
不一致・・・
そして、昭和天皇は「敗因の第三」として「陸海軍の不一致」を挙げました。
どの国家でも「陸海軍は険悪」でしたが、帝国陸海軍は「陸海軍の険悪度・世界一」だったでしょう。
そして、「帝国陸海軍をまとめる」まとめ役が不在だった大日本帝国。
この「まとめ役」は、本来「陸軍大元帥=海軍大元帥」であった昭和天皇でした。
ところが、昭和天皇は、帝国陸海軍を直接掌握する状況にはなかったのでした。
次回は上記リンクです。


