男気溢れる「軍人の鑑」小沢治三郎〜「上から目線」の辻政信・異常に険悪な大日本帝国陸海軍・伏見宮の改革と軍令部総長・日本陸海軍の黎明期・険悪な各国陸海軍〜|Malayの叫び5・マレー沖海戦

前回は「小沢治三郎長官と空母がない小沢艦隊〜マレーでの陸海軍強力体制・大日本帝国と南方資源地帯・蘭印の莫大な原油求めて・山下奉文司令官と辻政信作戦参謀〜」の話でした。

目次

日本陸海軍の黎明期:険悪な各国陸海軍

戦艦大和(Wikipedia)

どの国でも仲が良くない陸軍と海軍。

それはお互いが、

俺たち
陸軍の方が上だぜ!

我々、海軍がいなければ、
何もできないだろう!

と考えていることが、まず根幹にあります。

そもそも、
軍隊は陸軍が先に誕生した!

それはそうだが、
海の向こうで戦うには・・・

海上援護も
非常に大事だ・・・

それとも、陸軍の連中は
海の上を飛んで戦うのか?

まあ、我が陸軍の作戦に
海上援護が大事なことは、その通りだ・・・

お互いの利益がぶつかり合う時も多く、それぞれのプライドがあります。

どの国でも「陸海軍の仲は険悪」なのですが、日本においては「険悪」を超えていました。

見方によっては「陸海軍の間に確執がある」とも言えるほど、非常に仲が悪かった日本陸海軍。

陸軍大将 西郷隆盛(国立国会図書館)

海軍が非常に大事な島国・日本。

日本においても近代国家建設時において、まず重視されたのは海軍でした。

欧米列強から
我が国を守るためには・・・

まずは海軍を
大幅に増強しなければ!

ところが、そもそも軍艦を大して持っていなかった日本。

陸軍ならば、
旧薩摩藩士など体制固めが出来る!

軍の比重は海軍から陸軍に大きく傾斜して「陸軍中心」となってゆきました。

「明治新政府の顔」とも言える西郷隆盛は、当時「ただ一人」の陸軍大将に就任しました。

日本で、ただ一人の
陸軍大将ごわす・・・

のちには「近衛都督」も兼任した西郷は、名実ともに「日本陸軍の頂点」にいたのでした。

左上からH.Parkes英国公使、Matthew Perry米提督、Townsend Harris駐日米大使、Leon Roches駐日フランス帝国公使(Wikipedia)

幕末、米英仏露などの国が海を渡ってきました。

どの国も強力な海軍を持っていることに驚愕した日本。

陸軍優先でしたが、

海軍も
非常に大事だ!

そして、幕府の海軍重鎮だった勝海舟を初代海軍卿に据えます。

海軍卿 勝海舟(麟太郎)(Wikipedia)

私たちは
海軍のことは良くわからない・・・

海軍は
勝さんにお任せしたい・・・

まあ、俺は咸臨丸で
メリケン(米国)にも行ったしな・・・

咸臨丸(Wikipedia)

俺が新しい国の海軍は
なんとかしよう!

ハッタリ屋の大言壮語の人物だった勝。

咸臨丸では、

俺が咸臨丸を
操艦したんだ!

と言っていますが、実際には、

Katsuさんは、
具合が悪そうで、大して役立たなかったよ・・・

はるばる通り米国までゆくには、米海軍士官たちが操艦したのでした。

異常に険悪な大日本帝国陸海軍:伏見宮の改革と軍令部総長

伏見宮博恭王 軍令部総長(Wikiepdia)

現代は空軍もあり、米国に至っては宇宙軍まである軍隊。

陸軍と海軍を「陸海軍」とまとめることはあっても「海陸軍」とは言いません。

それだけに陸軍が主体であり、旧日本軍においても、将兵の数は遥かに陸軍が多かったのでした。

そもそも、海軍の軍令部長は、かつては軍令長と呼ばれていました。

名称の通り、陸軍の参謀総長の格下的存在だったのです。

それを、変えたのが、皇族出身だった伏見宮博恭王 軍令部総長。

島国日本で、
海軍が陸軍の下でどうする?!

軍令部長は軍令部総長となって、
参謀総長と対等だ!

軍令部長から、軍令部総長へ名前を変更し、権限を一気に強化しました。

参謀本部の長が「参謀総長」であり、軍令部の長は「軍令部総長」となりました。

「軍令総長」の方がシンプルで呼びやすそうですが、

軍令総長ではなく、
重々しく軍令部総長だ!

なんとなく「軍令部総長」の方が偉そうな印象があります。

少し長くしたのはおそらくは、

名前に
風格を与えるのだ!

「海軍が陸軍より下」という歴史に、
名実ともにピリオドを!

という意志があったのでしょう。

新歴史紀行
零戦(Wikipedia)

戦時中は、陸海軍で異なる航空機・飛行機を生産していました。

それぞれで要求性能が異なるためですが、それら航空機を製作する工場では、

おい!
海軍にバレないようにしろよ!

陸軍の連中に
海軍の航空機の秘密を悟られるな!

という感じで、陸海軍の航空機生産ラインの間には、非常に大きな壁を立てました。

九七式艦上攻撃機(Wikipedia)

その上、厳重な出入りチェックまでしていたのでした。

まるで「敵国」であるかのような、異常に険悪な日本の陸海軍。

男気溢れる「軍人の鑑」小沢治三郎:「上から目線」の辻政信

小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(別冊歴史読本 戦記シリーズNo.65 「空母機動部隊」新人物往来社)

そして、このマレーの地で、南遣艦隊司令長官であった小沢治三郎。

この頃の日本海軍の主眼は米国であり、少し脇役的存在でした。

辻政信 作戦参謀(Wikipedia)

ここで登場するのが、陸軍幼年学校・陸軍士官学校を首席卒業した辻政信です。

続けて陸軍大学校で学んだ辻は、陸軍大学校を三位で卒業し「恩賜組」となりました。

これだけ成績優秀で通した辻は、その風貌もあり、かなり自信過剰なタイプでした。

おそらく、内心は、

俺より頭が良い人間は
この世にいない!

くらいのことを考えていたであろう辻。

表情・顔つきにそのプライドが強く現れており、ずっと陸軍でトップを走ってきました。

そして、

辻さんは
「作戦の神様」だ・・・

いや、辻さんは
「軍の神様」だろう・・・

と周囲が「讃えてしまう」ほどの頭脳を持っていた辻。

マレーでの戦争において、辻は、

ここは我が
陸軍が中心となって作戦を進めるべきだ!

と考えました。

「陸軍が中心」ということは「海軍は脇役」となりますが、それを海軍に伝える必要があります。

よしっ!
ここは、俺が直に海軍に言いに行こう!

1902年生まれの辻政信は、1886年生まれで「16歳年上」の小沢治三郎長官の元にゆきました。

そして、

是非とも、海軍は
我が陸軍のマレーでの作戦を補佐して頂きたい!

陸のマレーを攻めるのは、
我が陸軍なのだ!

と「一方的な陸軍の要求」を突きつけてきた辻参謀。

これに対して、小沢長官は内心、

随分一方的な
要求をする奴だ・・・

小僧が、
勝手なことを言いおって・・・

と思いながらも、

海軍は陸軍に
協力しよう!

と「陸軍を補佐する海軍」を引き受けました。

陸軍の軍事活動を
補佐して見せよう!

と言った小沢長官の決断。

それは、小沢の男気溢れる「軍人の鑑」たる大きな決断だったのでした。

次回は上記リンクです。

新歴史紀行

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