航空艦隊長官人事に悩みに悩む山本五十六〜先任順序という不文律と軍令承行令・航空のプロの草鹿参謀長と源田参謀・ハンモックナンバー・人生を左右した卒業期と卒業席次〜|真珠湾奇襲攻撃8・太平洋戦争

前回は「真珠湾奇襲攻撃最高指揮官の行方〜水雷専門の南雲忠一司令長官・航空戦のズブの素人・南雲航空艦隊司令長官の人事に悩む山本五十六・山本人事を徹底妨害した及川古志郎海軍大臣・軍令承行令〜」の話でした。

目次

先任順序という不文律と軍令承行令

及川古志郎 海軍大臣(Wikipedia)
海軍兵学校卒業期名前専門役職
32山本 五十六航空連合艦隊司令長官
36南雲 忠一水雷第一航空艦隊司令長官
37小沢 治三郎航空南遣艦隊司令長官
40山口 多聞航空第二航空戦隊司令官
41草鹿 龍之介航空第一航空艦隊参謀長
連合艦隊幹部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年9月)

当時の連合艦隊の大幹部たちが海軍兵学校で学んでいる頃は、「航空隊と空母」という発想はありませんでした。

海軍兵学校生徒館(現 海上自衛隊幹部候補生学校)(Wikipedia)

航空本部長から海軍次官となり「日本海軍の空母航空隊の生みの親」であった山本長官も卒業後に航空派にとなりました。

新歴史紀行
山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

これからは航空隊主軸の
海戦となる!

という強い信念を持って、日本の空母と航空隊の育成に励んだ山本長官。

当時、日本海軍の空母機動部隊が圧倒的パワーを持てたのは、他ならぬ「山本長官の育成の結果」でした。

真珠湾奇襲攻撃の長官が
航空隊の素人の南雲ではダメだ!

ところが、絶対に山本長官の

第一航空艦隊司令長官を
を南雲忠一から小沢治三郎へ変更!

案を了承しない及川古志郎 海軍大臣。

何言ってるんだ!
ダメだ!

当時の海軍には、軍令承行令による「先任順序」という不文律がありました。

日本海軍の
根底となる制度だ!

軍令承行令は、一言で言えば「年功序列」です。

ハンモックナンバー:人生を左右した卒業期と卒業席次

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

ハンモックナンバーとも呼ばれ、海軍兵学校の卒業期・卒業席次(成績)・勤務成績によって先任・後任が決まります。

原則として、後任者は先任者を指揮することができません。

ハンモックナンバーは、海軍兵学校の卒業期と卒業席次(成績)に大きく左右されます。

そして、卒業後の勤務姿勢・能力で、多少上下することはありました。

海軍兵学校(海兵)36期の南雲と海軍兵学校(海兵)37期の小沢。

卒業期は、1期の違いしかありません。

ところが、その「1期の差」は大きかったのでした。

更に、海兵36期を5位で卒業した南雲。

自慢じゃないが、
私は結構な優等生だ!

小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(別冊歴史読本 戦記シリーズNo.65 「空母機動部隊」新人物往来社)

そして、海兵37期を45位で卒業した小沢。

まあ、努力はしたが、
それほど勉強は得意ではない・・・

これで南雲と小沢の上下関係は完全に確定しました。

それまでの小沢長官の経歴は、南雲長官の直接の後任となることすらありました。

例えば、1937年に小沢長官が連合艦隊参謀長 兼 第一航空艦隊参謀長から第八戦隊司令官へ転任した時。

その際は、南雲忠一司令官の後任者として小沢が司令官となりました。

南雲さんの
後釜は私だ・・・

南雲よりも1期下の「後任」の小沢治三郎。

その小沢を第一航空艦隊司令長官にするためには、必要なことがあります。

それは、関係する全ての幹部は「小沢治三郎より後任者」としなければなりません。

つまり、他の長官の人事異動も必要となります。

連合艦隊全体の
人事異動が必要だ!

小沢を長官にしたら、
全面的な人事異動が必要!

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

う〜む、
どうしてもダメなのか・・・

では、
特例として頂きたい!

戦時だから、と言って
特例扱いはできない!

制度は大事だ!
そんなことは絶対にできない。

及川大臣は折れません。

平時ならばさほど問題とならないこの制度は非常時においては人事の硬直化を産み、大きな問題となります。

先任順序を、乱すことなど、
絶対にできぬ!

及川大臣は、山本長官の人事変更案を突っぱねます。

読書家でもある及川大臣にとって、「秩序を乱す」ことは考えられなかったのです。

航空艦隊長官人事に悩みに悩む山本五十六:航空のプロの草鹿参謀長と源田参謀

草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

山本は悩みます。

南雲司令長官を補佐する草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長。

41期卒の草鹿参謀長は、早くから航空戦を研究し、実践してきました。

源田実 第一航空参謀(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

その草鹿参謀長を補佐する源田実 第一航空参謀。

52期卒の源田参謀は、若手のホープで「航空戦の第一人者」でした。

確かに、草鹿と源田は優秀で、
航空戦をよく分かっている。

しかし、最高指揮官が航空戦素人の南雲で、
本当に奇襲攻撃は大丈夫だろうか?

戦争において、最高指揮官は非常に大事です。

なんとか、
ならないだろうか。

なんとか、
ならない!

南雲と言ったら、
な・ぐ・も!!

空母六隻という、前代未聞の大部隊を率いる航空艦隊の司令長官です。

・・・・・

山本長官は悩みに悩みます。

新歴史紀行

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