真珠湾奇襲攻撃 7〜奇襲攻撃最高指揮官の行方〜|太平洋戦争

前回は「真珠湾奇襲攻撃 6〜世界最強艦隊誕生〜」でした。

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

第一航空艦隊司令長官は南雲忠一で、ハワイ真珠湾奇襲攻撃の最高責任者・作戦指揮者の予定です。

しかし、南雲は、魚雷などで攻撃をすることを得意とする重巡洋艦・軽巡洋艦・潜水艦などの専門家です。

小沢南遣艦隊司令長官も山口第二航空戦隊司令官も、もともとは南雲と同じ、水雷畑です。

そもそも、彼らが若い頃は、「空母・航空隊による艦隊編成」という思想が広まってなかった時代です。

「広まってない」というより「なかった」に近いのです。

小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(別冊歴史読本 戦記シリーズNo.65 「空母機動部隊」新人物往来社)

小沢も山口も途中から航空隊重視に切り替え、航空隊の研究と指揮を実施してきました。

山口多聞 第二航空戦隊司令官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

しかし、南雲はもともと水雷畑で、航空専門の戦略・戦術に疎いです。

そして、空母に関してはズブの素人同然です。

さらに、山本は南雲とはウマが合わず、ロクに口をきく間柄ですらありません。

この最重要作戦を実施する責任者である、航空艦隊司令長官の人事。

山本連合艦隊司令長官は考え込み、悩みます。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

これで良いのか?

南雲で本当に良いのか?

この空母・航空機に対して、ど素人同然の南雲司令長官を支える人物がいました。

航空機の専門家である草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長と源田実 第一航空参謀です。

草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
源田実 第一航空参謀(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

総責任者は「その道のプロ」であるべきです。

米軍なら「司令長官が責任者」ですが、参謀・補佐役の力が強い日本軍。

まあ、草鹿と源田がいるからいいか。

こんな空気でした。

空母の専門家である「機動部隊生みの親」といわれる小沢治三郎 南遣艦隊司令長官。

本来、小沢長官が、経歴的にも能力的にも、最も第一航空艦隊司令長官に相応しいです。

そして、海軍の人事権を握る及川海軍大臣。

及川古志郎 海軍大臣(Wikipedia)

南雲ではなく、小沢だと?

ダメだ!

及川古志郎 海軍大臣は海軍兵学校31期卒業で、山本長官の一つ上に当たります。

大変熱心な読書家で中国の古典をよく読んでいました。

そして考え方は非常に保守的で、かつては海軍兵学校校長を務めていました。

及川海軍大臣が海軍兵学校校長を務める以前に、永野軍令部総長が海軍兵学校校長を務めていました。

その際、永野が進めていた改革案を継承した人物こそ、及川だったのでした。

永野修身 軍令部総長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

つまり、及川大臣と永野総長は非常に仲の良い関係でした。

真珠湾作戦計画をゴリ押しした山本長官の提言を「どう扱うか」と悩んだ永野総長。

山本がうるさいのだが、どうしたら良いだろうか。

山本も頑固ですな。

おそらく、及川大臣にも相談していたのでしょう

永野総長は山本に折れましたが、及川大臣は山本に対して絶対に折れません。

及川大臣が、絶対折れないその理由。

それは、当時日本海軍において、軍令承行令という絶対に破ることは認められない不文律があったからでした。

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