「日向送り」の月照と共に入水図った西郷隆盛〜安政の大獄・逮捕された「反体制派」吉田松陰と橋本左内・一気に逆上してエスカレートした井伊大老〜|西郷隆盛10・人物像・エピソード

前回は「月照と共に薩摩へ逃避した西郷隆盛〜別格の近衛家の依頼・師匠島津斉彬急死と「安政の大獄」という大嵐・決まった月照の運命・関ヶ原の島津義弘と徳川〜」の話でした。

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)
目次

安政の大獄:逮捕された「反体制派」吉田松陰と橋本左内

大老 井伊 直弼(Wikipedia)

猛烈なテンションで、

徳川の敵は
この世から消す!

と息巻く大老・井伊直弼。

俺が徳川を支えなくて、
誰が支える?

もともとは超名門の井伊家出身とは言え、十四男で「出番がない」と自ら考えていた井伊直弼。

それが、「運命の悪戯」なのか「想定外」だった彦根藩主となりました。

さらに、「考えもしなかった」大老に就任した井伊直弼。

そして、おそらくは当時の大名の中でも「最も学問・教養が優れていた」井伊直弼は、

これは私に対する
天命なのだ!

私に「徳川を救って
世を平らかにせよ!」という・・・

だから、私が反政府分子は
全て抹殺するのだ!

のちに「安政の大獄」と言われる大事件となりました。

左上から時計回りに橋本左内、吉田松陰、月照、梅田雲浜(Wikipedia)

斬首された橋本左内、吉田松陰たち。

おそらく、逮捕された当時は、

しばらく
牢獄か・・・

というのが本音で、まさか斬首されるとは思いもしなかったでしょう。

ま、
まさか・・・

ま、
まさか・・・

「徳川幕府に楯突く行為」を平然としていた、吉田松陰・橋本左内の志士たち。

徳川幕府に逮捕
されるのもやむなし・・・

という気持ちははっきりと決めていたでしょう。

せいぜい、
「長い牢屋の人生」か・・・

この時点では、まさか斬首とは「想定のかけらもしていなかった」に違いないでしょう。

実際、吉田松陰を取り調べていた幕府役人たちは、

そのほう、
世の中を乱すようなことをやり続けておるだろう!

全く
けしからん!

私は、
信念に基づいて、行動している!

なんら
間違ったことはしていない!

な、
なんと!

このように、全く平行線の議論をしていた中でも、

しばらくは
牢屋で頭を冷やしてもらおう・・・

幕府の役人はこう考えていたのでしょう。

一気に逆上してエスカレートした井伊大老

新歴史紀行
黒船来航(Wikipedia)

後の世に「大きな影響を与えた」と言われる吉田松陰や橋本左内たち。

新歴史紀行
左上からH.Parkes英国公使、Matthew Perry米提督、Townsend Harris駐日米大使、Leon Roches駐日フランス帝国公使(Wikipedia)

当時は、ペリーやハリス達が次々にやってきて、幕府自身が「困っていた」超激動機でした。

橋本左内や吉田松陰を取り調べている幕府の役人達は、

大変な
世の中だ・・・

彼らは彼らなりに
色々と考えているのだろう・・・

橋本左内や吉田松陰の「一生懸命な姿」は、ある程度は理解していました。

たしかに「思想的に大きな影響を与えうる」人物たちでした。

ところが、本人たちは大名や家老ではなく「軽い身分」でした。

これが、「大身の人物」であれば、動員力もあり、大事になり得ますが、

大層なことを
言っているが・・・

所詮は
書生だ・・・

「思想的影響力」は甚大とは言え、大した軍事力も武力もない佐内・松陰に対して、

一生懸命な若者達なのは
分かる・・・

少し過激すぎるが、
大したことは考えていまい・・・

幕府の役人たちもまた、それほど重視していなかったのが現実でしょう。

ところが、ここで吉田松陰が「信念に基づいて」突っ走ってしまいました。

実は、老中の間部詮勝を
暗殺しようと考えている・・・

はっ?
な、なんだって?!

大変なことを言い出した吉田松陰。

こ、これは
只事ではない・・・

本当は「聞かなかったこと」にしたい幕府役人たち。

ところが、吉田松陰がこれを告白したのは、いわゆる「お白洲」でした。

周囲には大勢の人間がいて、もはや隠蔽は難しいです。

こんなことを
聞いてしまっては・・・

報告せざるを
得ないではないか・・・

しばらく牢屋に留置して済ませようとした、幕府役人。

やむを得ず、上層部に、

吉田松陰は、
老中暗殺を企んでいた模様・・・

と報告しました。

新歴史紀行
大老 井伊直弼(Wikipedia)

これを聞いた井伊直弼の表情は、途端に鬼のようになりました。

なにっ!!!
なんだとっ!!!

瞳がキランと輝いた井伊大老。

老中暗殺を
企むとは!

これは
処刑だな!!

これで、一気に吉田松陰の斬首が決定したのでした。

そして、

橋本左内とかいう
連中も全員一緒だ!

橋本左内らの運命も一気に決定し、斬首になりました。

「日向送り」の月照と共に入水図った西郷隆盛

第10代島津藩主 島津斉興(Wikipedia)

月照は
「日向送り」にせよ!

頼られたものの、「迷惑でしかない」存在の月照。

薩摩藩は、月照を「日向送り」と決定しました。

な、
なんと!!!

「日向送り」は単に「日向に送致する」のではありませんでした。

「日向送り」とは、

日向へ送り届ける途中で、
処刑せよ・・・

という暗示・隠語だったのです。

僧侶 月照(Wikipedia)

月照殿、
申し訳なか・・・

いいんですよ・・・
これも運命です・・・

月照はこういったのか、どうか。

こうなっては、私も
生きてゆくわけにはいかない!

斉彬様のいない
薩摩にいても、意味がない・・・

一緒に
死のう・・・

自決を決意した西郷。

この後、西郷と月照は一緒に船に乗り込みます。

この時、月照が、

私の生命も
もはや・・・

と意を決していたのか、いなかったのかは不明です。

おそらくは、

私の運命は
もう終わりかもしれないが・・・

出来る限りのことを、
もっともっとやってやるのだ!

こう思って「再起を図っていた」可能性も高かった月照。

この時の、月照や西郷の考えていたことや行動には、諸説あります。

船の中で西郷は、

月照どん、
申し訳なか!

月照に飛びついて、一緒に海へ飛び込みました。

月照どん、
一緒に死ぬごわす!

さ、
西郷さん!

こうして、薩摩まで懸命な逃避行を続けた二人は、海の底へと沈んでいったのでした。

新歴史紀行

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