前回は「商人出身武家からのし上がった黒田孝高〜新旧勢力が拮抗した播磨・秩序乱れた戦国における家柄・白亜の美しい姫路城〜」の話でした。

異常に高い能力評価を受けている黒田孝高:全能力トップクラス

多数の武将がキラ星の如く登場した戦国時代。
著名大名である織田信長、羽柴秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信らは、能力の評価が高いです。
歴史読本などの歴史書で、多数の「武将評価本」がありますが、どんな本でも高評価です。
そして、大大名以外では黒田孝高、竹中半兵衛、真田昌幸の三名は異常に高評価です。
信長の野望シリーズや天下統一シリーズなどにおいても、軍事力・政治力などで極めて高い評価の三人。
武将名 | 戦闘力 |
上杉謙信 | 100 |
真田幸村(信繁) | 97 |
武田信玄 | 96 |
竹中半兵衛(重治) | 94 |
真田昌幸 | 90 |
織田信長 | 88 |
徳川家康 | 88 |
北条氏康 | 85 |
黒田孝高(官兵衛) | 85 |
武将風雲録では、竹中半兵衛は戦闘力94という異常な高評価となりました。
この評価は、半兵衛の采配と知謀を軍事能力として換算した結果と思われます。
黒田孝高もまた、北条氏康と同等という高い評価です。
武将名 | 政治力 |
毛利元就 | 100 |
羽柴秀吉 | 99 |
顕如(本願寺光佐) | 97 |
黒田孝高(官兵衛) | 96 |
織田信長 | 95 |
北条氏康 | 94 |
石田三成 | 93 |
武田信玄 | 92 |
山本勘助 | 88 |
真田昌幸 | 87 |
毛利元就 | 84 |
武将風雲録では、知謀の能力値がなく、知謀は政治力として評価されています。
この政治力において、黒田孝高は96の圧倒的数値であり、信玄や信長をも上回ります。
武将名 | 政治力 | 戦闘力 | 政治力+戦闘力 |
武田信玄 | 92 | 96 | 188 |
毛利元就 | 100 | 84 | 184 |
織田信長 | 95 | 88 | 183 |
黒田孝高(官兵衛) | 96 | 85 | 181 |
北条氏康 | 94 | 85 | 179 |
山本勘助 | 88 | 91 | 179 |
真田昌幸 | 87 | 90 | 177 |
最も重要な政治力と戦闘力の合計値で、トップランクに君臨しているのが黒田孝高です。
武将風雲録では山本勘助の能力値が「バブル気味」となっており、他のゲームではもう少し低いです。
知謀力が能力評価される場合も極めて高く、黒田孝高は全能力トップクラスです。
超巨大勢力の三好の興隆と衰退:首都圏だった播磨で成長した孝高

この不気味なほど高評価を受けている黒田孝高(官兵衛)の「真の姿」とはなんでしょう。
1546年に播磨国・姫路で生誕した黒田孝高。
当時の日本の国家の姿は、完全に京・山城中心であり、播磨はいわば「首都圏」でした。
名前 | 生年 |
毛利元就 | 1497年 |
北条氏康 | 1515年 |
今川義元 | 1519年 |
武田信玄 | 1521年 |
長尾景虎(上杉謙信) | 1530年 |
織田信長 | 1534年 |
島津義弘 | 1535年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
徳川家康 | 1543年 |
黒田孝高(官兵衛) | 1546年 |
戦国時代を彩った大名・武将の中で、最年少クラスとなり、家康の3歳年下でした。

孝高が物心がついた1560年頃、播磨付近は摂津周辺の三好家が覇権を握っていました。

三好家は、
最強の大名らしい・・・





我が三好家の
天下だ!
この頃、絶頂期を迎えていた三好家は、摂津を中心に240万石ほどの領土を有していました。
さらに、京を完全に掌握し、堺で貿易も推進していた三好。
いわば、東側のすぐ近くに最強大名・三好家がいる状況であった黒田孝高の小寺家。
さらに、西側では、毛利家が圧倒的な力を有しており、100万石近い領土を有していました。
この頃の、武田・上杉・北条などの石高は100万石には遠い立場でした。
ただし、上杉謙信が関東管領就任後「瞬間的に圧倒的大大名になった」時を除きます。
「瞬間的に圧倒的大大名になった」上杉家に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
いわば、「超巨大勢力」に挟まれた弱小勢力として、この頃の播磨の大名たちは、



三好に
従うべきか・・・



はたまた義理堅いらしい、
毛利が良いか・・・
ずっとこう悩んでいたでしょう。



む、
無念だ・・・
ところが、1564年に三好長慶が急死すると、三好家はアっと言う間に分解してしまいました。



まさか、
あの三好が・・・
黒田孝高が19歳(数え年)の時であり、戦国大名の「興隆と衰退」をハッキリ近くで感じた孝高。
この頃、黒田孝高の父・職隆は、小寺家で家老の重職にあり、多数の情報を持っていました。
諸大名からの折衝なども司っていた職隆には、三好や毛利などのリアルな情報が伝わってきました。
この「超巨大勢力・三好と毛利に挟まれた」特殊な環境であり、「最先端地=首都圏」だった播磨。
この類稀なる環境が、情報力を元にした知恵を絞り出す黒田孝高の原型を作ったのでしょう。