真珠湾奇襲攻撃 9〜奇襲攻撃指揮官に悩む山本五十六〜|太平洋戦争

前回は「真珠湾奇襲攻撃 8〜先任順序という不文律〜」でした。

及川古志郎 海軍大臣(Wikipedia)

奇襲攻撃の作戦は、永野軍令部総長は、なんとか説得しました。

人事において、頑固者の及川古志郎海軍大臣は山本長官の説得に一切応じません。

もともと航空専門ではない南雲司令長官。

山本は南雲とはウマが合わず、ロクに口をきく間柄ですらありません。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

日本海軍にとって「最重要作戦」とも言える作戦を実施する責任者である航空艦隊司令長官の人事です。

なんとか別の人物にしたい。
南雲の代わりに小沢が最適だがダメか。

誰か他にいないか。

山本長官は、考え込みます。

山口多聞 第二航空戦隊司令官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

それこそ、優秀で熱血漢の第二航空戦隊の山口多聞司令官を、昇格させて司令長官にしたいくらいです。

山口司令官は小沢よりもさらに3期後任(年下)です。

「山口を航空艦隊司令長官に」は、
及川さんは、検討すらしないだろう・・・

その通り。
あり得ない!

検討する価値もない。

かつて山本長官は、海軍兵学校同期の堀悌吉と大変親しい仲でした。

「肝胆相照らす」とは山本五十六と堀悌吉のためにあるような言葉でした。

山本五十六(左)と堀悌吉(右)(Wikipedia)

学生時代から優秀であった山本五十六は海軍兵学校卒業時11番、対して堀は首席卒業です。

山本は頭脳明晰で性格が穏やかな堀を尊敬もし、同期の仲間として非常に大事にしていました。

私は堀を信頼している。

堀は、日本海軍を引っ張る人物だ!

ロンドン軍縮条約の際に、米英に対して日本の艦船比率が抑えられそうになりました。

条約推進派の堀に対して、「艦隊は出来るだけ多くすべきだ」という艦隊派が海軍内で争った時期がありました。

1934年のロンドン軍縮条約に海軍首席代表として出席する山本五十六(Wilipedia)

山本は日本海軍代表として米英と協議していましたが、海外においても、不穏な空気を感じ取っていた山本。

堀は大丈夫か?

山本は、堀の身をとても心配していました。

後になって、艦隊派が大勢を占め、居場所を失った堀悌吉は海軍を追われることになります。

「追われる」とは「クビ」になったということです。

優れた頭脳を持つ堀を予備役(退官)とした連中を、山本は許せない気持ちです。

堀をクビにするとは、日本海軍の
極めて大きな損失だ!

絶対に許せん!

堀を心の友としていた山本五十六にとってそれは、心底痛恨とも言えることでした。

艦隊派の馬鹿どもは、一体何考えているんだ!

堀よ・・・

この時、軍令部の幹部として「艦隊派」にいたのが南雲長官です。

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

山本長官にとって南雲は「堀を追った憎き連中の一人」なのです。

だいたい南雲は、私の大親友の堀を
追った一派ではないか!

「性格が全く合わず」「親友を追った連中の一人」であり、さらに「司令長官として全く不適任な」人物である南雲忠一。

山本は、どうしても南雲を、ハワイ奇襲部隊を率いる第一航空艦隊司令長官として是認できません。

南雲ではダメだ・・・

どうにかならぬか・・・

山本長官は途方に暮れます。

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