前回は「敗戦の原因第二「精神重視で科学軽視」〜石油で無限大倍の米国との戦争・第三「陸海軍の不一致」・険悪を超えてバラバラだった帝国陸海軍〜」の話でした。
敗戦の原因第四「常識ある首脳者の不存在」:「下剋上」の帝国陸海軍

敗戦の翌年1946年に、昭和天皇が「側近のみに独白した」記録絵である「昭和天皇独白録」。
昭和天皇敗戦の原因は
4つあると思う。



第一、兵法の研究が
不十分であった事・・・



第二、科学の力を
軽視したこと・・・



第三、陸海軍の
不一致・・・
敗戦直後、大日本帝国の「敗戦の原因」を4つにまとめ上げた昭和天皇。
第一〜第三は、「陸海軍の根幹的欠陥」を明瞭に指摘していました。
そして、ついに「最後の第四の原因」となります。



第四、常識ある
首脳者の存在しなかった事・・・



往年の山縣(有朋)、大山(巌)、
山本権兵衛、と云ふような大人物に欠け・・・



政戦両略の不十分の
点が多く・・・



且つ軍の首脳者の多くは
専門家であって部下統率の力量に欠け・・・



所謂下剋上の
状態を招いた事・・・
第四に、人物論となり「山縣(有朋)、大山(巌)、山本権兵衛」のような人物不在を挙げた昭和天皇。
さらに、軍のトップたちが「部下の統率の力量不足」とハッキリ明言しました。
さらに「統率が出来なかった」理由を「下剋上の状態」と表現した昭和天皇。


「下剋上」とは、戦国時代を表現することが多いです。
この「下剋上」という表現をあえて使った点に、昭和天皇の強い思いを感じます。
昭和天皇から見た「山縣有朋と大山巌と山本権兵衛」


そして、「国家や帝国陸海軍を司る人物」として、具体的に三名の名前を挙げた昭和天皇。
| 名前 | 生年 | 軍の所属 |
| 山縣有朋 | 1838年 | 陸軍(参謀総長、陸軍大臣) |
| 大山巌 | 1842年 | 陸軍(陸軍大臣、満州軍総司令官) |
| 山本権兵衛 | 1852年 | 海軍(海軍大臣) |
| 昭和天皇 | 1901年 | 陸海軍(大元帥) |
昭和天皇が生まれた頃、三人のうち、最高年齢の山縣有朋はすでに63歳でした。
そして、昭和天皇が3歳の時に勃発した日露戦争では、それぞれが大活躍しました。
| 名前 | 年齢 | 役職 |
| 山縣有朋 | 66歳 | 参謀総長 |
| 大山巌 | 62歳 | 満州軍総司令官 |
| 山本権兵衛 | 54歳 | 海軍大臣 |
| 昭和天皇 | 3歳 | 天皇後継者(皇太子の子) |
昭和天皇はまだ3歳の子どもでしたが、頭脳明晰だったため、朧げながら当時を覚えていたでしょう。
そして、昭和天皇が物心ついた10歳の頃には、



この山縣有朋が
陸軍を完全に掌握しています・・・



この大山巌は、
陸軍の最前線で働き申した・・・



この山本権兵衛は、
帝国海軍をしっかり把握しています・・・



うむ・・・
帝国陸海軍には、彼ら3名以外にも多数の優れた人物がいましたが、昭和天皇は実に心強かったでしょう。
さらに、山縣有朋と山本権兵衛は、それぞれ二度、内閣総理大臣を務めました。
特徴的だったのが、彼ら3名が長寿であったことでした。
そして、昭和天皇が正式に皇太子となった1916年11月3日時点で、3名全員が存命していました。



いよいよ、私が
皇太子だ・・・
昭和天皇が満15歳で立太子し、正式な皇太子となった翌月、大山巌が亡くなりました。
| 名前 | 年齢 | 役職 |
| 山縣有朋 | 78歳 | 元老 |
| 大山巌 | 74歳 | 元老 |
| 山本権兵衛 | 66歳 | 海軍長老(予備役) |
| 昭和天皇 | 15歳 | 皇太子 |
この1916年の時点で存命していた、「明治維新の立役者の一人」であった山縣有朋。
伊藤博文が1910年に暗殺された後は、山縣有朋は元老として圧倒的な存在感を持っていました。



陸軍は、この山縣有朋が
全て指揮しております・・・
「帝国陸軍の法皇」とまで言われた山縣有朋。
山縣有朋に関しては、否定的な意見が多く、筆者もあまり好きにはなれません。
どことなく暗い印象があり、明治維新政府初期の「山城屋事件」の張本人だからです。
その一方で、陸軍軍政においては、天才的な能力を持っていたのは事実でした。



山縣がいれば、
陸軍は全てよし・・・
皇太子から天皇になった1926年、昭和天皇は25歳でした。
この時には、山縣有朋は1922年に亡くなっており、山本権兵衛のみ生存していました。
そして、1930年代の動乱の時代に、「五・一五事件」と「二・二六事件」が勃発しました。
1932年勃発の「五・一五事件」は、帝国海軍将校中心の、反乱事件でした。
この時、1933年に亡くなる山本権兵衛は存命中でしたが、年齢もあり影響力を失っていました。



山本権兵衛が
もう少し若ければ・・・



海軍将校を
抑えただろう・・・
1936年勃発の「二・二六事件」は、帝国陸軍将校中心の、反乱事件でした。



山縣や大山が
いれば・・・



陸軍将校に、こんな真似を
させなかっただろう・・・
おそらく、昭和天皇は、こう思っていたのでしょう。
その一方で、この頃の「将校の決起」は、山縣・大山・山本でも「防げなかった」と考えます。
それは、昭和天皇も理解していたはずで、



陸軍も海軍も
若手将校たちが横暴すぎる・・・



流石に今の状況は、山縣・大山・山本でも
抑えは難しいか・・・



この異常な下剋上の
世界はおかしい・・・
こう考えていたのでしょう。
次回は上記リンクです。


