前回は「世界最強艦隊誕生〜山口司令官に押される山本長官・正規空母六隻へ・追認する軍令部・困惑する伊藤次長・「空母機動部隊の生みの親」小沢治三郎長官」の話でした。
真珠湾奇襲攻撃最高指揮官の行方:水雷専門の南雲忠一司令長官
第一航空艦隊司令長官は南雲忠一で、ハワイ真珠湾奇襲攻撃の最高責任者・作戦指揮者の予定です。
航空機・空母のことは、
よく知らないが・・・
水雷なら
私に任せろ!
私は操艦の
名手なのだ!
南雲は、魚雷などで攻撃をすることを得意とする重巡洋艦・軽巡洋艦・潜水艦などの専門家です。
小沢南遣艦隊司令長官も山口第二航空戦隊司令官も、もともとは南雲と同じ水雷畑です。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
28 | 永野 修身 | 軍令部総長 |
31 | 及川 古志郎 | 海軍大臣 |
32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
36 | 南雲 忠一 | 第一航空艦隊司令長官 |
37 | 小沢 治三郎 | 南遣艦隊司令長官 |
39 | 伊藤 整一 | 軍令部次長 |
40 | 山口 多聞 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 第一航空艦隊参謀長 |
南雲忠一と山口多聞の学年差は4学年です。
たった4年しか違わないので、学んだ内容は似ているのです。
そもそも、彼らが若い頃は「空母・航空隊による艦隊編成」という思想が広まってなかった時代です。
「広まってない」というより「なかった」に近かった空母・航空隊の編成。
小沢も山口も、途中から航空隊重視に切り替えました。
そして、航空隊の研究と指揮を実施してきました。
そして、世界各国の海軍においても、まだまた戦艦中心の発想でした。
空母は
戦艦の補助線力だろう・・・
大体、飛行機から爆弾や魚雷を
投下して、艦船に当たるのか?
という発想だったのでした。
航空戦のズブの素人・南雲航空艦隊司令長官の人事に悩む山本五十六
南雲はもともと水雷畑で、航空専門の戦略・戦術に疎いです。
そして、空母に関してはズブの素人同然です。
さらに、山本は南雲とはウマが合わず、ロクに口をきく間柄ですらありません。
この最重要作戦を実施する責任者である、航空艦隊司令長官の人事。
山本連合艦隊司令長官は考え込み、悩みます。
こんなことで、
本当に良いのか?
南雲で
本当に良いのか?
この空母・航空機に対して、ど素人同然の南雲司令長官を支える人物がいました。
まずは、航空機の専門家である草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長。
そして、若きホープであった源田実 第一航空参謀です。
総責任者は「その道のプロ」であるべきです。
米軍なら「司令長官が責任者」ですが、参謀・補佐役の力が強い日本軍。
まあ、草鹿と源田が
いるからいいか・・・
こんな空気でした。
空母の専門家である「機動部隊生みの親」といわれる小沢治三郎 南遣艦隊司令長官。
本来、小沢長官が経歴的にも能力的にも、最も第一航空艦隊司令長官に相応しいです。
しかも、小沢長官と南雲司令長官は、海軍兵学校で「1期の差」でしかありません。
第一航空艦隊司令長官を
小沢にできないか・・・
山本人事を徹底妨害した及川古志郎海軍大臣:軍令承行令
そして、海軍の人事権を握る及川海軍大臣。
なに?
山本の要望がある?
「山本人事」とも言える人事案は「小沢治三郎を第一航空艦隊司令長官に」でした。
航空艦隊の長官が、
南雲ではなく小沢だと?
何言ってるんだ!
ダメだ!
及川古志郎 海軍大臣は海軍兵学校31期卒業で、山本長官の一つ上に当たります。
大変熱心な読書家で、中国の古典をよく読んでいました。
中国の
古典なら私の右に出るものはいない!
そして考え方は非常に保守的で、かつては海軍兵学校校長を務めていました。
及川海軍大臣が海軍兵学校校長を務める以前に、永野軍令部総長が海軍兵学校校長を務めていました。
その際、永野が進めていた改革案を継承した人物。
その人物こそ、及川だったのでした。
及川くんは、
僕の改革をうまく継承してくれた・・・
永野さん、
バッチリです!
つまり、及川大臣と永野総長は非常に仲の良い関係でした。
真珠湾作戦計画をゴリ押しした山本長官の提言を「どう扱うか」と悩んだ永野総長。
山本がうるさいのだが、
どうしたら良いだろうか・・・
山本も
頑固ですな・・・
おそらく、及川大臣にも相談していたのでしょう
永野総長は山本に折れましたが、及川大臣は山本に対して絶対に折れません。
及川大臣が、絶対折れないその理由。
それは、当時日本海軍において「軍令承行令」という絶対に破ることは認められない不文律があったからでした。
次回は上記リンクです。