近世を葬った男西郷の若き日々〜橋本左内 ・梅田雲浜・日米和親条約締結と弱腰の徳川幕府・「勅許」という幕府崩壊の導火線・孝明天皇と徳川幕府〜|西郷隆盛3・出身・人物像

前回は「存在しない「西郷隆盛の写真」〜西郷隆盛像を否定した西郷の妻・「近世を葬った男」の実像・大勢の志士の写真と「写真がない」西郷・大村益次郎〜」の話でした。

西郷隆盛(国立国会図書館)
目次

近世を葬った男の若き日々:橋本左内・梅田雲浜との交友

島津斉彬の命令を受け、江戸で橋本左内や梅田雲浜らの名士らと交際する西郷隆盛。

「幕府・諸藩の取るべき道」さらには「薩摩進むべき道」を模索し続けます。

薩摩は、
今後どのように立ち回るべきか・・・

越前藩士 橋本左内(Wikipedia)

とりわけ、若き頃から優れた頭脳の誉の高い、橋本左内。

越前藩士
橋本左内です・・・

最初、橋本の優しげな感じから西郷は、

この橋本という男は、
賢そうだが・・・

ちょっと頭が
いいだけではないのか?

と疑念を抱くも、話しているうちに、年下の橋本の頭脳に惚れ込みます。

橋本左内は、
大した人物だ!

小浜藩士 梅田雲浜(Wikipedia)

小浜藩士
梅田雲浜です・・・

薩摩藩士
西郷吉之助ごわす!

こうして、島津斉彬から江戸に派遣された西郷。

現代で言えば、海外留学にも相当するような体験で、大きくその目が開かれました。

日米和親条約締結と弱腰の徳川幕府

米提督 Matthew Calbraith Perry(Wikipedia)

1853年には、米国のペリーが浦賀に軍艦を引き連れて乗り込んできました。

Hello!
Japanの皆さん!

我がUnited Statesと
条約を結びましょう!

よく分からないので、
また今度来てください・・・

とりあえず、追っ払えば、
遠い異国から、また来ることはないだろう・・・

「先送り」でかわそうとした徳川幕府でしたが、翌1854年に

Hello!
Japanの皆さん!

また
来ましたよ!

本当に
来るとは思わなかった・・・

我がUnited Statesと
条約を結びますね!

結ばないなら、
Edoを砲撃しますよ!

分かりました・・・

米国に恫喝されるものの対抗する力がない徳川幕府。

なし崩し的に、片務的最恵国待遇を含む不平等条約の日米和親条約を結びます。

「勅許」という幕府崩壊の導火線:孝明天皇と徳川幕府

米国公使 Townsend Harris(Wikipedia)

その後、1858年には米国ハリスがやってきます。

Hello!
Japanの皆さん!

また変なの(人物)が
来た・・・

お互いのために、
もっと条約結びましょう!

まだ、あまり外国とは
条約を結んでいないので・・・

OK!OK!
我がUnited Statesが教えてあげます!

はあ・・・
また今度で・・・

ハリスの要求を、はぐらかし続ける幕府。

おい!
いつになったら、条約結ぶんだ!

ところが、強引なハリスに押し切られます。

そして、関税自主権・治外法権もない日米修好通商条約を、締結します。

この過程では、江戸幕府もやられてばかりではなく、しっかりと諸外国と交渉をしていました。

徳川幕府には、優れた政治家・官僚が大勢いたのです。

老中 阿部 正弘(Wikipedia)

いかんせん、当時の日本と当時最先端の米国・英国などの力には隔絶した差がありました。

条約締結自体は、どうしようもない状況でした。

西郷・橋本・梅田らが当事者である幕府の高官であったとしても、同じ結果となったでしょう。

この頃、西郷隆盛は、倒幕までは考えてなかったに違いないでしょう。

幕府だけには
任せられぬ!

西郷は、橋本・梅田らと諸侯をより深く政治に関わらせるような画策を考えます。

薩摩藩主 島津 斉彬(国立国会図書館)

日米和親条約締結は「どうしようもなかった」徳川幕府。

1858年の日米修好通商条約締結の際に、徳川幕府は国内で非常事態に陥ります。

徳川幕府にとって、想定外の事態が発生したのです。

日本人らしい「建前」として、日米修好通商条約締結の際には「形式上、天皇の勅許を得る」ことにしました。

外国と条約を締結するには、
天皇による勅許が必要です。

What!?
では、Shogunは外交権を持たないのですか?

いえ・・・外交権を持ちますが、
天皇の勅許が必要なのです・・・

Oh,No!
意味が分からん!

幕府の本音は、

勅許を得れば「大義名分」は
こちらのもの・・・

反対する連中を
押さえつけることができる・・・

そして、これまでは「外交権を含む大政が、徳川幕府に委任」されていたため、幕府独断だった外交。

「反対派を押さえつける」ために、幕府は「自ら巨大な権限を放棄してしまう」結果になりました。

我が徳川幕府にもデメリットがあるが、
やむを得ん・・・

この「自ら崩壊の導火線に火をつける」というデメリットをどこまで、徳川幕府首脳が理解していたのかどうか。

まあ、だが
大丈夫だ・・・

勅許は「形ばかりの儀式」であり、
大勢に影響はない!

「形ばかりの儀式」を「単なる手続き」として踏まえようとする徳川幕府。

待った!

この時、幕府首脳が全く想定していなかった「待った」が、かかります。

孝明天皇(Wikipedia)

待ったをかけたのは誰あろう、他ならぬ孝明天皇でした。

新歴史紀行

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