戦艦大和のペーパークラフト作成 5〜戦艦大和の対空砲火砲・排気口のディテール・艦艇にとって非常に重要な排気・「戦艦の心臓部」艦橋・大和特攻の伊藤整一第二艦隊司令長官の思い〜|第二次世界大戦

前回は「戦艦大和のペーパークラフト作成 4〜戦艦大和撃沈・米軍による戦艦大和の片側集中攻撃・甲板と機銃・竣工時には少数だった対空砲火・戦艦大和に増設された対空砲火砲・戦艦から空母へ〜」の話でした。

目次

戦艦大和の対空砲火砲

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

大和の艦橋側面の防空兵器を作ってゆきます。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

早くから「航空戦主体」を唱えて、海軍航空本部長・次官として、日本海軍の航空隊育成を推進した山本五十六。

これからの時代は
空母・航空隊だ!

まだまだ、世界中の海軍が「大艦巨砲主義」であった中、いち早く「航空隊主軸」を推進した山本。

この点だけでも、山本五十六が極めて優れた海軍提督であることは明白でした。

誠実そうな表情の山本は、ブリッジやポーカーなどの博打が好きな側面がある「変わった人物」でした。

ある時、戦艦を作る技師たちに対して、

悪いけど、君たちは
将来失業するぜ・・・

と軽口を叩くほどでした。

つまり、

近い将来、戦艦は
役に立たなくなる!

と考えていたのです。

排気口のディテール:艦艇にとって非常に重要な排気

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

それほど、航空戦に未来を見ていた山本五十六。

「時代の流れ」だったとは言え、大和竣工時の1941年は世界中の趨勢が「戦艦中心」でした。

新歴史紀行
戦艦大和(Wikipedia)

そのため、当初は対航空機とも言える防空兵器は少なめだった大和。

艦橋(上の写真の中央長方形)の付近にある対空砲火が出来てきました。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

かなり複雑なパーツです。

空気を吸ったり吐いたりする吸気口のようなディテールまで詳細に描かれています。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

戦艦や空母は重油を燃やして動力を得ていたので、「排気」は非常に大事なポイントでした。

特に空母では、「上部へ向かう排気」は航空隊にとっては、着陸する際に非常に困ります。

そのため、空母では「排気口は側面」に設置されたのでした。

新歴史紀行
第一航空艦隊 空母加賀(Wikipedia)

空母の側面に設けられた排気口からは、猛烈な煙が出ました。

戦艦大和は「航空隊の着陸」を気にする必要がないため、排気口は上に向けて設置されました。

複雑な形状をしっかり作り込んでいるので、作る方も大変です。

大和の艦橋の一部となる部分です。

「戦艦の心臓部」艦橋:大和特攻の伊藤整一第二艦隊司令長官の思い

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

かなり大きなパーツが出てきました。

このパーツも、小学生の子どもと一緒に作成して、子どもに切ってもらいました。

円形の部分など少し歪なところもありますが、複雑な形状をしっかり作ってゆきます。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

先ほど作成した、円柱形の対空砲火の上部に接着して、艦橋の下部ができてきました。

司令部が搭乗し、大和に限らず「戦艦の心臓部」とも言える艦橋。

この部分は、非常に頑丈に作る必要があったでしょう。

のちに大和の海上特攻の際、当時の伊藤整一 第二艦隊司令長官はこの艦橋から指揮しました。

伊藤整一 第二艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

航空隊の護衛なしに、
我が戦艦大和が沖縄に突入するのは不可能・・・

だが、命令が下りた以上、
軍人としてはベストを尽くす!

開戦時に軍令部次長として、山本長官の真珠湾奇襲攻撃に反対を続けた「頭脳派」の伊藤長官。

海軍兵学校卒業期名前役職
28永野 修身軍令部総長
31及川 古志郎海軍大臣
32山本 五十六連合艦隊司令長官
36南雲 忠一第一航空艦隊司令長官
39伊藤 整一軍令部次長
40山口 多聞第二航空戦隊司令官
41草鹿 龍之介第一航空艦隊参謀長
日本海軍幹部の役職と海軍兵学校卒業期(1941年9月)

その後も長く軍令部にいて、「作戦を下す」立場に居続けました。

その伊藤次長は、第二艦隊司令長官として戦艦大和に座乗して、終戦間際の1945年4月6日に沖縄向けて出動しました。

できる限り、
米軍を倒すのだ!

新歴史紀行
大きな雲を上げて沈没する戦艦大和(Wikipedia)

当時、沖縄周辺には多数の米空母が展開し、1000機近い航空機に何度も波状攻撃を受けた戦艦大和。

その戦艦大和が撃沈する様子は、日本に待ち受けていた未来を表していたのかもしれません。

新歴史紀行
広島への原爆投下(Wikipeidia)

そうした歴史に思いを馳せながら、作成を続けてゆきます。

次回は上記リンクです。

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