前回は「伊藤と木戸を結びつけた来原良蔵〜伊藤博文を世に出した木戸孝允・伊藤「西郷以下人才は政治に向かなかった」・木戸と大久保と伊藤〜」の話でした。
「歴史的事実を基とした虚構」歴史小説:「竜馬がゆく」の史実と巨大な虚構

様々な人物がキラ星の如く登場した、幕末維新期の日本。
・戦国時代:1550年〜1615年頃(一部、江戸時代)
・幕末維新:1840年〜1870年頃
・第二次世界大戦:1938年〜1945年頃
日本の歴史上、人気が高いのは上の三つの時代であり、雑誌や書籍はほとんどこの時代です。
小学生の頃から歴史好きだった筆者は、多数の歴史の書籍・歴史小説を読みました。

幕末維新の歴史小説の中で、おそらく最も人気が高い「龍馬がゆく」。
筆者も、高校生から大学生の頃に、「竜馬がゆく」を読んで胸を熱くしたものでした。
この「竜馬がゆく」に関しては、司馬遼太郎による「坂本竜馬という虚像」が多数見受けられます。
それらの「坂本竜馬という虚像」は、実在した坂本龍馬に関する歴史を基に紡いだ物語です。
ここで「竜馬」と「龍馬」は、同じ竜と龍ですが、「違う」とも言えます。
この点に関しては、司馬遼太郎は、かなり意図的に「竜馬」とした説明をしたこともあります。
いずれにしても「巨大な虚構」が描かれているのが「龍馬がゆく」です。
「歴史小説」は「歴史的事実を基とした小説」であり、どうしても虚構があります。
いわば、「歴史的事実を基とした虚構・物語」が、歴史小説です。
そして「虚構がなければ、小説にならない」のが現実でもあります。
そのため、「歴史小説をもって歴史的事実」と考えることは、かなりの飛躍があります。
その一方で、歴史的知識が浅い状況では、歴史小説は「歴史を知る」にはうってつけの書籍です。
ほとんどの歴史小説では、「登場人物を限定」します。
そして、主人公及び周辺人物を「大きく持ち上げる」ことになります。
これらの「限定+主人公持ち上げ」効果が、極めて強い歴史小説の一つが「竜馬がゆく」です。
この意味では、「真実の歴史とは異なる」面がありますが、筆者は今でも「竜馬がゆく」は好きです。
留守政府に「西郷もいた」と表現した伊藤:西南戦争と維新政府若手

そして、伊藤博文が晩年に赤裸々に語っている「伊藤公直話」は、真実が多いと考えます。
木戸孝允、大久保利通らと比較すると「少々軽い」性格でもあった伊藤博文。
人物に対する好悪も激しく、その点は割り引いて読む必要がありますが、「事実を知る」には良いです。
伊藤博文そうして、長州人の中では、
交際の広いことは木戸公の右に出るものはなかった。



木戸公とは、
特別に親密であった。
とにかく、木戸孝允を持ち上げ、「木戸と自分は最も親密」とでも言わんばかりの伊藤。



そこで、ちょっと飛ぶが、
大久保公と予がアメリカまで行って・・・



一時引き返して
来たことがある。


ここで、伊藤博文は、突然に岩倉使節団の話に飛びました。



それは締盟各国と条約改正の
相談をして廻わるに就いて・・・



権限に不足があったので、その追加委任を受けるために
中途から帰って来たのだ。
「天皇の全権委任状」を、うっかり忘れてしまった岩倉・大久保・木戸たち。
大久保と伊藤は、慌てふためいて、米国から一時日本に帰国しました。


そして、明治天皇から全権委任状を拝領して、トンボ帰りで米国に向かった歴史があります。



大使一行の出た留守は、主に
大隈と井上がやっていた。



山縣・西郷なども
いた。
ここで、当時、事実上は「西郷隆盛首相・西郷政権」であった留守政府。
それにも関わらず、伊藤博文は、「大隈と井上が主」であり「山縣・西郷もいた」と表現しました。


これは、伊藤が井上馨と長きにわたる「莫逆の友」であることが重要です。
確かに、政治力はあった井上馨でしたが、井上は汚職問題が強すぎる問題人物でした。
山縣とも、同じ長州仲間で親しかった伊藤は、三番目に山縣を揚げました。



西南の乱は、今から見れば、
実に馬鹿馬鹿しい間違いで・・・
このように、西南戦争を「実に馬鹿馬鹿しい」と切って捨てた伊藤博文。
これに関する話を、上記リンクでご紹介しています。
とにかく、西郷隆盛を「全く評価していなかった」伊藤博文。
| 名前 | 生年 | 所属 |
| 大村 益次郎(村田 蔵六) | 1825 | 長州 |
| 岩倉 具視 | 1825 | 公家 |
| 西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
| 来原 良蔵 | 1829 | 長州 |
| 大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
| 木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
| 井上 馨 | 1836 | 長州 |
| 三条 実美 | 1837 | 公家 |
| 山縣 有朋 | 1838 | 長州 |
| 大隈 重信 | 1838 | 佐賀(肥前) |
| 高杉 晋作 | 1839 | 長州 |
| 久坂 玄瑞 | 1840 | 長州 |
| 伊藤 博文(俊輔) | 1841 | 長州 |
ここには、伊藤博文世代から見た「西郷世代への反感」もあったでしょう。
それにしても、当時の維新の巨頭・西郷隆盛に対して、



西郷なども
いた。
「西郷もいた」と表現した伊藤博文。
| 勢力 | 西郷軍 | 政府軍 |
| 明治政府軍 | 約90,000名 | 約6,400名 |
| 西郷軍 | 約30,000名 | 約6,800名 |
これは、伊藤個人の考えですが、「巨大内戦」であった西南戦争。
この伊藤の「西郷観」は、当時の明治新政府の若手の一部に「共通した思い」だったと考えます。


