Malayの叫び 2〜英東洋艦隊・「プリンス・オブ・ウェールズ」の意味・日本海軍と英海軍・チャーチル・フィリップス・山本五十六・小沢治三郎〜|マレー沖海戦

前回は「Malayの叫び 1〜真珠湾奇襲後の日本海軍〜」の話でした。

目次

プリンス・オブ・ウェールズ

英戦艦 Prince of Wales(Wikipedia)

「大英帝国の象徴」とも言える最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ。

1937年に着工し、1941年に完成したばかりの、まさに完成したばかりの戦艦です。

Winston Churchill英首相(Wikipedia)

“Prince of Wales”の
名にふさわしき、大戦艦・・・

“Prince of Wales”という
名前を負うだけの戦艦だ!

完成したプリンス・オブ・ウェールズに乗艦したチャーチル首相は、笑みを漏らして、

この”Prince of Wales”が
世界中を席巻するのだ!

大いに勇みます。

そもそも、日本人にはあまり馴染みのない”Prince of Wales”という名前。

この名前は、英国人にとっては、極めて特別な名前です。

Prince of Wales(プリンス・オブ・ウェールズ)

・英国における王位の法定(推定)である王子に与えられる称号

「将来の英国王となる王子」のみが、名乗ることを許される”Prince of Wales”という名称。

この戦艦に対する大英帝国の軍・政府の「期待の大きさ」が伺えます。

戦艦大和(Wikipedia)

この点で、日本海軍が巨大戦艦を作り、

空前絶後の
巨大戦艦だ・・・

我が大日本帝国海軍を
背負う戦艦だ!

海軍のみならず、
大日本帝国そのものを背負う存在だ!

その名前は・・・

我が国の別名である
「大和」しかない!

戦艦大和(Wikipedia)

巨大な期待を背負って誕生した戦艦大和。

実は、戦艦大和もプリンス・オブ・ウェールズと全く同じ「1937年に着工、1941年に完成」の戦艦です。

名前の付け方と言い、タイミングといい、戦艦大和と戦艦プリンス・オブ・ウェールズは大きな類似性を持っていました。

英国海軍と日本海軍

英巡洋戦艦 Repulse(Wikipedia)

プリンス・オブ・ウェールズだけでも十分強力な東洋艦隊。

さらに巡洋戦艦レパルスに加え、

空母Indomitableも
東洋艦隊へ!

英空母 Indomitable(Wikipedia)

英国が誇る、大空母インドミタブルも東洋艦隊に編入されます。

この東洋艦隊で、
Japanなど木っ端微塵にしてくれるわ!

元々英国陸軍出身のチャーチル首相。

その後、海軍大臣を勤めたこともあり、英国海軍には大変な思い入れを持っていました。

だいたい、
Japanが近代化する時・・・

我がGreat Bratainが、海軍を
教えてやったのだ!

それは事実でした。

幕末・明治維新を経た明治新政府の主導権を握った西郷隆盛、大久保利通たち。

大久保 利通(国立国会図書館)

もともと薩摩と縁が深く、大量の武器を購入した大英帝国に「海軍の範」を求めたのでした。

さらに、幕末から大英帝国との関係が良好であった明治新政府は、1902年に大英帝国と日英同盟を締結します。

戦艦三笠に座乗する東郷平八郎連合艦隊司令長官(Wikipedia)

そして、日露戦争において日本海海戦で大勝した大日本帝国海軍。

その旗艦である戦艦三笠は、大英帝国から購入した戦艦でした。

つまり、日露戦争当時では、日本には巨大戦艦を作り出す能力がなく、買うしかなかったのでした。

海軍に関しては、
いわば、我が国はJapanの先生だ!

先生に逆らったら、
どうなるか、教えてやろう!

英国海軍の宝:フィリップス中将

英東洋艦隊司令長官 Tom Phillips(Wikipedia)

我が東洋艦隊を
率いるのは・・・

Phillips中将!
頼んだぞ。

非常に声望の高いフィリップスを軍令部次長から引き抜いて、司令長官に据えたのでした。

率いるフィリップス中将は、「英国海軍の宝」とも言われた逸材でした。

お任せ
ください!

そして、この強力な英東洋艦隊と対峙する日本の南遣艦隊。

司令長官は、海兵37期卒の小沢治三郎中将でした。

小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(別冊歴史読本 戦記シリーズNo.65 「空母機動部隊」新人物往来社)

「空母機動部隊の生みの親」と言われた小沢司令長官。

空母は
数隻まとめて集中運用すべき!

まとめることで、航空隊に
大きな打撃力が生まれる!

本来は、ハワイ奇襲攻撃を担当した第一航空艦隊司令長官は一期上の南雲忠一です。

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

本来は、小沢治三郎が
第一航空艦隊司令長官であるべき!

という声があったほど、高い能力を有していた小沢。

ところが、先任順序の「軍令承行令」という年功序列の制度によって阻まれた小沢。

・・・・・

主力空母は、南雲機動部隊に所属しているため、小沢の南遣艦隊には空母がありません。

第一航空艦隊に6隻もの空母を配属し、「空母生みの親」である小沢艦隊には当時空母0でした。

そのため、重巡洋艦や潜水艦が中心戦力です。

重巡洋艦 鳥海(Wikipedia)
山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

小沢長官、南は
頼んだぞ!

お任せを!

1886年生まれの小沢中将と1888年生まれのフィリップス中将。

「かつての師弟」とも言える日英海軍の戦いが始まろうとしていました。

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