西郷隆盛 10〜月照と共に・入水〜|幕末・安政の大獄

前回は「西郷隆盛 9〜保守化した薩摩・月照・関ヶ原の島津家〜」の話でした。

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)
目次

安政の大獄:吉田松陰と橋本左内

大老 井伊 直弼(Wikipedia)

猛烈なテンションで、

徳川の敵は
この世から消す!

と息巻く大老・井伊直弼。

のちに「安政の大獄」と言われる大事件となりました。

左上から時計回りに橋本左内、吉田松陰、月照、梅田雲浜(Wikipedia)

斬首された橋本左内、吉田松陰たち。

おそらく、逮捕された当時は、

しばらく
牢獄か・・・

というのが本音で、まさか斬首されるとは思いもしなかったでしょう。

まさか・・・

まさか・・・

「徳川幕府に楯突く行為」を平然としていた、吉田松陰・橋本左内の志士たち。

徳川幕府に逮捕
されるのもやむなし・・・

という気持ちははっきりと決めていたでしょう。

それが、まさか斬首とは「想定のかけらもしていなかった」に違いないでしょう。

実際、吉田松陰を取り調べていた幕府役人たちは、

そのほう、
世の中を乱すようなことをやり続けておるだろう!

けしからん!

私は、
信念に基づいて、行動している!

なんら
間違ったことはしていない!

なんと!

このように、全く平行線の議論をしていた中でも、

しばらくは
牢屋で頭を冷やしてもらおう・・・

幕府の役人はこう考えていたのでしょう。

エスカレートする井伊大老

後の世に、「大きな影響を与えた」と言われる吉田松陰や橋本左内たち。

たしかに「思想的に大きな影響を与えうる」人物たちでしたが、本人たちには大した軍事力も武力もありません。

大層なことを
言っているが・・・

所詮は
書生だ・・・

幕府の役人たちもまた、それほど重視していなかったのが現実でしょう。

しかし、ここで吉田松陰が「信念に基づいて」突っ走ってしまいます。

実は、
老中の間部詮勝を暗殺しようと考えている・・・

はっ?

大変なことを言い出した吉田松陰。

こ、これは
只事ではない・・・

本当は「聞かなかったこと」にしたい幕府役人たち。

しかし、吉田松陰がこれを告白したのは、いわゆる「お白洲」でした。

周囲には大勢の人間がいて、もはや隠蔽は難しいです。

こんなことを
聞いてしまっては・・・

報告せざるを
得ないではないか・・・

しばらく牢屋に留置して済ませようとした、幕府役人。

やむを得ず、上層部に

吉田松陰は、
老中暗殺を企んでいた模様・・・

報告しました。

なにっ!!!

瞳がキランと輝いた井伊大老。

処刑だな!!

これで、一気に吉田松陰の斬首が決定したのでした。

「日向送り」の月照と西郷

第10代島津藩主 島津斉興(Wikipedia)

月照は
「日向送り」にせよ!

頼られたものの、「迷惑でしかない」存在の月照。

薩摩藩は、月照を「日向送り」と決定しました。

な、
なんと!!!

「日向送り」は単に「日向に送致する」のではありませんでした。

「日向送り」とは「日向へ送り届ける途中で処刑せよ」という暗示・隠語だったのです。

月照(Wikipedia)

月照殿、
申し訳なか・・・

いいんですよ。
これも運命です。

月照はこういったのか、どうか。

こうなっては、私も
生きてゆくわけにはいかない!

斉彬様のいない
薩摩にいても、意味がない・・・

死のう・・・

自決を決意した西郷。

この後、西郷と月照は一緒に船に乗り込みます。

この時、月照が、

私の生命も
もはや・・・

と意を決していたのか、いなかったのかは不明です。

諸説ありますが、船の中で西郷は、月照に飛びついて、一緒に海へ飛び込みました。

月照どん、
一緒に死ぬごわす!

さ、西郷さん!

こうして、薩摩まで懸命な逃避行を続けた二人は、海の底へと沈んでいったのでした。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次