前回は「西郷隆盛 3〜近世を葬った男の若き日々〜」の話でした。

開国派と攘夷派で議論沸騰の中、なんとか「日米修好通商条約締結の方針」でまとめ上げた老中首座の堀田正睦。

真面目な堀田は、ここで朝廷及び天皇の承認を得て、国論統一を図ろうとします。

反対が多いから、
「天皇が承認した」で、反論を封じ込めよう。
しかし、想定外の事態に陥ります。


なんと、「一応承認を得る」くらいの気持ちだった孝明天皇が「No!」を突きつけてきたのです。



夷狄と条約など、もっての外!
それも、駆け引きではなく攘夷超推進派の孝明天皇は「絶対にNo!」と言ってきます。



絶対にNoだ!



徳川幕府は、一体何考えているんだ!



は?なんで?
いくら天皇とはいえ、外交権は幕府にあります。
幕府の決定事項に関して、天皇や朝廷が、何か主張してくることは想定していなかったのです。


朝廷や天皇が「政治に口出さない」ように、徳川家康は禁中並公家諸法度を策定しました。



天皇や朝廷に、政治・外交に口出させては
ならない!



天皇や朝廷は、公家らしく生活して居ればよい。



全ては、徳川幕府に任せよ!
家康は明確に「政治・外交は幕府がやるから、朝廷は黙ってなさい」という意思表示したのです。
幕府の政治力を確立していたのもの、長州藩らの協力によって自信を持った朝廷と天皇は、公然と幕府に反論します。
しかも孝明天皇は、かなりの自信家でした。



私は天皇なのだ!
と、強硬姿勢を鮮明にしてきます。


交渉していた米国のハリスは、イライラしたでしょう。



一体、この国の最高意思決定者は
誰なんだ?



Shogunなのか?
Emperorなのか?



どっちなんだ!
混迷に次ぐ、混迷となりました。