前回は「真珠湾奇襲攻撃 7〜奇襲攻撃最高指揮官の行方〜」でした。

絶対に山本長官の「第一航空艦隊司令長官を南雲忠一から小沢治三郎へ変更」案を了承しない及川古志郎 海軍大臣。
当時の海軍には、軍令承行令による「先任順序」という不文律がありました。

日本海軍の根底となる制度だ!
一言で言えば「年功序列」です。
ハンモックナンバーとも呼ばれ、海軍兵学校の卒業期、卒業席次(成績)、勤務成績によって先任、後任が決まります。
原則として、後任者は先任者を指揮することができません。
ハンモックナンバーは、海軍兵学校の卒業期と卒業席次(成績)に大きく左右され、多少上下することはありました。
海軍兵学校(海兵)36期の南雲と海軍兵学校(海兵)37期の小沢では1期の違いしかありません。


しかし、その「1期の差」は大きく、それまでの小沢長官の経歴は概ね南雲長官の直接の後任となることすらありました。


例えば、1937年に小沢長官が連合艦隊参謀長 兼 第一航空艦隊参謀長から第八戦隊司令官へ転任した時。
その際は、南雲忠一司令官の後任者として小沢が司令官となりました。
南雲よりも1期下の小沢治三郎を第一航空艦隊司令長官にするためには、必要なこと。
それは、関係する全ての幹部は「小沢治三郎より後任者」としなければなりません。
つまり、他の長官の人事異動も必要となります。



連合艦隊全体の人事異動が必要だ!



小沢を長官にしたら、全面的な人事異動が必要。



戦時だから、と言って特例扱いはできない!



制度は大事だ。
そんなことは絶対にできない。
及川大臣は折れません。
平時ならばさほど問題とならないこの制度は非常時においては人事の硬直化を産み、大きな問題となります。



先任順序を、乱すことなど、
絶対にできぬ!
及川大臣は、山本長官の人事変更案を突っぱねます。
読書家でもある及川大臣にとって「秩序を乱す」ことは考えられなかったのです。


山本は悩みます。



確かに、草鹿と源田は優秀で、
航空戦をよく分かっている。



しかし、最高指揮官が航空戦素人の南雲で、
本当に奇襲攻撃は大丈夫だろうか?
戦争において、最高指揮官は非常に大事です。



なんとか、ならないだろうか。



なんとか、ならない!
空母六隻という、前代未聞の大部隊を率いる航空艦隊の司令長官です。
山本長官は悩みに悩みます。