「手を尽くして家康接待」命じた信長〜見えた「織田と徳川の天下」・「織田家総出」の家康出迎え・織田信忠が家康訪問〜|本能寺の変2・信長公記9

前回は「徳川家に駿河・遠江を「進呈」した信長〜徳川家への気遣いと配慮武田討滅で「本懐遂げた」信長・武田最大版図築いた武田勝頼〜」の話でした。

目次

「手を尽くして家康接待」命じた信長:見えた「織田と徳川の天下」

New Historical Voyage
信長公記(太田牛一著、中川太古訳、新歴史紀行)
信長公記

武田勝頼・同信勝・同信豊ほか
武田勝頼一門の歴々を打ち果たして・・・

信長公記

本懐を
遂げた。

信長公記

そして、駿河・遠江両国を
徳川家康に進呈し・・・

ようやく「長年の宿敵」であった武田家を討滅し、「本懐遂げた」信長。

織田信長

徳川殿、
駿河・遠江を進呈する・・・

徳川家康

有り難く
頂戴します・・・

信長公記

その御礼のため、このたび家康と梅雪が
安土へ来ることになった。

信長公記

信長は、

織田信長

この二人を丁重に
接待しなければならぬ。

信長公記

と言って、まず街道を
整備させ、

織田信長

二人の宿泊地ごとに国持ち・郡持ちの
大名たちが出向き・・・

織田信長

出来るだけ手を尽くして
接待せよ!

信長公記


命令した。

安土へ「返礼に来る」家康に対して、信長は異様なほどに気を遣いました。

傲岸不遜のイメージが強く、自らを「第六天魔王」とし、天皇を上回る存在を模索していた信長。

この「異様な気遣い」には、信長の安堵と家康への感謝が見て取れます。

新歴史紀行
1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

日本の中央を占め、当時800万石とも言われる大領土を保有し、莫大な経済力を有した織田家。

そして、駿河・遠江・三河の徳川家は80万石ほどの大名となりました。

長年の宿敵・武田を破り、残る強力な敵は、毛利家くらいしかいない状況でした。

この頃、すでに島津家は大いに勢力を張り始めていましたが、まだまだ大友家も強力でした。

駿河からわざわざ安土に来る家康は、実はかつて遥々近江まで軍勢を率いてきたこともありました。

徳川家康

安土へ
行こう・・・

徳川家康

そういえば、姉川の戦いの時も
近江へ行ったな・・・

家康は、このような様々な思い出を感じながら、安土に向かったでしょう。

まだまだ戦国の戦乱が続く中、「できる限りの接待」を命じた信長。

おそらく、すでに「織田と徳川による天下平定」が、信長の目には見えていたのでしょう。

「織田家総出」の家康出迎え:織田信忠が家康訪問

新歴史紀行
安土城から琵琶湖を望む(新歴史紀行)
信長公記

五月十四日、家康と穴山梅雪は
近江の番場に到着した。

信長公記

丹羽長秀が、番場に建てておいた仮の館で、
食事を調え一夜の接待をした。

新歴史紀行
織田家重臣 丹羽長秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
丹羽長秀

徳川様のために、館を
建てましたので、どうぞ・・・

まずは、織田家重臣であり、信長にとって「特別な存在」であり続けた丹羽長秀が登場しました。

信長公記

同じ日に、織田信忠が上洛の途次、
番場に立ち寄ってしばらく休息した。

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織田家後継者 織田信忠(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
織田信忠

これは、徳川殿、
ようこそ安土へ・・・

ついで、信長の長男であり、織田家後継者であった織田信忠までもが、家康を丁重に迎えました。

当時、「天下の織田家後継者」信忠の立場は、皇太子に近い存在だったと考えます。

信長公記

この時にも、丹羽長秀が酒肴の
接待をした。

信長公記

信忠は、その日のうちに
安土へ出発した。

信長公記

五月十五日、家康は番場を
出発し、安土に到着した。

信長公記

信長は、

織田信長

宿舎は大宝坊が
よかろう!

信長公記

と言い、接待のことは
明智光秀に命じた。

信長公記

光秀は、京都・堺で珍しい食料を
調達し、大変気を張って接待した。

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織田家重臣 明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
明智光秀

徳川様、京・堺で
珍しき珍味を取り揃えました・・・

徳川家康

これは明智殿、
お気遣い頂き、痛み入る・・・

そして、最後に明智光秀が登場しました。

信長公記

十五日から十七日まで
三日間に及んだ。

「本能寺」のこともあり、「家康接待」に関しては、光秀ばかりが注目される傾向があります。

実は、織田信忠・丹羽長秀・明智光秀の三名が「思い切り家康を接待」していたのが事実です。

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織田四天王:左上から時計回りに柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)
名前立場家康接待時の居場所
織田信忠織田家後継者美濃・近江
柴田勝家北陸方面司令官越中
滝川一益関東方面司令官上野
明智光秀近畿方面司令官
丹羽長秀安土城築城総奉行近江
羽柴秀吉中国方面司令官備中
織田家大幹部

当時、織田家大幹部のうち、京周辺にいた人物は全て「家康のために結集して接待」しました。

特に、未来の王者・織田信忠までもが、わざわざ気を遣って、家康を訪問していた事実は重要です。

名前生年(一部諸説あり)
織田信長1534年
柴田勝家1522年
滝川一益1525年
明智光秀1528年
丹羽長秀1535年
羽柴秀吉1537年
徳川家康1543年
織田信忠1557年
織田信長・織田家重臣・徳川家康の生年

「織田家総出」の大接待によって、家康をもてなした信長でした。

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