武田信玄 7〜景虎を甘くみた信玄 3〜|戦国武将

前回は「武田信玄 6〜景虎を甘くみた信玄 2〜」の話でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

武田信玄と上杉謙信という「虎と龍が死闘を尽くした」川中島の戦い。

まさに、景虎にとっては「売られた喧嘩」でした。

上杉 謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信濃全土を制圧して、武田家の経済基盤を
確立するのだ!

武田が、川中島に
攻め込んできただと・・・

戦国の世ならではの「頼れる主君」であるためには、「決して黙って引き下がるわけにはいかない」戦いでした。

村上義清は、私を頼って落ち延びてきた・・・

景虎(上杉謙信)にとっては、「買わざる得ない喧嘩」であったのでしょう。

旧村上領であり、越後守護代である
我が長尾家が納めた時もある川中島!

川中島を支配するのは、武田ではないわ!

そして、戦意・テンションは、長尾家の方がむしろ高かったのでしょう。

我が、長尾家の防衛線だぞ!


長尾景虎、そして彼が率いる柿崎景家らの戦闘能力を適正に見破ることができなかった信玄。

第四次川中島の戦い(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

それもまた致し方ないことでした。

まだ若く、軍事能力もよく分からない長尾景虎に対して、9歳年上で、急速に領土を広げていた武田晴信。

我が武田家は、長年の戦いを勝ち抜いてきた!

我が武田家は、少なくとも、
関東甲信地方では最強なのだ!

長尾景虎・長尾家のことは、調べている。

しかし、まだ景虎のことも、長尾家のことも情報不足で、
よく分からぬ。

まだ若くて、それほど多くの合戦を経験していなかった長尾景虎。

しかも、当主となる前は、景虎の兄の長尾晴景が越後守護代を継ぎました。

晴景が継いだものの、あまり武士らしくない晴景に対して、国内で反乱が続いた越後。

晴景よりも、弟の景虎の方が守護代として、
マシなのでは・・・

もともと反乱意識の強い越後は、「バラバラな国」でした。

それでも、「守護代がしっかりせねば、自分達の立場が危うい」と感じだ国衆が、弟・景虎を担いだのです。

そして、19歳の時に家督を継いだ景虎。

まだ若造で、私の敵ではあるまい・・・

「武田・長尾の領土争い」と言うよりも、「武田の侵攻戦・長尾(上杉)の防衛戦」という側面が強い川中島の戦い。

長尾景虎にとって、事実上従属・配下となった村上義清の旧領土は「長尾家の領土」に近い状況です。

その川中島を武田に攻め込まれたら、黙ってみている訳にはいきません。

また村上義清に頼られたことによって、「頼りになる大将」であることを内外に喧伝するためには、「売られた喧嘩」は買わざるを得なかったのでしょう。

我が長尾を、舐めるな!


9ほど年齢が上の信玄に対して、景虎は激昂して、凄まじい勢いで川中島へ乗り込んだに違いない。

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