前回は「武田信玄 7〜景虎を甘くみた信玄 3〜」の話でした。

そもそも、越後はもともと北部の揚北衆が反乱を繰り返すなど、家臣や国衆の統率に大変苦労する国柄でした。


越後は反乱に次ぐ反乱・・・



もう参ってしまう・・・
ですから、謙信としては上杉家・国衆の統率のためにも、村上義清の要望を受け入れざるを得なかったと思います。
さらになんといっても、川中島は謙信の拠点の春日山城から近すぎます。


上図を見ればわかる通り、川中島と謙信の拠点:春日山城の距離と、信玄の拠点:躑躅ヶ崎館の距離は、まるで違います。
上杉謙信にとっては、



川中島は「春日山城から目と鼻の先」
ではないか!
と思ったでしょう。



川中島を獲られては敵わん!



武田に、喉元に刃物を突き立てられている状況
になってしまうではないか!
謙信からすると、



川中島は絶対に譲れん!
という気持ちになるのは当然でした。
誰しも本拠地の近くを敵に奪われるのは、絶対に避けたい。
本拠地近くに敵軍がいれば、おちおち自分は関東などに遠征できなくなります。



川中島を獲って、
信濃全土を固めるぞ!
信玄にとっては、侵略戦争以外のなにものでもありません。



負けてたまるか!
景虎にとっては「絶対に負けられない戦」であったのでした。



川中島を獲られては、
上杉家は終わりだ!



景虎という男の戦闘能力は、
よく分からんが・・・



信濃侵攻で苦渋を舐め続けた、
ワシには敵わないだろう!
景虎が「軍神である」とは、露とも思わなかった信玄。
そして、それは「信玄の見通しが甘かった」のではなかったのでした。
ニューフェース・景虎に関しては、未知数のことが多すぎたのです。