西南戦争は「実に馬鹿馬鹿しい間違い」〜大幹部達の内輪揉めと大内戦・「維新成立まで」の西郷隆盛評・次世代明治政府幹部の西郷への考え方〜|伊藤公直話4・エピソード

前回は「西郷隆盛に対して冷たい伊藤博文 〜「豪傑だが、守成の人ではない」・「何はともあれ大久保と木戸」の人生・伊藤が見た維新の四傑〜」の話でした。

目次

「維新成立まで」の西郷隆盛評:次世代明治政府幹部の西郷への考え方

New Historical Voyage
伊藤公直話(新歴史紀行)

 「伊藤公直話」では、伊藤博文が語る様々な人物談、歴史の真相が記載されています。

いずれも、伝聞の「伊藤の話」であり、「伊藤の主観」である点が大事です。

そのため、歴史上の事実と照らし合わせて読む必要がありますが、概ね事実関係は正しいです。

語る対象ページ数割合
大久保利通1520%
木戸孝允22.530%
西郷隆盛(南州)11%
岩倉具視1115%
その他2534%
合計74.5100%
幕末維新の志士・公家の生年

明治維新の元勲たちに対しては、人物談ではかなりのページを割いている「伊藤公直話」。

約2/3が、大久保・木戸・西郷・岩倉です。

この順番にも理由があり、なんと言っても伊藤にとっては、大久保が大事です。

初期の伊藤を引き立てたのは木戸でしたが、維新政府以降は、大久保に引き立てられました。

そして、「大久保派のまとめ役」となったのが伊藤博文でした。

そのこともあり、分量では木戸がNo.1ですが、人物談冒頭は大久保となっています。

ところが、明治維新「最大の人物」とされる西郷に対しては、

伊藤博文

(西郷は)徳望は盛んなもので
あったが、政治上の識見はというと・・・

伊藤博文

ちと人物より劣っていたかも
知れぬ・・・

伊藤博文

とにかく大人物であったが、
むしろ創業の豪傑で・・・

伊藤博文

守成の人では
ないようだった・・・

西郷に対しては、極めて冷たい感じの伊藤博文。

あまりにあっさりしていて、西郷に対しては、具体的な事例が少ないことが特徴的です。

とにかく、最後の言葉が「西郷のまとめ」として特徴的であり、

伊藤博文(架空)

西郷隆盛は
明治維新成立までで終わり・・・

一言で言えば、「西郷は維新成立までの人物」ということだったのでしょう。

そして、これは次世代明治政府の大幹部達の共通した考え方だったと考えます。

西南戦争は「実に馬鹿馬鹿しい間違い」:大幹部達の内輪揉めと大内戦

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明治維新の立役者たち:左上から時計回りに岩倉具視、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通(国立国会図書館)

あまりにあっさりしていますが、西郷に関しては、岩倉の人物談のところに面白い記載があります。

伊藤博文

西南の乱は、
今から見れば・・・

伊藤博文

実に馬鹿馬鹿しい
間違いで・・・

伊藤博文

内を整えなければならぬという
議論と・・・

伊藤博文

朝鮮へ手を出そうという議論と、
水火相剋した結果である・・・

新歴史紀行
西南戦争の銃弾跡(新歴史紀行)

西南戦争に対して、「実に馬鹿馬鹿しい間違い」と切って捨てた伊藤博文。

西南戦争に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

この「実に馬鹿馬鹿しい間違い」は、当時の明治政府首脳の考え方を如実に表していると考えます。

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明治六年の政変で下野した人物たち:左上から時計回りに、西郷隆盛、後藤象二郎、板垣退助、江藤新平(Wikipedia)
後藤象二郎

こんなメチャクチャな
ことがあるか!

江藤新平

なぜ、一度決議されたことが
変更になる?

1874年、「征韓論争」と呼ばれることが多い大事件は、単なる「政争の一つ」でした。

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西南戦争で立ち上がった薩摩の志士たち:左上から時計回りに、西郷隆盛、村田新八、桐野利秋、篠原国幹(国会図書館、Wikipedia)
西郷隆盛

明治政府に
尋問の議あり!!!

そして、この「政変」の3年後に起きたのが西南戦争でした。

西郷軍政府軍
兵力(人)約30,000名約90,000名
戦死者(人)約6,800名約6,400名
西南戦争の兵力と戦死者数

その結果、未曾有の大内戦となり、西郷軍・政府軍合わせて、13,000名以上が戦死しました。

名前生年所属
大村 益次郎(村田 蔵六)1825長州
岩倉 具視1825公家
西郷 隆盛1827薩摩
武市 瑞山1829土佐
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
江藤 新平1834佐賀
坂本 龍馬1835土佐
中岡 慎太郎1838土佐
山縣 有朋1838長州
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
伊藤 博文(俊輔)1841長州
幕末維新の志士・公家の生年
伊藤博文

西南戦争は、実に
馬鹿馬鹿しい間違いだ!!

この経緯を、超当事者であり、年齢が上の「大幹部たちの内輪揉め」をありありと見ていた伊藤。

伊藤から見れば、確かに「馬鹿馬鹿しい間違い」だったのかもしれません。

明治維新の最後を飾った、西郷隆盛たちの決起。

確かに、この西郷軍・薩軍の猛烈なエネルギーは、外部に向けるべきだったのかもしれません。

この伊藤の簡潔すぎる「切り捨て方」は、当時に明治政府首脳に共通した考え方だったと考えます。

新歴史紀行

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