前回は「「日向送り」の月照と共に入水図った西郷隆盛〜安政の大獄・逮捕された「反体制派」吉田松陰と橋本左内・一気に逆上してエスカレートした井伊大老〜」の話でした。
生命を救われ島流しとなった西郷隆盛:藩士を大事にした薩摩藩
月照どん、
一緒に死ぬごわす!
月照と共に薩摩へ逃避行した西郷は、月照を見殺しにするわけにいかず、一緒に入水しました。
さ、
西郷さん!
すぐに平野国臣たちが西郷を救い出しましたが、月照は亡くなりました。
小柄だった月照と比較して、大男だった西郷のみ生き残ったのは、少し不自然ではあります。
海の中に西郷のような大男が入水して、救い出すことは、極めて大変なことです。
「救い出そうとした方が一緒に亡くなる」ケースも多く、現代でも水難事故は多数あります。
この「西郷+月照入水」の真相は闇ですが、いずれにしても「死の寸前から復活」した西郷。
生き残って
しまった・・・
月照は
死んだか・・・
西郷は、あの憎き斉彬の
側近だから、どうでも良いが・・・
長男・斉彬を毛嫌いし、側室が産んだ子・久光を好んでいた島津斉興。
「幕末指折りの名君」と言われる島津斉彬と比較すると、実につまらない男である斉興。
だが、我が薩摩は
藩士を大事にするのだ・・・
・普通の藩:「全人口の5%程度」が藩士・武士
・薩摩藩:「全人口の26%程度」が藩士・武士:他の藩の5倍
藩士が異常に多かった薩摩藩は、とにかく「藩士・武士で成り立つ異質な藩」でした。
西郷は
奄美大島へ送れ!
つまり、
徳川幕府の追及の
ほとぼりが冷めるまで、奄美で潜伏しろ!
ということでした。
奄美大島
ごわすか・・・
不本意な「島流し」となってしまった西郷ですが、「生命を救われた」ことになりました。
現代の感覚で見ても、薩摩からは「かなり遠い」島の奄美大島。
奄美大島は「薩摩と琉球の中間で、琉球寄り」の位置にありました。
当時、周囲の島々を支配下に置き、周辺の海も支配下に収めていた巨大な藩だった薩摩。
奄美大島に
来たごわす・・・
そして、奄美大島に到着した西郷は、「薩摩と全然違う」状況に驚愕しました。
この時、33歳だった西郷は、現代でいうと38〜40歳頃になります。
いわば、「40歳前後の体力・気力・知力あふれる時期」に「島流し」となった西郷。
この人、
誰?
言葉が
分からん・・・
一時は島津斉彬の命令で江戸で活躍した西郷は、薩摩藩士の中でも「江戸を知る」希少な存在でした。
一時は、
江戸で活躍したが・・・
こんなところに
しばらく居なければならんごわすか・・・
もともと、かなり横暴な性格だった西郷は、イライラが募りました。
奄美大島での三年:天敵・島津久光との「凍りついた」対面
この頃、西郷の同志、というよりも義弟のような存在だった大久保一蔵(利通)へ送った手紙では、
ここの人たちは、
けとうじん(毛唐人)で・・・
この人たちは、
毒蛇みたいな連中で・・・
と奄美大島の人々を侮辱・見下すような視線で、見ていた西郷。
ところが、しばらくすると、奄美大島の独特の雰囲気に同化した西郷は、
まあ、この島の
環境も良か・・・
島の娘・愛加那と結婚して、子どもも生まれた西郷。
まあ、昔は随分
暴れ回ったごわすが・・・
もともと、かなり問題がある性格であった西郷は、奄美大島の雰囲気で「柔軟性」を身につけたでしょう。
奄美大島:1859年2月〜1962年2月
結局、3年近くもの長きに渡り、奄美大島にいた西郷。
1961年の中頃から、大久保利通はじめ精忠組が西郷の帰還運動を開始しました。
そろそろ、
頃合いは良いだろう・・・
この頃、事実上の藩主(国父)だった島津久光。
我が島津の力で、
幕府を改革するぞ!
久光様!そのためには、
江戸や中央政界に明るい吉之助さぁが必要です!
西郷は
大嫌いなのだ!
しかし、吉之助さぁが
いなければ、我が薩摩は、なかなか中央に出られません!
・・・・・
島津斉彬と比較すると、「愚鈍の君主」のように扱われることが多い島津久光。
実際には、かなりの政治能力を有する優れた人物でもありました。
まあ良い・・・
分かったから、西郷を呼び戻せ!
ははっ!
直ちに手配します!
こうして、大久保たちの力によって、奄美大島から呼び戻された西郷。
薩摩に来るのは、
三年ぶりごわす・・・
「浦島太郎状態」の西郷は、まず「天敵の島津久光と会う」という大事な仕事がありました。
久光様・・・
西郷ごわす・・・
おう!
西郷か!
はっ
・・・・・
・・・・・
生涯「すれ違う」関係となった西郷隆盛と島津久光の対面は、ギクシャクを超えて緊張が走りました。
西郷!
私は、これから江戸に出てゆく!
お前は江戸で活動して、
色々と知り合いがいるだろう・・・
だから、我が薩摩の窓口となり、
江戸・京で私が活動するのを援護するのだ!
とにかく、絶対君主であり「いつでも切腹を命じる権限」があった人物にこう言われたら、
承知致しました!
お任せください!
と言うのが当然でしたが、「性格に大きな問題がある」西郷は違いました。
あなたのような地ゴロ(田舎者)
では無理です・・・
!!!!!
この言葉で、周囲は緊張を超えて凍りつきました。
こ、こやつ!!!
私に対して!!!
もともと「西郷が大嫌い」な上に、「怒りに火を注いだ」西郷に対して、怒り心頭の久光。
普通はここで「物別れ」に終わりますが、久光もまた相応の人物でした。
とにかく、お前は先に出発し、
馬関(下関)で私を待て!
良いな!
分かったな!
ここまで言われては、「薩摩藩士であり島津家臣」の西郷は、応じるしかありません。
はっ・・・
島津久光が吸っていた銀製のキセル(タバコ)には、クッキリと歯形が残りました。
そして、西郷は薩摩から馬関へ向かいましたが、さらに大きなドラマが控えていました。