武田信玄 8〜景虎を甘くみた信玄 4〜|戦国武将

前回は「武田信玄 7〜景虎を甘くみた信玄 3〜」の話でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

そもそも、越後はもともと北部の揚北衆が反乱を繰り返すなど、家臣や国衆の統率に大変苦労する国柄でした。

上杉 謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

越後は反乱に次ぐ反乱・・・

もう参ってしまう・・・

ですから、謙信としては上杉家・国衆の統率のためにも、村上義清の要望を受け入れざるを得なかったと思います。

さらになんといっても、川中島は謙信の拠点の春日山城から近すぎます。

1542年頃の武田家領土および周辺(歴史街道2020年11月号 PHP研究所)

上図を見ればわかる通り、川中島と謙信の拠点:春日山城の距離と、信玄の拠点:躑躅ヶ崎館の距離は、まるで違います。

上杉謙信にとっては、

川中島は「春日山城から目と鼻の先」
ではないか!

と思ったでしょう。

川中島を獲られては敵わん!

武田に、喉元に刃物を突き立てられている状況
になってしまうではないか!

謙信からすると、

川中島は絶対に譲れん!

という気持ちになるのは当然でした。

誰しも本拠地の近くを敵に奪われるのは、絶対に避けたい。

本拠地近くに敵軍がいれば、おちおち自分は関東などに遠征できなくなります。

川中島を獲って、
信濃全土を固めるぞ!

信玄にとっては、侵略戦争以外のなにものでもありません。

負けてたまるか!

景虎にとっては「絶対に負けられない戦」であったのでした。

川中島を獲られては、
上杉家は終わりだ!

景虎という男の戦闘能力は、
よく分からんが・・・

信濃侵攻で苦渋を舐め続けた、
ワシには敵わないだろう!

景虎が「軍神である」とは、露とも思わなかった信玄。

そして、それは「信玄の見通しが甘かった」のではなかったのでした。

ニューフェース・景虎に関しては、未知数のことが多すぎたのです。

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