前回は「「英米戦必至」の永野軍令部総長の説明〜「南方と英米」の帝国海軍意思決定が異常に遅い+曖昧だった大日本帝国・独伊米英ソ中との違い〜」の話でした。
陸海軍を統帥した天皇:大日本帝国憲法下の異質な国家・大日本帝国

昭和の時代、日本の国家の名実共にトップで「雲の上の人物」だった昭和天皇。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
現行の日本国憲法と大日本帝国憲法は、全く異なる憲法でした。
現在は、主権が国民にありますが、大日本帝国憲法では、主権は天皇にありました。
昭和天皇この昭和天皇が
大日本帝国の主権を有している・・・
そして、現在「Symbol=象徴」という不思議な存在となった天皇。
大日本帝国では「神聖不可侵の元首」でした。



朕は、
「神聖不可侵の元首」である・・・
これらだけでも、「全然違う憲法」であり、大日本帝国憲法下の大日本帝国は異質な国家でした。
さらに、天皇の権利を最も強めていたのが「統帥権」でした。
自衛隊という「事実上の軍隊」を保有する日本国ですが、交戦権を否定しています。
度々話題となる「憲法9条」です。



朕が、大日本帝国の
陸海軍を統帥する・・・
大日本帝国憲法によって規定された大日本帝国では、「天皇が陸海軍を統帥」しました。
昭和天皇が語る「昭和の真実」・昭和天皇独白録


1939年に第二次世界大戦が勃発した頃、大日本帝国は既に支那事変=日中戦争を実行していました。
そして、「対米戦前夜」となった1941年6月頃、日本の陸海軍のトップは上記のメンバーでした。
| 名前 | 役職 | 生年 |
| 杉山 元 | 参謀総長 | 1880 |
| 永野 修身 | 軍令部総長 | 1880 |
| 及川 古志郎 | 海軍大臣 | 1883 |
| 東條 英機 | 陸軍大臣 | 1884 |
| 昭和天皇 | 昭和天皇 | 1901 |
そして、上の表が、昭和天皇及び陸海軍トップたちの生年です。
陸海軍トップは、全体的に昭和天皇より17〜21歳年上でした。





私が参謀総長として
陸軍の統帥権を持つ天皇陛下を・・・



輔弼申し上げる
のだ・・・
そして、参謀総長は、昭和天皇の帝国陸軍の統帥権を「輔弼(補佐)する」のが役目でした。



このワシが軍令部総長として
海軍の統帥権を持つ天皇陛下を・・・



輔弼申し上げる
のだ・・・
そして、軍令部総長は、昭和天皇の帝国海軍の統帥権を「輔弼(補佐)する」のが役目でした。
彼らが、いわゆる「軍部」と呼ばれる大本営のトップでした。



この東條英機は、
陸軍の軍政面を統括する!
そして、陸軍大臣は、陸軍の軍政面を統括する立場でした。



だが、帝国陸軍の統帥権補弼の
権限は全くない!
陸軍大臣には「陸軍の統帥権を輔弼する」権限は全くない存在でした。



この及川古志郎は、
海軍の軍政面を統括します・・・
同様に、海軍大臣は、海軍の軍政面を統括する立場でした。
そして、陸軍大臣同様、「海軍の統帥権を補弼する」権限は全くありませんでした。



我らが天皇陛下を
輔弼申し上げるため、作戦計画を練る・・・



そして、帝国陸海軍の
作戦指揮を、陛下に奏上し・・・



天皇陛下の裁可を
得る必要がある・・・
帝国陸海軍の「統帥権を有する」ことは、「軍隊の指揮権を持つ」ことでした。
つまり、参謀総長にも軍令部総長にも「帝国陸海軍の指揮権はない」ことが極めて重要でした。
そのため、「昭和天皇の裁可」によって、初めて「帝国陸軍の統帥権が確定する」機構でした。


そして、当時の大日本帝国政府・大本営の「最高意思決定の場」が御前会議でした。



・・・・・
御前会議は「形式的な儀式」であり、原則として昭和天皇は、あまり話さない機構でした。
ほとんどの場合、御前会議の前に「根回し」があり、



良いだろう・・・
事前に意思決定は固まっていることが、ほとんどでした。
国家の方針を「最終決定する権限」を有していた昭和天皇でしたが、「自ら意思決定」は極めて稀でした。


そして、昭和天皇が崩御した1989年の後、出版された「昭和天皇独白録」という本があります。
この書籍には、「昭和天皇が語る様々な昭和の真実」が記載されています。
この「昭和天皇独白録」をもとに、昭和の真実を紐解いてゆきます。
次回は上記リンクです。


