伊藤と木戸を結びつけた来原良蔵〜伊藤博文を世に出した木戸孝允・伊藤「西郷以下人才は政治に向かなかった」・木戸と大久保と伊藤〜|伊藤公直話16・エピソード

前回は「伊藤博文「大久保利通・岩倉具視・木戸孝允の三公こそ維新の三傑」〜欧化主義を大絶賛した伊藤博文・打ち破った封建主義と開国論〜」の話でした。

目次

伊藤と木戸を結びつけた来原良蔵:伊藤博文を世に出した木戸孝允

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小松綠「伊藤公直話」(新歴史紀行)

今回から、「伊藤博文が語る木戸孝允」の話です。

語る対象ページ数
大久保利通15
木戸孝允22.5
西郷隆盛(南州)1
高杉晋作0.2
三条実美6
岩倉具視11
島津久光0.5
島津斉彬2
吉田松陰1
長井雅楽1.5
藤田東湖1
大村益次郎2
佐久間象山0.2
パークス7
弘法大師1
狩野芳崖+橋本雅邦2
豊臣秀吉0.2
菅原道真0.2
森槐南+矢土錦山0.2
合計74.5
幕末維新の志士・公家の生年

とにかく、「木戸孝允によって引き立てられ、世の中に出た」伊藤博文。

当然ながら、伊藤公直話では、木戸孝允に最大のページを割いています。

名前生年所属
大村 益次郎(村田 蔵六)1825長州
岩倉 具視1825公家
西郷 隆盛1827薩摩
来原 良蔵1829長州
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
三条 実美1837公家
山縣 有朋1838長州
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
伊藤 博文(俊輔)1841長州
長州の志士たちと維新の傑物たち

幕末、早くから「長州の総帥」的立場であった木戸孝允。

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長州藩の軍事の柱:左上から時計回りに、村田蔵六(大村益次郎)、桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞、高杉晋作(国立国会図書館、Wikipedia)

木戸孝允は、伊藤博文の8歳年上であり、「兄役」でした。

幕末、聴衆を引っ張ったのは、木戸孝允・大村益次郎・高杉晋作・久坂玄瑞らでした。

どこから見ても、端正な顔つきであり、いかにもエリート然とした木戸孝允。

木戸ほど「何かの組織の総帥」たる風格のある人物は、そうそういません。

そして、幕末にかけて、異様なほど光っていたのが、木戸孝允の巨大な政治力でした。

伊藤博文

予が初めて木戸公と
知ったのは、丁度十八の時である。

伊藤博文が十八、当時、桂小五郎と名乗っていた木戸孝允が二十六歳の時に初対面となりました。

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長州藩士 来原良蔵(Wikipedia)
伊藤博文

木戸公の妹婿に来原良蔵という
人があった。

伊藤博文

予は、その人の薫陶を
受けていた。

伊藤博文に「薫陶を与えた」来原良蔵に関しては、改めて触れます。

幕末、横浜の外国公使館襲撃計画の責任をとって自害した来原良蔵。

伊藤博文は、「来原良蔵を尊敬した」と言われています。

伊藤博文

その
故で・・・

来原良蔵

木戸公が江戸に出るに
就いて一緒に行かないか。

伊藤博文

と言われるので、
公に従って出て来た。

伊藤「西郷以下人才は政治に向かなかった」:木戸と大久保と伊藤

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幕末の藩主・旗本たち:左上から時計回りに、井伊直弼、小栗忠順、勝海舟、川路聖謨(WIkipedia)

伊藤博文が十八歳の時は、数え年だと1858年であり、安政の大獄直前でした。

まだまだ、幕府の巨大な力が健全であった時代に、江戸に初めて向かった伊藤。

伊藤博文

それから予は、木戸公の
属僚となっていた。

伊藤博文

けれども普通に使われるような
待遇を受けなかった。

伊藤博文

木戸公に愛されて、
兄弟もただならぬといったような間柄であった。

早くも木戸に見出され、「木戸と兄弟同然」であったと語る伊藤博文。

この辺りは、伊藤の一方的な主張であり、少々割り引いて考える必要がありそうです。

伊藤博文

その頃は、江戸に出て
各藩の人と交際をするのが、第一の学問であった。

伊藤博文

そうして、長州人の中では、
交際の広いことは木戸公の右に出るものはなかった。

すでに二十六歳にして、「長州一の交際範囲」を持っていたと評価する木戸孝允。

勿論、江戸の長州藩邸において、木戸より上の立場の人物も多数いたはずです。

丁度「若者たち」に視線が向かっていた時代、「若者をまとめる若者」であった木戸は光っていました。

伊藤博文

木戸公は、予に広く各藩の有志と交わって、
見聞知識を広める機会を与えてくれたのである。

伊藤博文

各藩の有志の中には、学者もあれば、勤王家もあり、
洋学者もあって、開国論を主張する。

伊藤博文

従って、予も幾多の交友を得、自分の
見聞を広めることになった。

伊藤博文

予は教えを受けて
育った位の仲だ。

伊藤博文

木戸公とは、
特別に親密であった。

とにかく、「木戸+伊藤」は自他共に認める「兄弟以上の顕密な仲」でした。

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岩倉使節団(Wikipedia)
立場名前生年出身
正使岩倉具視1825公家
副使大久保利通1830薩摩
木戸孝允1833長州
山口尚芳1839肥前
伊藤博文1841長州
岩倉使節団:正使と副使(年齢順)

そして、最も若者ながら、木戸の強力な推薦があり、岩倉使節団の副使の一人となった伊藤。

伊藤博文

ところが、明治四年、
ヨーロッパに使節に行ってから・・・

伊藤博文

少し妙なことが起こって、
一時交際振りが変わったことがある。

伊藤博文

それはー木戸公・大久保公などという人は、
当時日本において、必要欠くべからず人であった。

伊藤博文

政府を維持するという上においては、
西郷以下人才がいたけれども・・・

伊藤博文

それらの人は政治の方には
向かなかった。

大久保の章と同様に、とにかく、「木戸孝允と大久保利通は政治家として別格」を貫く伊藤博文。

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明治維新の立役者たち:左上から時計回りに大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允、岩倉具視(国立国会図書館)

そして、留守政府で事実上の「西郷首相」であり、廃藩置県・地租改正などを断行した西郷隆盛。

その西郷隆盛を、伊藤博文は徹頭徹尾「政治家として全く評価しない」伊藤博文でした。

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