前回は「戦艦大和のペーパークラフト作成 6〜多数の将星が座乗した戦艦大和の艦橋・複雑な形状の艦橋・海軍艦政本部の造船技師たちの思い・福田造船中将の設計への執念〜」の話でした。
複雑な形状の戦艦大和の艦橋
山本五十六連合艦隊司令長官など、多数の長官・司令官・艦長たちが奮戦した艦橋が完成してきました。
小さなパーツが多かった艦橋部分ですが、今度は比較的大きなパーツです。
不思議な曲面のパーツがあります。
どうやら不思議な曲面は、巨大な煙突のパーツのようです。
戦艦大和の中央付近に鎮座する大きな、大きな煙突を展開図にすることを考えてみましょう。
すると、上の写真右上のような不思議な曲面になります。
煙突やアンテナ部分を作成してゆきましょう。
煙突は二つのパーツからできており、「湾曲した局面の上にさらに円筒形が乗る」形になっています。
これらの煙突と巨大なアンテナを艦橋付近に装着します。
敵信のための巨大アンテナ
小学生の子どもと一緒に制作していることもあり、パーツが少し曲がってしまっています。
僕も手伝っていますが、小さなパーツを実際に貼るのは、結構難しいです。
これで、当時の日本海軍の最新鋭の敵信傍受班の力の源泉である、巨大アンテナが完成しました。
歴史群像ならではの、非常にこだわった緻密なディテールです。
戦艦だからこそ設置できた、大きなアンテナ。
航空機が発艦・着艦する空母では、大きなアンテナを設置するのは出来ませんでした。
飛行降板面積の最大化、飛行機に邪魔にならないようにするためです。
大きなアンテナがあると、発着艦時、そこに「飛行機の翼が干渉してしまう」危険があったのでしょう。
改めて、米軍の空母レキシントンを見てみると、赤城よりも遥かに高いところにアンテナがあります。
煙突も巨大ですが、それぞれが細長く作られており、飛行機の発着艦には邪魔にならなそうです。
これもまた、日本と米国の軍事技術力の差であったと考えます。
続けて、曲面ではありませんが、複雑な多角形のパーツが出てきました。
さらに小さめなパーツです。
これらのパーツは、上の写真の小さな三角形・台形などの面で、貼り合わせてゆきます。
これらの小さな部分を切ってゆくのは、結構時間がかかり根気が必要です。
これらのパーツを組み立てると、小さな砲塔などのパーツが出来ました。
鉛筆の太さと比較して、この小ささなので、実に小さなパーツです。
ピンセットを使いながら、なんとかパーツを作成してゆきます。
「航空機撃墜」の高角砲を後に追加:「航空機時代」の到来
艦橋後部のパーツが出来てきました。
円筒に近いパーツが出てきましたが、艦橋を包み込むように配置する砲塔でしょうか。
大和中央部の、敵航空機などを攻撃するための砲塔を設置してゆきます。
これで、艦橋付近が大体完成し、これから高角砲などの砲塔を設置してゆきます。
完成・進水時には、ほとんどなかった「航空機撃墜のため」の高角砲。
戦艦大和が完成・進水したのは、ちょうど1941年の真珠湾奇襲攻撃の頃でした。
完成後、すぐに連合艦隊全体の旗艦となった戦艦大和。
日本(大日本帝国)が自ら、「航空機の時代」の到来を米軍に見せつけたタイミングでした。
ちょうど「この時」に誕生したのが超巨大戦艦でした。
その後、数度の改修・改良を経て、敵航空機に対する高角砲を大幅増強してゆきます。
日本海軍の大艦巨砲主義の象徴の戦艦大和。
海軍の思いと時代の狭間に生まれた頃に思いを馳せながら、制作を続けます。
次回は上記リンクです。