前回は「対米英蘭戦「完全併走」帝国陸海軍〜「陸軍主導」の虚構と臨戦体制突入へ・巨大国家だった1941年大日本帝国・明治から急速膨張した異形の国家〜」の話でした。
「緻密度」抜群の大東亜戦争全史:刻々近づく「最終和戦決定時機」

前回を持って、服部卓四郎が著した「大東亜戦争全史」の第1巻が完了しました。
大東亜戦争全史開戦決意後になされるべきことで、
従って陸軍は和戦の決定を、



刮目して
待っていたのである。
事実上、「臨戦体制」に入っていた帝国海軍に対して、帝国陸軍は「和戦決定」を待っていました。
ただし、これは「帝国陸軍」側であった服部卓四郎の主張であることに注意が必要です。
満洲における関特演などを含めて、帝国陸軍も1941年9月は、事実上「臨戦体制」でした。


そして、今回から大東亜戦争全史の第2巻に入ります。
全8冊ある大東亜戦争全史は、極めて緻密な描写が特徴です。
類似した書籍で、8〜10巻程度にまとめられた書籍は幾つかあります。
それらの書籍も同様に緻密な描写ですが、「緻密度」においては、飛び抜けているのが本書です。
帝国は現下の急迫せる情勢、特に米、英、蘭等各国の執れる対攻勢ソ連の情勢及帝国国力の弾発性等に鑑み、「情勢の推移に伴う帝国国策要領」中南方に対する施策を下記により遂行す
一、帝国は自尊自衛を全うするため、米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし、戦争準備を完整す
二、帝国は右(上)に並行して、米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努む
三、前号外交交渉に依り、十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す



帝国国策要領において、十月上旬頃において、
戦争か平和かの決定を行うべきを規定している。
1941年9月6日の御前会議において、正式裁可・決定となった帝国国策要領。
もうすぐ「期限」である、「1941年10月上旬」を迎えようとしていました。



即ち、十月下旬迄に戦争準備を完整するためには、
この十月上旬の和戦の決定を待って、



更に開戦に応ずる本格的戦争準備を促進する必要が
あるのであって、陸海軍統帥部としては、



その和戦の決定にこそ
重大関心を寄せていたのであった。



しかるに、その時機は刻々と迫っていたが、
対米交渉は渋滞していた。
「日米開戦回避」のための日米交渉は、渋滞し、ほぼ完全に頓挫しようとしていました。
「10月上旬=10月15日」に衝撃を受けた近衛首相:曖昧な及川海相





これに焦慮した陸海軍統帥部長は、
九月二十五日連絡会議席上、政府に対し重大申し入れを行った。
近づく「和戦決定最終時期=10月上旬」を半月後に控え、統帥部もまた緊張感に溢れていました。



即ち、「帝国国策遂行要領」に基く和戦の決定は、
遅くとも十月十五日までに



なされねばならぬ、という
申し入れであった。
曖昧な「10月上旬」に対して、陸海軍統帥部は「10月上旬まで=10月15日まで」と主張しました。
これは、陸海軍統帥部としては、「妥協した」と考えます。
日本語の運用上「上旬」は、通常「10日頃まで」であり、「15日」は「上旬のぎりぎりライン」です。



10月上旬、とは
即ち10月15日、はっきりしよう!
この陸海軍統帥部の主張は、極めて真っ当でした。



統帥部として、十月末までに戦争準備を完整せんとすれば、
遅くともその二週間前に開戦の決意を必要とした。



これは当然の帰結であって、
今更驚くに当たらぬことであった。
この「期限切り」は、確かに「驚く必要は全くない」ことでした。





な、なにっ!!!
10月15日だと!!!



しかし、この申し入れは、近衛首相に
相当の衝撃を与えた。



首相は会談終了後、せっかく準備してあった
昼食をも取ることなく、



・・・・・



会議出席の閣僚を
総理大臣官邸に伴い、



陸海軍統帥部長の、あの申し入れは、
果たして強い要望なりや。



との意味の質問を
発した。



東條陸相は
これに対し、



強い要望である。
否、要望というよりは、



御前会議で「十月上旬頃」と決定したこと
そのままを述べたに過ぎない。



従って、これは変更せられるべきことではなく、その
時機までに見透しをつけて、



政戦略の転換を
決すべきである。



と述べたところ、
近衛首相は、かなり当惑したようであった。



・・・・・



この頃、及川海相の態度には、陸軍側の
納得し難い節があり、



東條陸相は、九月二十七日、
海相と特に会談し、



御前会議の決定を変更するの意思が
あるようだが、如何か?



と質したところ、
海相は、



変更の意思はないが、
世界情勢は刻々と変化しつつあるので、



日本のみが、過早くに
世界戦争の渦中に飛び込むのを虞れている。



と
述べた。
「10月上旬」を「10月15日」と明確にしただけで、「当惑した」近衛首相。
そして、帝国陸軍から見ると「不審な点がある」帝国海軍。
顔つきからして、明らかに決断力に欠ける及川古志郎海相は、なんとなくボンヤリしていました。



皆、米国との戦争前という
緊張感に欠けているのではないか?
筆者の推測ですが、東條陸相は、この状況に苛立ちを感じていたでしょう。


当時、大日本帝国の総理大臣には、大きな権限はありませんでした。
しかし、海外に対しては、「帝国政府の代表」であったのは間違いなかったのは事実です。



・・・・・
その「帝国政府代表」の近衛首相は、「明確な期限」に当惑していただけ、でした。
「真珠湾」まであと2ヶ月余りのなか、帝国政府とにかくフラフラと迷走を続けていました。

