川中島の戦いの真相〜「売られた喧嘩」を買わざるを得なかった景虎・景虎の川中島への強い思い・かつて長尾領であった川中島・まだまだ若造だった信玄・長尾家の防衛戦〜|武田信玄7・人物像・軍事能力・エピソード

前回は「若き長尾景虎を甘くみた武田信玄〜肥沃な地である信濃獲得へ・甲斐の倍の国力持つ信濃・痛恨の打撃を受けた武田家・家臣若返りへ〜」の話でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

川中島の戦いの真相:「売られた喧嘩」を買わざるを得なかった景虎

戦国大名 上杉謙信(長尾景虎)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

武田信玄と上杉謙信という「虎と龍が死闘を尽くした」川中島の戦い。

まさに景虎にとっては「売られた喧嘩」でした。

武田信玄

信濃全土を制圧して、武田家の経済基盤を
確立するのだ!

上杉謙信

武田が川中島に
攻め込んできただと・・・

戦国の世ならではの「頼れる主君」であるためには、「決して黙って引き下がるわけにはいかない」戦いでした。

上杉謙信

村上義清は、
私を頼って落ち延びてきた・・・

ここで信玄が「頼ってきた村上義清領」を蹂躙し、景虎の本拠地・春日山城のすぐ近くに攻め込んできました。

もし、ここで景虎が、

上杉謙信

武田の力は強いから、
今は手出しできん・・・

「信玄の北信濃侵攻を見送る姿勢」を出せば、

越後国衆A

長尾景虎は、
イマイチ頼りないな・・・

越後国衆B

あいつに従っていて、
大丈夫なのか?

「長尾は頼りない」という風評が立ってしまい、戦国大名としての地盤が揺らいでしまいます。

しかも、揚北衆など「不穏分子」が根強く存在していた越後では、

越後国衆A

守護代の長尾なんか、
大したことないぜ!

このような「危険な連中」が沢山いました。

上杉謙信

とにかく、
武田を北信濃から追っ払わねば!

景虎(上杉謙信)にとっては、「買わざる得ない喧嘩」であったのでしょう。

景虎の川中島への強い思い:かつて長尾領であった川中島

第四次川中島の戦い(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

景虎が川中島防衛に必死になる理由は他にもありました。

上杉謙信

旧村上領であり、越後守護代である
我が長尾家が治めた時もある川中島!

国境やエリアが現代ほど明確でなかった当時。

「どの守護・守護代がどこを治めているか」の境界は曖昧な面がありました。

それでもなお「川中島はかつての越後守護代・長尾家の領土」という説もあった当時。

武田信玄

とにかく、北信濃まで
信濃全土制圧!

乗り込んできた信玄に対して、若き景虎は猛烈に燃えました。

名前生年
毛利元就1497年
北条氏康1515年
今川義元1519年
武田信玄1521年
長尾景虎(上杉謙信)1530年
織田信長1534年
戦国武将大名の生年
上杉謙信

川中島を支配するのは、
武田ではないわ!

そして、戦意・テンションは、長尾家の方がむしろ高かったのでしょう。

上杉謙信

我が長尾家の
防衛線だぞ!


長尾景虎、そして彼が率いる柿崎景家らの戦闘能力を適正に見破ることができなかった信玄。

それもまた「致し方ないこと」でした。

まだ若く、軍事能力もよく分からない長尾景虎に対して、9歳年上で、急速に領土を広げていた武田晴信。

武田信玄

我が武田家は、
長年の戦いを勝ち抜いてきた!

武田信玄

我が武田家は、少なくとも、
関東甲信地方では最強なのだ!

武田信玄

長尾景虎・長尾家のことは
調べている。

武田信玄

しかし、まだ景虎のことも、
長尾家のことも情報不足でよく分からぬ・・・

まだまだ若造だった信玄:長尾家の防衛戦

関東・甲信勢力図 1555年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋

まだ若く、それほど多くの合戦を経験していなかった長尾景虎。

しかも当主となる前は、景虎の兄の長尾晴景が越後守護代を継ぎました。

晴景が継いだものの、あまり武士らしくない晴景に対して、国内で反乱が続いた越後。

越後国衆A

晴景よりも、弟の景虎の方が守護代として、
マシなのでは・・・

越後国衆B

晴景殿には引っ込んで頂いて、
景虎殿に守護代になっていただこう・・・

もともと反乱意識の強い越後は、「バラバラな国」でした。

それでも、「守護代がしっかりせねば、自分達の立場が危うい」と感じだ国衆が、弟・景虎を担いだのです。

そして、19歳の時に家督を継いだ景虎。

武田信玄

まだ若造で、
私の敵ではあるまい・・・

「武田・長尾の領土争い」という単純な「領土」の視点だけではなく、

上杉謙信

何がなんでも、
川中島を守らねば!

「武田の侵攻戦・長尾(上杉)家の防衛戦」という側面が強い川中島の戦い。

長尾景虎にとって、事実上従属・配下となった村上義清の旧領土は「長尾家の領土」に近い状況です。

その川中島を武田に攻め込まれたら、黙ってみている訳にはいきません。

また村上義清に頼られたことによって、「頼りになる大将」であることを内外に喧伝するためには、

上杉謙信

この戦いに
勝たないわけにはいかぬ!

「売られた喧嘩」は買わざるを得なかったのでしょう。

上杉謙信

とにかく、私が「頼りになる」ところを
諸将に見せなければならん!


9ほど年齢が上の信玄に対して、景虎は激昂して、凄まじい勢いで川中島へ乗り込んだに違いない。

上杉謙信

我が長尾を
舐めるな!

そして、その若き景虎に対して、信玄は「大人びた姿勢」で、

武田信玄

お前に「合戦とは何か」を
教えてやろう!

「上から目線」で、信玄は合戦に臨んだのでしょう。

この意味では、のちに老成化した戦略家となった信玄もまた「まだまだ若造だった」のでした。

次回は上記リンクです。

新歴史紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次