織田信長 9〜覇王の戦略 2〜|戦国武将

前回は「織田信長 8〜覇王の戦略 1〜」の話でした。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

悲願の美濃を、とうとう制圧した信長。

桶狭間の合戦が1560年で、美濃制圧は1567年。

東の脅威であった今川を倒して、「美濃に集中」してもなお、7年ほどの時間がかかりました。

実に苦労した・・・

しかし、これで美濃・尾張で100万石を
優に超える領土を手に入れたのだ!

武田 晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

領土を広げ続けた武田信玄。

1573年の西上作戦では、徳川の領土の大半を傘下に収めます。

西上作戦開始当時の支配領域は、甲斐・信濃・駿河に加え、上野・飛騨・遠江の一部の130万石程度でした。

1572年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

苦労したとは言え、「2カ国で100万石越え」を実現した信長。

生まれた場所がよかったのでしょう。

ちょうどタイミング良く、明智光秀が登場します。

明智 光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この時の光秀の立場は、細川藤孝の元にいた「足軽」という説もあり、大した身分ではなかったようです。

この「足軽」というのは、いわゆる足軽ではなく、「旗本」くらいな意味という説もあります。

しかし、「現将軍の使者」というのは、非常に強い立場です。

「現将軍の使者=明智光秀」が織田家にやってきて、信長に足利義昭の庇護を依頼します。

1568年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

あまりにタイミングが良いのですが、当時の織田家は濃尾で100万石を超える経済力を持つ織田家。

そして、商業が栄え、津島など海運が発展している港を抑えていたので、非常な財力を有していました。

感覚的にはすでに120~130万石程度の経済力・軍事力を有していたのでしょう。

足利 義昭(Wikipedia)

義昭は、武田信玄・毛利元就・上杉謙信・大友宗麟・北条氏康など大大名含めて、あらゆる大名と連絡をとっていました。

しかし、武田家と上杉家は川中島を挟んで、戦っている最中で、「それどころではない」状況。

上杉 謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

足利義輝公には拝謁した・・・

将軍家を護ることは、私の夢の一つだ。

しかし、京は遠すぎる・・・

その前に、うるさい武田を黙らせねば!

大友・毛利・北条は「実力十分」なものの、「京へ進軍する」発想は全くない状況です。

北条 氏康(Wikipedia)

関東を我が手に!

大友・毛利・北条のいずれも、「地域のボス」を目指していただけで、京を目指すことは考えてなかったのです。

その中で、比較的京に近く、やる気マンマンの織田信長率いる織田家を選んだのでしょう。

織田家は、朝廷に対する尊敬心があると聞く。

将軍も大事にしてくれるのではないか。

そして、織田家には非常に優れた人材が多数いることを、事前に掴んでいたに違いない。

織田家こそ、全ての条件を満たす!

喜び勇んだ足利義昭でした。

足利義昭公を将軍として
推戴していただけないでしょうか。

よし、「将軍」の権威を利用しよう!

そして、織田が近畿を押さえるのだ!

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