戦艦大和のペーパークラフト作成 8〜巨大戦艦に後に設置された対空砲・ただ一つ「日本の別名」を冠した戦艦大和・「世界の戦艦の帝王」登場と山本五十六の思い〜|第二次世界大戦

前回は「戦艦大和のペーパークラフト作成 7〜複雑な形状の戦艦大和の艦橋・敵信のための巨大アンテナ・「航空機撃墜」の高角砲を後に追加・「航空機時代」の到来〜」の話でした。

目次

巨大戦艦に後に設置された対空砲

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

多数の日本海軍の将星たちが座乗した艦橋が完成しました。

これから、艦橋付近の対空砲を作成してゆきます。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

非常に小さなパーツの型紙を切りました。

鉛筆と比較すると分かりますが、対空砲火砲のサイズは鉛筆の直径よりも小さいです。

小学校2年生の子供と一緒に制作していますが、子どもも切るのは大変そうでした。

右側の小さな接着面があるパーツは、カッターでないと切れないので、僕が切りました。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

対空砲火砲一つを組み立ててみると、非常に小さなパーツです。

小さすぎて、円柱部分を丸めるのも一苦労ですが、ピンセットを使用して何とか作成しました。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

戦艦大和の中央艦橋周囲の対空砲火砲を、順次接着してゆきます。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

まだ途中ですが、非常に高密度に対空砲火砲が作られているのが、よく分かります。

ただ一つ「日本の別名」を冠した戦艦大和

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

反対側にも対空砲火砲を設置してゆきます。

元々設置してあった中型の対空砲火砲5門に対して、小型の対空砲火砲10門を設置しました。

真珠湾攻撃の頃に完成した、日本海軍の象徴であった戦艦大和。

日本海軍には様々な艦船があり、実に多様な名称がつけられました。

ただ一つ「日本の別名」を冠した戦艦大和。

文字通り「日本海軍の象徴」という立場を超えて、「日本の象徴」とも言える存在となるべき艦でした。

戦艦大和(Wikipedia)

真珠湾奇襲攻撃で、戦術的には米海軍に大打撃を与えた日本海軍。

実際には「米国への宣戦布告の遅れ」で、戦略的には大失敗でした。

ちょうどこのタイミングで完成・進水した戦艦大和。

「大艦巨砲主義の権化」ともいわれた宇垣纏は、軍令部第一部長時代に強力に建造を推進した一人でした。

宇垣纏 連合艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

その宇垣は真珠湾奇襲攻撃の際には、山本長官を補佐する連合艦隊参謀長となっています。

戦艦大和の巨砲で、
米海軍を潰すのだ!

対して、早い時期から航空機・空母主軸を唱えていた山本長官。

「世界の戦艦の帝王」登場と山本五十六の思い

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

もはや
戦艦の時代ではない。

これからは、
航空機主体の戦いとなる!

日米開戦前から、強くこう考えていた山本長官。

秀才だったが考え方が合わない宇垣参謀長を「敬遠していた」と言われています。

あるいは、日本海軍の「軍令の要」である軍令部第一部長のポスト。

第一部長が宇垣では、
航空機主体の方針が妨げられる・・・

という懸念から、「宇垣を軍令部第一部長から外すために連合艦隊参謀長にした」という説もあります。

そして、宇垣の代わりに軍令部第一部長となったのは、こちらも秀才の名声が高かった福留繁。

宇垣も福留も同じ海兵40期の同期生です。

山本の空母・航空機への思いは大変なもので、早い時期から戦艦を作っていた海軍技師に対して、

悪いが、戦艦を作っていたら、
君たちは失職するぜ。

と言ったという逸話も残っています。

膨大な予算と長い年月をかけて作り上げた戦艦大和。

当時の日本海軍のみならず、日本全体の科学技術の結晶とも言える存在でした。

戦艦大和(Wikipedia)

竣工したばかりの戦艦大和には、艦橋周囲の中型の対空砲火砲があります。

しかし、周囲の小型の対空砲火砲はありませんでした。

これは、「戦艦大和は艦隊決戦に出てゆく!」という強い信念故でした。

そして、航空機との戦いを、竣工時はあまり考慮していなかったのでしょう。

真珠湾攻撃で損傷を受けた米国艦船(歴史街道2021年12月号 PHP研究所)

「戦艦から空母へ」の流れを「感じていた」当時の世界各国の海軍将官は、それなりの人数がいました。

ところが、「航空機から撃った魚雷・爆弾が艦船に当たるのか?」という懸念も強かったのです。

その中、真珠湾奇襲攻撃によって、「空母・航空機の時代」を鮮やかに世界中に見せつけた日本海軍。

まさに「自ら実証した空母・航空機の時代への流れ」にピッタリ合わせたかのようでした。

日本海軍が「世界の戦艦の帝王」を登場させた時期は。

実際、戦艦大和は「世界の戦艦の帝王」ともいうべき存在でした。

そして、その当時の砲撃力・防御力は世界中の艦船を圧倒していたでしょう。

次回からは、いよいよその戦艦大和の巨砲を作成してゆきます。

新歴史紀行

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