「将軍奉戴」引き受けた「勇敢で剛毅な」信長〜峻拒した朝倉家・「まずは守護・守護代」だった覚慶の発想・「格下」の織田家〜|ルイス・フロイス「日本史」9

前回は「「覚慶奉戴」に賭けた和田惟政〜「将軍家支援」拒否した朝倉と六角・将軍義輝を「攻め殺した」極大事件・近畿で暗躍した松永霜台〜」の話でした。

目次

「将軍奉戴」引き受けた「勇敢で剛毅な」信長:峻拒した朝倉家

New Historical Voyage
ルイス・フロイス「回想の織田信長」(新歴史紀行)

ルイス・フロイスは、将軍義輝殺害後、義輝の弟・覚慶の挙動を詳細に記述しています。

Frois

ことに彼は越前国主
朝倉殿(義景)、・・・

Frois

近江国主六角殿(義賢)の
許で、これをなした・・・

Frois

そのような難事をあえて
担当するつもりはないと述べた・・・

ところが、甲賀近隣の有力大名であった朝倉・六角は、覚慶保護を拒絶しました。

一般的には「朝倉家に一時滞在」した説が有力な覚慶。

新歴史紀行
戦国大名 明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

「朝倉家に寄寓していた」と言われる明智光秀と将軍家、そして光秀と信長の縁が出る説が有力です。

ところが、フロイスは、朝倉家は「覚慶保護を峻拒した」ことを明記しています。

これが事実であれば、光秀を取り巻く歴史に関しては、再考が必要になります。

Frois

そこで和田殿は
信長の許に赴いた・・・

Frois

彼は勇敢で剛毅な人物で
あったので・・・

Frois

直ちにこの企画を引き受け、
難事を克服し排除して・・・

Frois

復位のことをはなはだ
容易にした・・・

ここで信長は、「将軍奉戴」という「企画」を引き受けました。

ここで、フロイスの記述の「企画」という言葉は興味深いです。

「将軍奉戴」という、おそらく当時「最高の栄誉」に付随した「多大な困難」。

「多大な困難」とは、端的に言えば、当時大勢力であった三好・松永と正面切って戦うことでした。

新歴史紀行
戦国大名 朝倉義景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
朝倉義景

「将軍奉戴」は
我が朝倉家の大名誉・・・

朝倉義景

だが、一向一揆が北東におり、
京に乗り込む余地は、ない・・・

越前王・朝倉家は、当時50万石ほどの領土を有し、富裕でしたが、一向一揆と死闘を続けていました。

この事から、「山城に向かい、三好・松永と一戦交える」のは困難だったのが実情でした。

新歴史紀行
戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
織田信長

将軍奉戴か・・・
困難も多いが、やって見せよう!

それに対して、信長は「あっさり引き受けた」ように、フロイスは記載しています。

このプロセスは、信長と義昭の性格の違いが最大の理由と考えます。

「まずは守護・守護代」だった覚慶の発想:「格下」の織田家

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織田信長の本拠地移転(新歴史紀行)

当時、濃尾100万石の大勢力となっていた織田家。

その一方で、近畿圏から考えると「少し遠い位置」でした。

越前・朝倉、南近江・六角と比較すると「少し遠い」上に「家格が少し下」だった織田家。

守護・守護代・国衆(地侍)出身大名
守護武田家・大友家・島津家・今川家・大内家・六角家
守護代長尾家(上杉家)・朝倉家・尼子家
国衆(地侍)三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家)
戦国期の大名の家柄:守護・守護代・国衆(地侍)

将来「足利将軍」となることを期待していた覚慶にとって、まずは頼るべきは「守護」でした。

守護・地頭

守護:各国の軍事指揮官・行政官。地頭などを管轄して国を治め、強い軍事力を有する

地頭:領土と民衆を管理する地域の行政官。徴税権・警察権(軍事権)を有する

源頼朝によって、1185年に設立された守護・地頭の職。

室町幕府においても守護の職は存続し、「諸国の長官」であり、権威は極めて強い存在でした。

新歴史紀行
第十五代足利将軍 足利覚慶(義昭)(Wikipedia)
覚慶

まずは、守護である
六角を頼りたい・・・

覚慶

六角がダメなら、
守護代の朝倉か・・・

「将軍家の秩序」を重んじなければならない立場の覚慶(義昭)が、こう考えたのは当然でした。

そして、六角・朝倉に拒否された覚慶にとって、近畿周辺には「強力な守護・守護代」不在でした。

その結果、「守護代の下」であり、将軍家が直接相手にする立場としては「圏外」だった織田家。

覚慶

守護代ですらない
織田家か・・・

おそらく、覚慶は、織田家に対して、このように「大した家柄ではない」と思っていたでしょう。

Frois

公方様(足利義昭)は、彼のところに
至り、両者はその準備をした・・・

Frois

都に赴くために軍勢は
近江国を通過する必要があった・・・

信長が、新たな本拠地・美濃から山城に乗り込むためには、近江を通る必要がありました。

Frois

六角殿は、一つには信長に
対する恐怖から・・・

Frois

またこの企画を、自ら先に拒絶した
ことを恥じていたので・・・

Frois

その通過を拒もうと
考えた・・・

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戦国大名 六角義賢(Wikipedia)
六角義賢

守護代ですらない織田が、
守護である六角の領土を通る、だと・・・

六角義賢

しかも、私がかつて断った
覚慶を奉じている、だと・・・

六角義賢

織田を通過させる
わけにはいかぬわ!

名前生年
毛利元就1497年
北条氏康1515年
武田信玄1521年
六角義賢(承禎)1521年
長尾景虎(上杉謙信)1530年
織田信長1534年
島津義弘1535年
羽柴(豊臣)秀吉1537年
徳川家康1543年
太田牛一と戦国大名の生年

1521年生まれであり武田信玄と同年齢だった、大ベテランの守護・六角義賢。

六角義賢

守護代の下であり、
若造の信長・・・

格式も年齢も、信長の「遥かに格上」だった六角義賢は、強い決意を固めました。

守護代ですらない小僧・織田信長に立ちはだかる決意、を。

新歴史紀行

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