前回は「大長老・平沼騏一郎の超正論+「夢の又夢」の日米共同で戦争停止〜「米参戦」の未来を的確に予言した松岡洋右・「絶望的交渉」継続へ〜」の話でした。
暗礁に乗り上げた日米関係と「真珠湾」前夜

後世の視点から見れば、1941年7月10日は、「真珠湾前夜」のはずでした。
1941年12月8日に、大日本帝国海軍は真珠湾を奇襲攻撃し、同時に帝国陸軍もアジアに侵攻しました。
その結果、「欧州大戦+支那事変(日中戦争)」だった戦争は、一気に第二次世界大戦に変貌しました。
いわば、「第二次世界大戦を引き起こした当事者」こそが、大日本帝国でした。
その1941年12月8日の、わずか5ヶ月前の同年7月10日、12日、対米交渉の協議が行われていました。
参加していたのは、帝国政府・大本営の大幹部たちで「連絡会議」と呼ばれました。
主な議題は、米国の「1941年6月21日附対案」でしたが、帝国としては受け入れ難い条項ばかりでした。
「イヤイヤ」交渉継続明言した松岡外相:ハルの挑発文書への怒り

米国の「1941年6月21日附対案」は、絶望的内容でした。
ところが、さらに絶望を超えて挑発的な文章が付いてきました。
それが、ハル国務長官の「ハル・オーラルステートメント」でした。
不幸にして政府の有力なる地位に在る日本の指導者中には国家社会主義の独逸及其の征服政策の支持を要望する進路に対し抜き差しならざる誓約を与へ居るものあること
及之等の人が是認すべき合衆国との諒解の唯一の種類は合衆国が自衛に関する現在の政策を実行することに依り
欧州の戦闘行為に捲き込まるるが如き場合には日本がヒットラーの側に於て戦ふことを予見するが如きなるものべしとの確証が長年に亘り日本に対し真摯なる好意を表し来れる筋寄りの報告を含む世界中有ゆる筋より益々本政府に達しつつあり、
日本国政府の「スポークスマン」に依り何等理由なきにも拘らず為されたる三国同盟の下に於ける日本の誓約及意図を強調せる最近の公式声明(複数)の論調は看過し得ざる態度を例証し居れり
斯る指導者達が公の地位に於て斯かる態度を維持し且公然と日本の興論を上述の方向に動かさんと努る限り現在考究中の如き提案の採択が希望せらるる方向に沿ひ実質的結果を収むるための基礎を提供すべしと期待するは幻滅を感ぜしむることとなるに非程ずや
故に国務長官は本政府は日本国政府が全体として諒解案の目的を構成するが如き平和的進路の追求を希望するものなることに関し現在迄に与へられたるよりも一層明白なる何等かの指示を期待せざるを得ずとの結論に遺憾ながら到達せり、
日本政府は日本国政府が斯かる態度を表明せられんことを真に希望するものなり
HullMatsuokaよ・・・
邪魔だから消えろ・・・
誰が読んでも「松岡外相を標的にしている」ハルの文章に対して、松岡が激怒したのは当然でした。
これは、どう考えてもハル国務長官の方に非があり、一国の外務大臣に対する姿勢ではありませんでした。


「大東亜戦争全史1」では、1941年7月12日の連絡会議の発言が詳細に記録されています。



対米交渉は、これ以上継続
出来ぬことをここに提議する・・・
こんな「挑発文書」を受けとって、素直に交渉が進む方がどうかしています。
この点、松岡外相の激怒は当然であり、ハルは「松岡の性格」を見通していたのでしょう。



奴の性格は、
よく知っている・・・



Matsuokaは
激怒するであろう・・・





努力しても
宜しいではないか・・・
ここで、大長老であり総理経験者の平沼騏一郎が、松岡洋右を宥めにかかりました。



絶望とは思うが、
最後まで努力しましょう・・・
その結果、松岡外相は「イヤイヤながら」交渉継続を明言しました。
不気味な沈黙続けた近衛首相:「真っ当な意見」だった東條陸相





望みがなくとも
最後までやり度い・・・



難しい事は知っているが、
大東亜共栄圏建設及び支那事変処理・・・



これが出来なければ
ならぬ・・・



三国同盟の関係からも、
米国の参戦の表看板を・・・



表に掲げさせぬことだけでも
出来ぬだろうか・・・
ここで、東條陸相が発言しましたが、「極めて真っ当な」発言でした。



海軍の情報によれば、
ハル長官等は・・・



持って行くまいという
考えがあるらしい・・・



そこへ本施策をやる
余地がありはせぬか・・・
さらに、及川海軍大臣もまた、「なんとか交渉継続」を主張しました。



何か余地が
ありますか?



どういう余地がありますか、
何を入れますか?
ここで、「イヤイヤ交渉継続」の松岡外相は、猛烈に反駁しました。



南に兵力を使用せぬと云う
ならば聞くだろうが、外の事で何があるか?
もはや、松岡外相は、「交渉を真面目にやる気がない」のが明らかでした。



太平洋の保全、支那の門戸開放等で
入れることがありはせぬか?



今度の米案は、第一案より
改悪であるから・・・



これを引き戻すことは
困難である・・・



日本組し易しと思うから、
このような手紙をよこしたのである!


昭和天皇がトップであった大日本帝国でしたが、「国家の顔」は総理大臣でした。
対外的には「KonoeのJapan」であったにも関わらず、



・・・・・
近衛首相は、全く発言しませんでした。
「大日本帝国の顔」であり、「帝国政府を引っ張るべきはず」だった近衛首相。
不気味なほど静かに黙り込んでいた近衛首相の表情には、ヒンヤリした雰囲気がありました。
この「沈黙」には、近衛なりの思惑がハッキリとあったのでした。
そして、当時、その思惑は「近衛首相のみが知っていること」でした。

