前回は「「命令服従の鉄則」叩き込まれた若き海兵生徒達〜華族も百姓も平等・「懇切丁寧の世界」から「鉄拳の世界」へ・殴られた後「双方敬礼」〜」の話でした。

穏やかな人物が多い「華の海兵39期」:交互の「強面組」と「穏やか組」

「華の40期」と呼ばれる、海兵40期卒の将星たち。
| 海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
| 32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
| 36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
| 37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
| 40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
| 40 | 大西 瀧治郎 | 航空 | 第十一航空艦隊参謀長 |
| 40 | 福留 繁 | 大砲 | 軍令部第一部長 |
| 40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
確かに海兵40期卒は、宇垣纏、大西瀧治郎、山口多聞など大物が多数います。
宇垣纏、大西瀧治郎、山口多聞
筆者は、宇垣纏、大西瀧治郎、山口多聞の三名を「海兵40期三羽烏」と呼びます。
宇垣纏に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

そして、草鹿龍之介が海兵で先輩として仕えた39期もまた多数の将星達が登場しました。
| 卒業席次 | 名前 | 職務 |
| 5 | 山県 正郷 | 第26航空戦隊司令官 |
| 15 | 伊藤 整一 | 第二艦隊司令長官・軍令部次長 |
| 17 | 高木 武雄 | 第六艦隊司令長官 |
| 21 | 西村 祥治 | 第二戦隊司令官 |
| 26 | 阿部 弘毅 | 第11戦隊司令官 |
| 45 | 角田 覚治 | 第一航空艦隊司令長官 |
| 85 | 原 忠一 | 第五戦隊司令官 |
| ? | 志摩 清英 | 第五艦隊司令長官 |
| ? | 岡 敬純 | 海軍次官 |
時期にもよりますが、上記の通り、縦横無尽に活躍したのが39期であり、「華の39期」とも言えます。
40期と比較すると、やや穏やかな人物が多いのが特徴であり、顔つきも40期とは明らかに違います。
海兵は「強面組」と「穏やか組」が交互に入れ替わる傾向が強かった、とも言われています。
その傾向は、39期と40期を見れば、確かにそうかとも思われます。
いずれにしても「華の39期」に、鉄拳制裁で「海兵の生徒らしさ」を叩き込まれた若き草鹿たち。
軍人勅諭を礼賛した草鹿龍之介:半月一月で海軍軍人基礎作る海兵教育

草鹿龍之介新入生は、入校後二週間ほどは、
カッターの漕ぎ方と・・・



執銃教練によって
鍛えられる。
「カッター」とは、小型の船であり、「短艇」とも呼ばれます。



朝食はパン半斤と、
味噌汁一杯である。



昼と夕は麦茶と
一菜である。



初めの間は腹は減る、
体は疲れる。



それかと言って惰容を示せば、
鉄拳である。
概ね16歳〜19歳の若者が、朝からずっと動くのに対して、「少ない食事」で過ごさせられました。
「食べ盛りの頃」にしては、いかにも少ない食事です。



然し、これあるが為、半月一月の後には先ず、
しゃんとした海軍軍人の基礎が出来上がり・・・



見違えるような
男になる。
たった「半月一月の後」には、「しゃんとした海軍軍人の基礎」が出来る教育でした。
これは、ある意味で際立って優れた教育とも言えます。



この様な生活の中に、
機会あるごとに、軍人勅諭を読まされる。



この勅諭は、今頃(当時)これを言うと、
多くの人は復古調であるとか・・・



或いは軍人の智能の簡単さを軽侮する等であるが、
私は今でも金科玉条と心得ている。



只に軍人のみならず、これ天地の公道であり
人倫の常径と考えている。
悪名高い軍人勅諭でしたが、草鹿龍之介は大いに礼賛しています。



余談になるが、かつてこの軍人勅諭を、
ドイツのライプチヒ大学の学生に・・・



私なりに解釈を加え、
書き送った。



ところが、学生仲間にセンセーションを
巻き起こし・・・



真剣なる討議の対象となった
事実を知っている。



教育勅語も
そうである。
とにかく、現代では「全否定」の傾向が強い軍人勅諭と教育勅語。
多くの人は、内容も知らずに「ただ戦前のことだから」と全否定します。
それに対して、海外で「真剣なる討議の対象」となった事実を伝える草鹿。
1892年生まれの草鹿が、海軍兵学校に入学したのは1910年です。
この話を書いている2026年は、1910年から116年後の時代です。
そして、草鹿が海兵1年生だった1910年の116年前は1794年であり、バリバリの江戸時代です。
このことを考えれば、草鹿たちの海兵生活は「現代とは全然違う」ことになります。
その一方で、全てを「昔だから」「戦前だから」と切り捨てることもまた、問題です。
草鹿の「軍人勅諭礼賛」は、歴史の多様な見方を提起しているように感じます。


