前回は「「とにかく支那事変」だった陸軍〜南京から重慶首都移転した蒋介石・「陸軍の統括者」ではなかった東條陸軍大臣・天皇輔弼役の参謀総長〜」の話でした。
意思決定が異常に遅い+曖昧だった大日本帝国:独伊米英ソ中との違い

独ソ戦勃発によって、国策を再検討し、新たにする必要に迫られた大日本帝国政府と軍部。
第二の二
帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す
之が為対英米戦準備を整へ、先づ「対仏印泰施策要項」及「南方施策促進に関する件」に拠り(先づ「南方施策促進に関する件」に拠り)仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず
第二の三
独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す。此の間固より周密なる用意を以て外交交渉を行う。
独ソ戦争の推移帝国の為(極めて)有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す
第二の四
前号遂行に方り各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ
青文字が削除部分、黄文字が修正・追記部分です。

この新国策決定には、実に多くの議論があり、丸4日間経過して決定しました。

Hitler私であれば、
国策の変更は1日でバシッと決める!



我がUKは議会政治だが、
私が主導権握り、決めるのだ!
最高幹部達が丸4日も協議したっ結果、「なんとなく曖昧なまま」決定した新国策。
当時の日独伊・米英ソ中の中で、「意思決定が異常に遅く、さらに曖昧」だったのが大日本帝国でした。
「英米戦必至」の永野軍令部総長の説明:「南方と英米」の帝国海軍





・・・・・
杉山参謀総長に続いて、永野軍令部総長が昭和天皇に説明します。



帝国が南方に於ける国防の安定を
確立し、また大東亜共栄圏内において・・・



自給自足の態勢を確立致しまする為に
南方用域に対し情勢推移と睨み合わせつつ・・・



政戦両略の施策を統合推進し以て
逐次南方進出の歩を進めますることは、緊要なる措置と存じます。
「とにかく支那事変」の帝国陸軍に対して、「とにかく南方」だった帝国海軍。



然るに現在英米蘭等の対日圧迫耐性は
益々強化せられつつある情勢で御座いますので・・・



万一英米等が飽く迄も妨害を続け
帝国として之が打開の途なき場合には・・・



対英米戦に立ち到ることあるを
予期せられますので・・・



之をも辞せざる覚悟を以て
其の準備を整えまして・・・



諸方策を完全に遂行致し以て南方進出の
態勢を強化することが肝要であると存じます。
ここで、すでに永野軍令部総長は「対英米戦開戦」の認識をはっきりしていました。
ある意味では、明確であり、確固とした方針を持っていたのが永野総長でした。





なんとしても真珠湾奇襲攻撃を
実行する!
この頃、永野総長とは比較的良好な関係であり、永野海軍大臣・山本海軍次官コンビもあった仲でした。



この瞬間も、山本達は
対米戦の準備を着実に進めている・・・
「対米戦」を確信しているかのような、永野総長の昭和天皇への説明が続きます。



米国が参戦致しましたる
場合には・・・



帝国は三国条約(同盟)に基き
行動致すべきは勿論で御座いまして・・・



単に独伊に対する援助義務遂行の
見地に止まらず大東亜共栄圏建設の為には・・・



武力を行使するも施策の完遂を図るべきで
あると存じます。
「支那と北方」のことを話す杉山参謀総長に対して、「南方と米国」中心の永野軍令部総長。
この時点で陸海軍は向いている方向が大分異なり、見方によっては「真逆を向いていた」状況でした。



然しながら、米国が何時如何なる段階を
経て参戦致しまするかは・・・



予測を許しませぬので、英米等に対する
武力行使の時機及び方法に就きましては・・・



当時の情勢に鑑み、帝国の自主的見地に於いて
之を決定するを必要と存じます。



・・・・・
この頃、「対米協調を望んでいた」と言われる昭和天皇。
昭和天皇は、堂々と、そして静かに聞いていました。
既に「英米との開戦必至」と主張する永野軍令部総長の説明を。
次回は上記リンクです。


